
このブログではサークル凋叶棕の作品についてあれやこれや書いていましたが、『逆』以後の新作はカテゴリ「感想」として聴いてから間もない状態で所感を綴っていて、逆に『逆』以前の過去作に触れた記事はカテゴリ「楽曲考察」のみとなっており、過去のアルバムに触れた感想や考察的な何かは記事化されていません。
今回は過去にリリースされたアルバムを振り返ってレビューする記事とし、趣向を変えて「アルバム再考」といった形をとります。
「アルバム再考」を「楽曲考察」および「感想」とは違った位置付けのカテゴリとし、若干のマジメなテイストが含まれるレビュー記事となります。しかしながら、広義では感想と言えるのだと思います。
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この記事は凋叶棕の作品と東方原作に関わる、強烈なネタバレがあります。
聴いたかクリアしたか諦めたか、そもそも気にしない方のみ見てください。
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この先、5cm
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◇Player’s coins in a hand
数年、いや数十年前だろうか。もしかしたら去年かもしれないし、或いは存在しない記憶なのかもしれない。
ここは、音が騒がしく、少し暗い。
音源が判らない程に混沌とした人の騒めき。リズミカルに何かを叩く音。郷愁を搔き立てる電子のサウンド。
そして、チャリンと軽快な音を立てる一枚のコイン。
ここはゲームセンターの片隅。デモ画面をひたすらに垂れ流すゲーム筐体の前にあなたは立っている。
手のひらを開くと中には数枚のコインが握られていた。手の汗がキラリと光り、仄かに鉄のにおいがする。背もたれのないパイプの椅子に腰かけ、指で挟みこんだコインの塔を筐体の上に積み上げる。
指で摘まみ上げた一枚のコイン。これは、たった数分の暇を潰すことへの対価か?
もしかすると、はじめは誰もがそうだったのかもしれない。
けれど、いつしか「対価だと思っていたコイン」は「敬意を払うコイン」へと変わっていた。何故ゲームはかくも人を熱くさせるのか。その理由はいまだに分からない。
さあ、己のまなざしを、画面の向こう側へ向けて―――
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INSERT COIN<S>
チャリン♪
◇アルバム『奉』とは
凋叶棕が送る、東方マルチジャンルアレンジアルバムです。
「ゲームとしての東方」をメインテーマとし、東方整数ナンバー作品を一曲一作品として構成しました!
異変そのものや、ゲームシステムについて、ときには異変の背景や裏側などについても曲にしています。
歌物を中心に、ややロックポップスな感じを主軸にまとめました!
全11曲、全ての弾幕シューターにささぐ、東方プレイのお供にこの一枚!―『奉』特設サイトより引用
アルバム『奉』(ささげ)は2014年の冬コミにてサークル凋叶棕より頒布された東方アレンジアルバム。上記引用の通り、アルバムのテーマは「ゲームとしての東方」。原作が弾幕シューティングゲームなだけにドストレート・ド直球のテーマとなる。
2014年冬コミまでにリリースされていた上海アリス幻樂団による東方Project作品の内、第6弾『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』から第14弾『東方輝針城 ~ Double Dealing Character.』までの整数ナンバー全9作品を主題としたボーカルアレンジ楽曲が収録されている。
これら原作9作品のストーリーや登場キャラクターだけでなく、ストーリーに寄り添った個性的なゲームシステムをも思わせる凋叶棕らしいこだわりの編曲がなされている。これら9曲と、アルバムのオープニングを飾る『Insert Coin(s)』、全ての弾幕シューターにささぐ楽曲『「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」-History 2/3』をラストトラックとする計11曲で構成される。
