Featured in: 密
track: 06
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: nayuta
original title1: ブクレシュティの人形師/人形の森
original title2: エニグマティクドール/サーカスレヴァリエ
length: 08:55
◇概要
「秘密」をテーマに制作された東方アレンジアルバム『密』のトラック6。直訳すれば「謎めく人形・アリス」といったところか。”エニグマティクドール” はそのまま同タイトルの原曲からの命名だろう。
東方妖々夢3面道中曲『ブクレシュティの人形師』と蓬莱人形収録の3曲を原曲にアレンジされた本楽曲は七色の人形遣い「アリス・マーガトロイド」と彼女の秘密を暴こうとしたある者の物語である。
祭りになると人々の前に現われては、人形芸を披露してくれる魔法使いと言えば、アリス・マーガトロイドだ。
彼女は、人形を魔法で操り、あたかも生きているかの様に見せる芸達者な魔法使いである。―『東方求聞史紀』アリス・マーガトロイドの項より引用
稗田阿求著『東方求聞史紀』によればアリス・マーガトロイドは祭りになると人々の前に現れ、人形芸を披露することがあるという。普段は魔法の森にひっそり住んでいる彼女だが、人間達の住むテリトリーに堂々と顔を見せることもあるようだ。
めくるめく 幕が開く
此度の舞台はさて何処か
いざ集え さあ集え
里の片隅は劇場となる―『アリス・ザ・エニグマティクドール』の歌詞より引用
求聞史紀の記述同様、本楽曲の冒頭ではアリス・マーガトロイドは人間の里にて人形劇を開いていると見られる。歌詞カードにはドールズシアターの前に群がる子供たちの様子が描かれており、そこから少し距離を置き、劇場の主の様子を伺う赤い帽子の子がいる。
この赤い帽子の子こそが本楽曲の主人公と言える人物だ。
次第に明かされるこの子の目的。歩み寄る破滅の流れ。災難に見舞われたアリス・マーガトロイドの運命や如何に。
本記事では『アリス・ザ・エニグマティクドール』の物語を整理し、アリス・マーガトロイドの秘密(本性)について考えていく。また、冒頭で遠目に見ている子の存在を暗示するようなセリフがある、ブックレットに人形劇の様子を遠目に伺う赤い帽子の子が描かれているなど、本楽曲とつながりの深い『随』収録の申の二つ『仲良し村の八人の仲間たち』の内容についても少し考慮する。
◇登場人物と物語の整理
赤い帽子の子の行動とその目的は何だったのか、それに対してアリス・マーガトロイドはどう対応したか。まずは歌詞の内容を復習するために本楽曲の物語を整理する。当然、解釈の分かれる部分であるため、製作者の真意とは違う可能性はご留意いただく。
アルバム『密』のブックレットはカード上で歌詞の構成が一見複雑に見えるが、イラストの構成を見ると物語は大きく4つのシーンに分割できると考えられる。物語の時系列を実際に歌われている歌詞の順番と同じであるとすれば、以下のように整理できるだろうか。
Scene1.<演目『仲良し村の八人の仲間たち』>
アリスが人形劇をしているシーン。シアターの中には八人の子供。赤い帽子の子は劇場の主に対して疑いの眼差しを向けている。
Scene2.<演目『少年と人形の森の魔女』>
赤い帽子の子がアリスの家に向かうシーン。アリスの家に辿り着いた赤い帽子の子は人形の首を撥ねた。
Scene3.演目名なし(もしくはScene2の演目名と同じか)
アリスと赤い帽子の子が対峙するシーン。赤い帽子の子の行動に対してアリスは狼狽する。
Scene4.<演目『仲良し村の九人の仲間たち』>
アリスが人形劇をしているシーン。シアターの中には八人ではなく、赤い帽子を被った九人目の子供が加わっている。
まずはScene1。まるで命が宿っているかのように人形を操るアリスに対して赤い帽子の子は疑いの目を向けており、歌詞には「劇場の主にその真偽問い質す」とある通りアリスに対して何か質問を投げかけているようだ。『随』収録の『仲良し村の八人の仲間たち』の時系列はこのScene1にあたり、アリスが人形劇を開始して終わるまでの間が描写されている。『仲良し村の八人の仲間たち』で人形劇が終了した後、アリスは次のセリフを言っている。
うん?どうしたの君?そんなにじっと見ていて
え?この人形たちがどうやって動いてるのかって?