さらに『奉』発表当時には隠されていたトラックとして、2014年に頒布された上海アリス幻樂団による当時の最新作『弾幕アマノジャク 〜 Impossible Spell Card.』までにリリースされた小数点ナンバーもその歌詞の一部として組み込んだ『「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」-History 3/3』もサプライズ収録されている。そのため、アルバム『奉』の最終的な収録楽曲数は全12曲となる。
同梱のブックレットも大きな見どころで凋叶棕史上最大級のボリュームとなる本作。ブックレットイラストは凋叶棕ではお馴染みのはなだひょうさんが担当。各楽曲ごとのコンセプトや雰囲気に合わせて描かれたイラストは本作においても健在で、特に本作は1つの楽曲に対しブックレット見開きを使っているパターンが多く、ブックレットを両手にして聴くことでより世界に没入させくれる仕掛けだ。
本作は「ゲームとしての東方」をテーマにしている分、凋叶棕がリリースしたアルバム作品の中でも特に東方原作の成分が強く、原作に忠実な二次創作の一種と言えるだろうか。
だが、『奉』の本質は ”忠実” にあらず。ゲームに対して真剣に向き合ったからこその ”強さ” がこの作品にはある。
凋叶棕の作品の中でも初心者向けと名高い『奉』の二次創作として ”強さ” はどういったものなのか。『奉』頒布から7年足らず、現在の私が持っている見解から今一度本作を振り返ってみよう。
◇収録楽曲を振り返る
アルバム『奉』に収録されている楽曲を1曲ずつピックアップして振り返ってみる。各楽曲のタイトルはスペルカードの命名規則に従って、符名「(スペルカード名)」、符名なしの場合は「(スペルカード名)」の形式をとる。タイトルの符名を見ればモチーフとなっている原作が一目瞭然であり、原作のリリース順にトラックが並んでいるため、東方の初心者にも優しい作りをしている。
M01.「Insert Coin(s)」
原曲:テーマ・オブ・イースタンストーリー
アルバム『奉』のオープニングとなるインストアレンジ。コインの跳ねる軽快な音が耳に心地よく、インサートした後に流れるSEも気持ちがいい。しかし、東方はアーケードゲームではないのでコインのインサートは不要なのだが、製作者であるZUN氏自身が以下の発言をしている。
配布価格は3コイン。300円ですよ(最近50円ゲーセン見ないなぁ)
1ステージワンコイン。
アーケーダーは絶対に千円札を出してはいけません。
100円玉で3プレイ分投入する感覚で無いと認めませんよ。ほんと。
例大祭は私にインサートコイン(s)で永夜抄。―東方書譜2004年04月16日より引用
なるほど体験版が300円の理由は1ステージワンコイン。確かに「同人イベントではコインが必須」というのはゲームセンターと重なる部分がある。東方をプレイするためにもコインが必要なのだ。『東方紅魔郷 ~ the Embodiment of Scarlet Devil.』のEXTRAステージでフランドールと魔理沙の会話にて「コインいっこ」「あなたが、コンティニュー出来ないのさ!」といったメタ発言からも、概念的ではあるが「コインを入れる行為」の必要性を感じさせる。

ブックレットを裏に返せば「奉」の文字のすぐ左側に一枚のコインを摘まんだ手、更にその下側「Insert Coin(s)」の文字が目に入る。「奉」にコインを入れる「手」を添えて「捧」。アルバム『奉』が「ささげ」と読む理由はゲームに対してコインを捧げる行為にあるのだろう。
ただコインを入れるのではない、敬意を払ってコインを「奉」げる行為が『Insert Coin(s)』。敬意を払う先は博麗神社の神様か、ゲームに住まう神様か、それとも画面の中の少女たちか。あるいは、0:45付近のメロディーが表しているのかも・・・?
さあ、CDケースに収められたコインを取ってドライブへInsertしよう。
ゲームを始めるためにはコインが必要なのだから。
M02.紅魔「Un-demystified Fantasy」
原曲:Demystify Feast / 二色蓮花蝶 ~ Red and White
東方紅魔郷のストーリーを順に追った歌詞をボーカリストのめらみぽっぷさんが力強く歌い上げる疾走感のある一曲。博麗霊夢が紅霧異変に気付き、異変解決すべく霧の向こう側を目指して旅立つところから始まり、異変の主犯であるレミリア・スカーレットとの命名決闘法による闘いをその歌詞に表現している。
つまり、霊夢が主観となる楽曲となるわけだが、私の解釈ではそれに加えてもう1つ視点がある。東方紅魔郷を起動し、霊夢を自機として選んでゲームをプレイする張本人、プレイヤー本人の視点だ。