それはね?ヒ・ミ・ツ♡―申の二つ『仲良し村の八人の仲間たち』より引用
これは赤い帽子の子の質問に対してアリスが答えたセリフであると思われ、彼は「人形をどうやって動かしているか」について疑念を抱いていたと言える。なぜ彼がそういった疑念を持ってしまったのかについては考える余地があるが、この項では一旦置いておく。
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次にScene2。アリスが人形劇をしているシーンではないが、演目名が付いている。赤い帽子の子は蛇行した森の道を行き、雨の中一人でアリスの家へと向かう。彼がアリスの家へ向かう目的は「悪しき魔女から仲間を救う」ためであり、そのために「全てを暴く」と云う。この「仲間」が何を指すかは解釈の分かれ所になるが、「救う」とあるため、おそらく何らかの形で悪しき魔女・アリスに捕えられていると考えられ、仲間が人形にされていると解釈すれば自然だろうか。
赤い帽子の子はアリスの家に入ると人形の首を次々と撥ねていくという凶行に走る。救うべき仲間が人形にされているのだとすれば人形の首を撥ねるのは辻褄が合わないように思える。ここをどう解釈するか。
解釈1.魔女の本性を暴くためにわざとアリスを挑発する行動をした。仲間の人形がどれか分かっており、仲間ではない人形を狙って首を撥ねた。
解釈2.人形がおぞましく、気持ち悪かったため、衝動的に首を撥ねてしまった。
例えば、以上に示す2つの解釈が考えられるだろうか。私は『アリス・ザ・エニグマティクドール』の原曲『人形の森』にヒントがあると考えている。
雨が止まない。
私がこの家に迷い込んでから、一度も太陽を見ていない。
もう何日経つんだろう。人形はしきりに話し掛けてくる。
僕は、人形の首をはねた。雨が止んだかの様にみえた。―プレス版『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』より引用
「雨が降っている」、「家の中である」、「人形の首を撥ねる」という状況が一致しており、『少年と人形の森の魔女』という演目名であるため、Scene2と原曲『人形の森』には何らかの関係があると考えられるだろう。注目すべきは上記引用の「人形はしきりに話し掛けてくる」という部分で、話し掛けてくる人形がいたら気持ち悪くおぞましいと感じるだろう。原曲『人形の森』をヒントに考えると解釈2の方が強めに見える。ただし、赤い帽子の子は自分の意志でアリスの家に来ているため、「迷い込んだ」という点に関しては一致していないのには注意が必要か。
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Scene3は赤い帽子の子とアリスがついに対峙し、アリスの正体が暴かれるシーンとなる。歌詞カード右端のイラスト内に演目名は見当たらないため、演目名がない、もしくはScene2と同じ『少年と人形の森の魔女』といった見方ができるだろうか。歌詞カードのイラストを見ると、アリスの肘関節は人形の関節のようになっており、人形として操られているかのように赤い糸がアリスの身体につながっている。アリスの秘密とは「アリスの正体は自身も人形でありながら人形を作り偏愛する自己愛の権化<アガルマトフィリア>だった」ということなのだろう。
赤い帽子の子とアリスが対峙した状況は歌詞に表現されておらず、人形の首を撥ねるシーンから一気にアリスと対峙するシーンに移っている。赤い帽子の子が人形の首を撥ねていた所を家主に見つかってしまったのか、或いはアリスの家を彷徨っている内に家主の部屋に辿り着きその正体を見てしまったのか、ここは解釈が分かれる部分と言えるだろうか。
アリスがなぜ慌てふためき狼狽したのかについて。「赤い帽子の子が家主に見つかった」とする場合は人形の首を撥ねた行為に対して狼狽した、もしくは人形の首を撥ねた行為に激高し隠していた本性が出てしまったため慌てふためいた等と考えられる。「赤い帽子の子が家主を見つけた」とする場合は正体を見られたことに対して狼狽したと言える。
アルバム『密』のテーマは「秘密」、帯の通り「秘密」とは「曝く」ためにある。Scene2冒頭に「全てを暴け」とあり、アリスが慌てふためいた前の歌詞がアリスの正体を糾弾した歌詞になっているため、秘密を曝く行為と等しい「赤い帽子の子が家主を見つけた」と解釈する方が個人的にはしっくりくる。
ついにアリスの本性を暴いた赤い帽子の子。彼がどうなったかは「それは聞くことはもはや叶わない」、「引き返すにはもう遅すぎたんだ」という歌詞から察するに彼は人形の森から無事に帰ることはなかったのだろう。彼の目的は「仲間を救うため」であるはずだったが、一途な思いに突き動かされた結果いつの間にか「アリスの秘密を暴くこと」になってしまっていたのかもしれない。
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最後、Scene4。今日もアリスは人間たちの前で人形劇を開く。アリスのシアター内には新しく9人目の仲間として赤い帽子をかぶった子が増えている。服装こそ違えどアリスの秘密を知ってしまった彼の末路の姿なのか。アリスと敵対していた彼が楽しげに踊らされていると考えればかなり後味が悪い結末だ。
以上、『アリス・ザ・エニグマティクドール』を4つのシーンに分けて整理をした。次の項ではアリス・マーガトロイドは人間にとってどういう存在だったか等を振り返り、本楽曲の解釈と当てはめてみよう。
◇求聞史紀から見るアリス像
七色の人形遣い アリス・マーガトロイド
能力: 人形を操る程度の能力
危険度: 低
人間友好度: 高
主な活動場所: 如何なる場所でも―『東方求聞史紀』アリス・マーガトロイドの項より引用
七色の人形遣いアリス・マーガトロイドは求聞史紀の記述によれば危険度は低く、人間友好度は高い。『アリス・ザ・エニグマティクドール』において、アリスは自分の家に忍びこんだ人間に危害を加えたと思われるが、人間友好度が高い彼女が人間を襲うと考えられるのだろうか。まずは彼女の振る舞いや性格から振り返っていこう。
対策
元々人間だったという事もあり、普通の人間を襲う事は滅多に無いだろう。
ただ、意外と好戦的で、戦いを挑めば嬉々として応じると思われる。―『東方求聞史紀』アリス・マーガトロイドの項より引用
上記の文章には「だろう」「思われる」が付いているため、これらは阿求による推測と言える。人間を襲うことは滅多にないらしいが、どうやら好戦的な印象もあるようだ。妖々夢3面ではおまけ.txtにある通り、特に戦うも理由なくただ目の前にいたから霊夢達と戦ったのは確かに好戦的な印象を受ける。まあ理由もなく戦うのはアリスに限ったことではないのだが、少なくともアリスに戦いが嫌いまたは苦手という印象を与えるシーンは原作にほとんどなく、挑まれた弾幕ごっこには避けることなく応じている。
あらどーも。ずっとあなたの動向を見守ってきたけど かな~り面白かったわ。
見当違いな行動を取って それでいて強そうな妖怪は避けて通ってきて。―『東方萃夢想』アリス ストーリー Feast Day 19:00より引用
しかし、上記の通り、萃香によればアリスは強そうな妖怪を避けているとのことで、この指摘に対してアリスは否定も肯定もしなかった。「自分が勝てない相手を避ける」という心理はアリスの好戦的な印象にどう影響するのだろうか。これは以下の引用に示す設定から読み取れるだろうか。
圧倒的な力で勝つことは、アリスにとって楽しくともなんとも無いので、
常に相手の様子見て、それより少しだけ上の力で戦おうとする。負けても全力は出さない―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
「圧倒的な力で勝つことは楽しくない」という設定はアリスが戦いを楽しんでいることを暗に示しているともいえる。自分が勝てない相手を避ける理由は全力を出すことを強いられる戦いを避ける為だろうか。いずれにせよ、積極的に人間を襲う直接描写はなくともアリスは好戦的な性格といえ、本気を出すことを強いられる相手以外から挑まれた戦いには応じるのだろう。おそらく赤い帽子の子のような人間に戦いを挑まれれば応じると思われる。
次にアリスの家を訪れた者への対応について。劇中にて赤い帽子の子がアリスの家に忍び込んでいるが、アリスは訪問者に対してどのように行動するのか。
魔法の森で迷ってしまって、偶然この家に辿り着いたとしても、快く泊めてくれると言う。
ただ、泊めてくれると言っても、彼女は魔法の研究をしたり、人形を操ったりし続け、余り会話が無く不気味なので、すぐに逃げ出したくなるらしい。―『東方求聞史紀』アリス・マーガトロイドの項より引用