表記された原曲はどれも紅魔郷のものではない。しかし、『ツェペシュの幼き末裔』や『亡き王女の為のセプテット』といった原曲のメロディー、霊夢とプレイヤーが出会った紅魔郷のキャラクターたちを思わせる歌詞などが随所に散りばめられており、主観・博麗霊夢が語る内容はプレイヤーが見た光景と重なっているのだ。
「導かれるように上へ、上へと」の歌詞は6面道中で紅魔館上空に浮かぶ紅い月を目指す霊夢の主観だが、これもプレイヤーの視点とも解釈できる。紅魔館の外壁と思われる背景が下へと流れ、縦にスクロールしていくステージ。プレイヤーにとっての「上」とは画面の上部だ。東方が縦スクロールシューティングである故に「上へ」というワードが霊夢とプレイヤーで意味を違えながらも重なっているのが面白いポイントだ。
また、特に私が感心したのは「千本の針の山も全て今、叩き落とす」という歌詞。Lunaticの獄符「千本の針の山」は画面上部から迫る大量の弾に対して真面目に避けるよりもボムすべきポイントであり、さらに「叩き落とす」という表現からおそらくプレイヤーはボムが夢符「封魔陣」の針巫女を選んでいると察せられる。
霊夢の視点で語られた歌詞がプレイヤーの体験と重なる瞬間、ただ紅魔郷の物語を追想しただけの楽曲ではないことを理解する。アルバム『謡』に収録された『Un-demystified Fantasy』が『奉』の『紅魔「Un-demystified Fantasy」』として再録された理由は「紅魔郷枠として」だけでなく、「ゲームとしての東方」のコンセプトに相応しいからなのだろう。
紅魔「Un-demystified Fantasy」
M03.妖々「全て桜の下に」
原曲:アルティメットトゥルース/ボーダーオブライフ
東方妖々夢のクライマックス『PerfectCherryBlossom 彼の世に嬢の亡骸』。中ボス・魂魄妖夢を倒した霊夢がラスボス・西行寺幽々子と対峙し、咲き誇る桜を背に弾幕ごっこを繰り広げる様子を魂魄妖夢の視点で紡いだ一曲だ。

この楽曲は「傷を負った魂魄妖夢が己の不甲斐なさに打ちのめされながらも霊夢と幽々子の弾幕ごっこを目撃したとすれば…」という原作では描写されなかった場面を描写するタイプの二次創作だ。ただし、魂魄妖夢は5面および6面道中の二度も霊夢に負けたとはいえ、霊夢と幽々子が対峙するその場の近くには居たはずのため、「もしもの話」とは言い切れない蓋然性の高い二次創作と言えるだろうか。
この楽曲における「ゲームとしての東方」の要素はまず弾幕を表現した歌詞があるだろう。「追いすがっては、爆る光に。」は幽々子のスペルカード華符「スワローテイルバタフライ」、「放たれる光の彩。広がる。集まる。四散する。」は霊夢のボム霊符「夢想封印・散」或いは霊符「夢想封印・集」がイメージできる歌詞だ。弾幕の表現は前述の紅魔にも共通する要素だ。
紅魔では「プレイヤー視点」の要素について語ったが、妖々も同じように「プレイヤー視点」の要素があるように思う。幽々子と霊夢が弾幕ごっこする光景を目撃したのは妖夢だけではない。プレイヤー自身もその光景を目にしているはずだ。もちろん妖夢が妖忌から伝え聞いた「おそろしいもの」の正体(≒究極の真実)を知るという物語としての側面もあるが、『奉』に収録されたこその要素も大事にしたい。
「生きては見えず、死しても知れず」は「生と死の境界」を象徴する句だ。生きたまま冥界を駆ける霊夢、半人半妖の妖夢、反魂しようとせん死人の幽々子、「究極の真実」を目撃した者は皆「生と死の境界」に立っていた。そして、彼女らだけでなく、今被弾するしないかのギリギリを彷徨うプレイヤー自身も「生と死の境界」に面していたのではないか。幻想少女と視点が重なったプレイヤーもゲームの主役と言えるのだろう。
妖々「全て桜の下に」
余談だが、2004年4月永夜抄体験版頒布直前に「被弾したこの瞬間こそが生と死の境界じゃないか」と神主が東方書譜で語っていた。これは「決死結界(Border of Life)」のシステムを指し、被弾した瞬間に時間が止まり、この時スペルカードを発動させるとラストスペルが撃てるという所謂「喰らいボム」を昇華したシステムだ。被弾するかしないかのギリギリのせめぎ合い、「ゾーンに入る」とも近しいあの感覚もシューティングゲームの醍醐味のひとつだ。
M04.永夜「Imperishable Challengers」