求聞史紀の記述によれば魔法の森で迷った人を快く泊めてくれると言われている。これらの供述は誰が言っているのか定かではなく、アリス自身の供述である可能性もあるが、「会話が無く不気味」「すぐ逃げ出したくなる」と本人が言うとは考えにくい。「らしい」と語尾が付いているため、人間の里に流れる噂か、または魔法の森から生還した人の供述と考えるのが無難だろうか。情報ソースとしては少し弱いが、止めた人間を襲う等の妖怪らしい記述はない。
実際に第三者がアリスの家に滞在した描写があったかといえば、その描写はある。『東方三月精 〜 Strange and Bright Nature Deity.』第5話と第6話にて、光の三妖精が妖怪と身分を偽った上でアリスの家を訪れており、穏やかな表情で紅茶とクッキーを振舞っている。ただし、魔導書を奪う目的がアリスにバレた際には「あなたたちは私の敵よ!」と攻撃態勢を取っているため、訪問者の言動によってはアリスに襲われる可能性があると言える。
以上の事柄を踏まえれば、訪問者が人形の首を撥ねたとあればアリスがどう対応するか、想像に難しくない。前述した好戦的なイメージも相まり、アリスが敵対的な人間に危害を加える蓋然性は高いのではないか。
求聞史紀の記述はあくまで御阿礼の子が得た伝聞が情報ソースとなっているため、記述されている内容は正確なものとは言えない。赤い帽子の子が言うように劇場の主・アリスが本当に詐欺師で御阿礼の子含んだ人間の里に住む人々を騙している可能性はゼロではない。
以上のおさらいの結果、『アリス・ザ・エニグマティクドール』におけるアリスの言動の蓋然性について、ある程度見えてきた。次の項目では本項目と同じく求聞史紀などを情報ソースにし、アリス・マーガトロイドの持つ能力をおさらいする。
◇人形を操る程度の能力
あれらには 命などない
知って尚 命観る演技
本質を隠しうる魔法―『アリス・ザ・エニグマティクドール』の歌詞より引用
未知の手段を用いて赤い帽子の子を人形に変質させたと思わしき描写がある、ブックレットイラストにおけるアリスの関節が人形のようになっているなど、『アリス・ザ・エニグマティクドール』におけるアリス・マーガトロイドは原作とは少し違った特性を持つように思える。赤い帽子の子がアリスに対して「人形そのものに命が宿っているのではないか」と疑いの目を向けていたが、原作ではどのように記述または描写されていたか。
能力
人形を操る魔法とは、人形をまるで生きているかの様に見せる魔法である。
生命を宿らせる能力ではなく、魔法の糸で操っているので遠隔操作は難しい。―『東方求聞史紀』アリス・マーガトロイドの項より引用
求聞史紀では人形に生命を宿らせていることを否定しており、人形を魔法の糸で操っているとしている。加えてこの魔法の糸はアリスの手で直接操っているわけではなく魔法で動かすと注釈がなされており、更には人形に人形を操らせる事すら出来るとのこと。求聞史紀ではあくまで人形はアリスの魔法で操られているだけと記述されており、赤い帽子の子の持った疑念は否定されていることになる。
しかし、同じく求聞史紀に記載のあるアリス・マーガトロイドの目撃報告例にて、「全部自分で操っているって言ってたけど、もの凄く嘘くさいぜ」と霧雨魔理沙は語っており、稗田阿求も複数体の人形を非同期的に操る様を指して操作しているとは思えないと自らの筆で記している。このように、人形を操る能力の原理について第三者から疑われている事実はあるため、赤い帽子の子がアリスの能力を疑うのはあり得る話だ。
求聞史紀に記述されている能力は本人からの自己申告や阿求による推察と考えられるため、よりメタ視点に近い情報ソースと言えるキャラ設定.txtにはどう書いていたか。
3面のボス、わりと普通の魔法使い。
主に魔法を扱う程度の能力を持つ。
とりあえず万能の魔法使いであり、これといって属性に得手不得手は無い。―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
「主に魔法を扱う」とされており人形の操作技術については記述されていない。同様に東方萃夢想の公式ページ、東方永夜抄のキャラ設定.txtにおいても魔法を扱うまたは操ると書かれているため、能力名が人形の操作に関する記述になっているのは求聞史紀だけと思いきや東方地霊殿のキャラ設定.txtに「人形を操る程度の能力」と書かれている。アリスの能力を魔法で人形に命を宿らせる能力と解釈し、人形を操る程度の能力は阿求の勘違いであるという説を唱えるのは少々難しい。従って、アリスは魔法の糸で人形を操っていないわけではないと言える。
求聞史紀において正しいと言えるアリスの能力に関する情報は「人形を操る程度の能力を持つ」という部分、つまりアリスが人形を操っているのは事実なのだろう。しかし、人形を操っている手段については正確な情報とは言えず、魔法の糸により人形へ命令を送信して操っているのか、人形に命を宿して操っているのかは不明である。
人形の意思の有無については疑うべき描写は存在し、『東方三月精 〜 Strange and Bright Nature Deity.』第5話においてアリスが人形に対して口頭で雪かきを命令した際に人形が文句を言っているシーンがある。人形が文句を言っているという情報はアリスの独り言からのものだが、作画上は人形たちが文句を言っているように感じられる。もちろん東方香霖堂第15話の魔理沙が言う通り「さもしい一人芝居」である可能性も否定できないが・・・。
さて、一旦ここで情報をまとめつつ『アリス・ザ・エニグマティクドール』に話を戻そう。個人的に気になった以下の3点でまとめてみる。
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1.アリスの能力に対する疑いについて
赤い帽子の子はアリスの人形劇を見て「人形に命が宿っているのではないか」と疑念を持っていた。赤い帽子の子がアリスについて記述のある幻想郷縁起(東方求聞史紀)を読んでアリスの能力に関する情報を知っていた可能性がある。しかし、アリスが人形を操る手段については疑う余地があり、本文中に人形を操作していることを疑うような記述もあったため、むしろ幻想郷縁起を読んだことでアリスへの疑いが加速する可能性すらあったと思われる。赤い帽子の子がアリスの能力を疑うこと自体は原作からの視点でも特に違和感はないだろう。
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2.『アリス・ザ・エニグマティクドール』におけるアリスの能力
ラストシーンに赤い帽子の子が人形として登場していることから人形に命を宿らせる魔法を使用できるように思えるが、これをどう考えるか。Scene4のブックレットイラストでは人形から糸が伸びているため、糸を使った何らかのコントロールはしていると思われるが、命を宿らせることが人形のコントロールに関係しているのかは不明。もしかすると人形に人間の命を宿らせることで本物の人間のような命観る演技を実現させているのかもしれない。
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3.ブックレットイラストにおけるアリスの容姿について
赤い帽子の子がアリスの正体を暴いたScene3において、アリスの関節が人形のような球体関節になっているのはどう考えるか。加えてアリスの身体から伸びる赤い糸も気になる点である。これは「赤い帽子の子が対峙したアリスは何者かに操られた人形だった」、「人形のようなアリスの姿は赤い帽子の子が見た幻覚だった」、「アガルマトフィリアなアリスは自身の体を人形に改造していた」等、さまざまな解釈が考えられるだろう。人形に命を宿らせる魔法をアリスが使用できたとして、自分自身の命を自分自身を模した人形に宿らせることも可能なのかもしれない。―
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以上、アリスの能力について振り返ってみた。アリスが人形を操る手段は原作の描写からも疑う余地が十分にあり、求聞史紀に書かれている内容が欺瞞に満ちた情報だったとすれば『アリス・ザ・エニグマティクドール』のような出来事は起こりうるのかもしれない。人形に命を宿らせるような直接描写は原作にはないが、東方緋想天・東方非想天則において博麗霊夢、八雲紫、チルノといった複数人からアリスに対して人形に心が宿ることを指摘するセリフがあったのを考えれば、アリスがそういった能力を持っていないとは言い切れない。
『宴』収録の『砂鉄の国のアリス』に登場する”僕”の存在、『改』収録の『ヒカリ ~ Miscarried Princess』で語られたアリスの本心を考えれば、凋叶棕の幻想郷におけるアリス・マーガトロイドはそういった能力を保有しているとも考えられるだろうか。
◇正直者は馬鹿を見るのか?
誰もお互いを疑う事なんて考えたことは無かったのさ。
みんな正直者だったんだ。みんな仲良しだったんだ・・・―C62版『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』より引用
原曲が『人形の森』、『エニグマティクドール』、『サーカスレヴァリエ』となっている等、本楽曲『アリス・ザ・エニグマティクドール』では『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』の要素がいくつか含まれている。アリスの人形劇に登場した七人の男の子たち、そして赤い帽子の子は何者だったのだろうか。
雨が止まない。
私がこの家に迷い込んでから、一度も太陽を見ていない。
もう何日経つんだろう。人形はしきりに話し掛けてくれる。
僕は、人形の首をはねた。雨が止んだかの様にみえた。―プレス版『蓬莱人形 ~ Dolls in Pseudo Paradise』より引用
前で触れた通り上記引用のライナーノーツは「雨が降っている」、「家の中である」、「人形の首を撥ねる」という状況が本楽曲のScene2と重なっているように思え、『人形の森』は書籍文花帖のアリスの記事内に『幻想の音覚』として紹介されているなどタイトル以外の部分でもアリス・マーガトロイドとの関係を匂わせている。
アリスの人形劇のタイトルは『仲良し村の八人の仲間達』であり、”八人”という人数がC62版蓬莱人形のブックレットに書かれた正直村の話を思わせ、『随』収録の申の二つ『仲良し村の八人の仲間たち』の登場人物も正直村の話の登場人物とよく似ている。(”早起き”に該当する男の子はセリフがないが、人数を考えればいるはず)
楽曲の最後、赤い帽子の子は九人目の仲間として仲良し村に迎えられたわけだが、彼は仲良し村の登場人物と関係があるのだろうか。「仲間を救おうとして」の歌詞を字面そのままに受け取るのであれば「赤い帽子の子は仲良し村の仲間だった」と解釈できるが、同じ人間の少年少女として ”仲間” と表現した可能性もあるだろう。ここは解釈の別れどころか。
C62版蓬莱人形の正直村の話の真犯人の考察の一つとして「ブロンドの髪の女の子=アリス説」がある。アリスのスペルカード咒詛「首吊り蓬莱人形」、ブロンドの髪、楽園の巫女にとって見覚えがある存在、七人の僕と七色の魔法使い等、その説を後押しするピースは複数ある。(が、アリスはボクっ子ではない。)
もしC62版蓬莱人形で犠牲となった正直村の七人の “僕” が真犯人によって人形にその命を吹き込まれ囚わていたとすれば、赤い帽子の子は正直村の生き残りまたは隠し子だったと考えると少し面白い。一途な思いに突き動かされた結果、取り返しのつかない事になってしまったのを考えれば、赤い帽子の子の行動はとても正直者らしい行動に思える。「悪しき魔女の欺瞞を暴く」という行動も嘘と相対する正直者らしさを物語っているとも言えるだろうか。
赤い帽子の子に、あえて正直者の名を付けるなら「最も正義感の強い僕」、いや「最も一途な僕」なんてどうだろうか。
◇ブックレット
Scene1:開かれるアリスの人形劇と群がる観客は子供たち。劇場から距離を取って手前側に赤い帽子を被った子の姿。ドールズシアターには8人の子の人形。
Scene2:赤い帽子と和服を身に付けた子は雨の中くねった道を歩いている。森の中にある家、その造形は東方萃夢想のアリスステージ背景や東方智霊奇伝第2章で見られたアリスの家にどことなく似ている。血に塗れた首がはねられた人形たち。人形の数は8体、首は7つ。人形はそれぞれ七色に対応した服装。
Scene3:妖しく笑うアリス・マーガトロイドの姿とそれを指さす手。アリスの顔や手は黒く塗りつぶされ、赤い糸が絡みつき、肘関節は人形のものに見える。Sence1~3は赤い糸を思わせる線で区切られている。
Scene4:ドールズシアターの舞台に立つ9人の子の人形。人形からは白い糸が伸び、操り手の指には赤い糸が絡んでいる。赤い糸が絡んでいる指の本数は7本。赤い帽子の子の服装は和服ではなく洋服になっている。
本楽曲のブックレットイラストにはアルバム『屠』のネタが少し含まれており、『屠』収録の『墓標』のブックレットに使われた樹木のシルエットと同じ素材がドールズシアターの背景に使用されている。また、『葬迎』のブックレットイラストでは正直者の死因と対比させるように7つの色のシルエットが描かれており、このシルエットの色がドールズシアター内の仲良し村の子たちのシャツの色および靴の紐の色と対比しているようにも思える。アリスの手や真ん中の少女に見られる赤と黒のカラーリングも『屠』っぽさを思わせる。
アルバム『密』のブックレットは各楽曲ばらばらのカード形式となっており、『アリス・ザ・エニグマティクドール』の歌詞カードは一枚の紙の表と裏に描かれている。
イラストは『綜纏Vol.4 四百四描』に収録。赤い帽子の子の胸の飾りは瓢箪を模した魔除けとのこと。
◇雑記
被害内容
生け贄、盗難、誘拐、詐欺―『東方求聞史紀』魔法使いの項より引用
ここは幻想郷。現世より忘れられたものが集まる楽園。多種多様な妖怪たちが跋扈し、人間は妖怪の手によって守られ、そして支配されている。
妖怪の一種とされる「魔法使い」がもたらす被害は「生け贄」、「盗難」、「誘拐」、そして「詐欺」。
アリス・マーガトロイドも「種族:魔法使い」とされている一種の妖怪である。この情報は求聞史紀だけでなく、キャラ設定.txtにも「種族が魔法使い」と明確な記述があるため、かなり正確な情報である。今回の記事では原作の記述に虚偽の情報が混じっている可能性を踏まえ、少々慎重に振り返りを行っている。作中作でありながら設定資料的な側面も持つ情報媒体の取り扱いといった意味でも慎重に扱うのがベターではあるが、それだけでなく登場する人物が嘘吐きで詐欺師である可能性も考慮すべきである。
種族:魔法使いの多様性は低。作中の描写では気の良さそうな彼女であるが、アリス・マーガトロイドも他の魔法使いと同じように誘拐や盗難、そして詐欺を働く人物である可能性も否定できないわけだ。
思うに妖怪の力というものは、知られることでその力を増す場合、物事を隠すことで有利に働く場合の2通りがあるように思う。作中のキャラクターが主観で書き記した情報や話した内容に対し、これを何者かによって操作された情報ではないかと疑いを持つことは、こと東方Projectにおいては個人的にありだと思っている。ただし、その推論はキャラクターの普段の行動や思想などを考慮して蓋然性を持たせるという重要な前提がある。その点、アリス・マーガトロイドは作中の言動に少々怪しい部分があるため、やはり「否定できない」というのが私の結論だ。
一般的に開示された情報とその後ろに隠された本当の情報。その情報の性質を利用することこそがこの楽園で生き抜く秘訣とも言えるのかもしれない。それは平たく言えば「詐欺師」「嘘吐き」とも言えるが、「謎めかす者」すなわち「エニグマ」と呼ぶのが相応しいか。