原曲:月見草/竹取飛翔 ~ Lunartic Princess
『月見草』のメロディーと共に自機である人妖タッグそれぞれのバッドエンドから始まる一曲。先述の紅魔と同じく、登場キャラクターのモチーフを表現しながら原作ストーリーの流れを追う形だ。東方永夜抄に登場するほぼすべてのキャラクターが描かれたブックレットは三部作の最後を飾る集大成らしい豪華な見開き一枚だ。
この楽曲の「ゲームとしての東方」は分かりやすくそのタイトルに表れている。「Imperishable Challengers」、すなわち「不滅の挑戦者達」は異変解決に動く4組の主人公とゲームのクリアを目指すプレイヤー双方にかかる言葉だ。
シューティングゲームには諦めずに何度も繰り返しプレイすることで上達していく性質が古くからある。この楽曲がゲームオーバーから始まって夜明けで終わる理由は、異変解決を諦めなかった4組の主人公だけでなく、ゲームクリアを諦めずに挑戦し続けた多くのプレイヤーたちが居たからこそなのだろう。
永夜「Imperishable Challengers」
M05.花映「タマシイノハナ」
原曲:魂の花 ~ Another Dream…/花は幻想のままに
弾幕シューティングゲームのテーマとは思えない程にゆったりと落ち着いた東方花映塚のアレンジ。花映塚で発生していた異変は「六十年周期の大結界異変」という放っておいてもいずれは解決する自然現象に近い平和なものだったために雰囲気を異変内容に合わせているのだろうか。歌詞の主観は花に取り憑いた魂か?少なくとも『花は幻想のままに』が使われているAメロ部分の歌詞は魂が主観に思える。
花映塚は対戦型弾幕シューティングであり、プレイアブルキャラクターは全16キャラとシリーズ屈指の多彩さを誇る。他整数ナンバー作品と違って各自機のストーリーの時系列がパラレル・並列ではなく、キャラの開放順に直列しているのが特徴だ。キャラが多いということはプレイヤーが見るエンディングの数も多くなるし、キャラを開放する毎にストーリーが進むということは全てのキャラでクリアしなければストーリーの全容がつかめないわけだ。
要するに、花映塚はプレイヤーが見るエンディングの回数は整数ナンバー作品の中でも自然と多くなるのではないか?故にプレイヤーの印象に残りやすい『魂の花 ~ Another Dream…』と『花は幻想のままに』が原曲として採用されたのではないだろうか。
さて、花映塚のプレイ経験があるあなたはスタッフロールの最後にどういった文字列が出るか覚えているだろうか。
and You…
(取り憑いていた花:???)
この楽曲における「プレイヤー視点」はタイトル通り “タマシイノハナ” か。Aメロ部分の歌詞は無念にも命を散らしたプレイヤーたちのことばなのかもしれない。
M06.風神「ブレイブ・ガール」
原曲:少女が見た日本の原風景/信仰は儚き人間の為に
凛とした表情を見せる東風谷早苗のイラストが印象的な『ブレイブガール』。原曲も東風谷早苗に関係するもので構成され、歌詞の一人称も東風谷早苗となっている。内容は風神録のストーリーにクローズアップしたというわけではなく、幻想郷に来たばかりの早苗が風神録の一件の中でどういうことを思っていたかを歌詞に表現されている。
早苗は幻想郷の外から守矢神社と共に幻想郷へ移住してきた人間の少女。守矢神社が幻想郷で信仰を獲得するために博麗神社に対して営業停止命令を出すという敵対行動を始めに取っており、5面では霊夢に対して「貴方にはそのぐらいの覚悟が出来て巫女をしているの?」と啖呵を切っている等、昨今の早苗の様子ではなかなか見られない真剣な面持ちだ。そんな彼女が敵対した相手との戦いに向けて「勇気を出して」と自身を応援する、それが『ブレイブ・ガール』に込められた意図なのだろう。

始終、早苗の視点で心情を語られる楽曲であるため、「プレイヤー視点」を見出すのは少々無理があるのかもしれない。強いていうなれば「初めて東方をプレイするプレイヤーのための応援歌」といったところだろうか。
原作をやりたいけど弾幕シューティングゲームに手を出す勇気がまだ足りないという東方ファンには是非聴いてほしい一曲だ。何事にも一歩を踏み出すには勇気が必要になる。大丈夫、初めての弾幕ごっこに挑むのは早苗も同じなのだから。
ちなみに風神録公式サイトの動作環境には「Windows 2000/XP」や「パッドコントローラ」等と並んで「ある程度の信仰心」が記載されている。信仰をもって弾幕ごっこに挑んだ早苗と同じように風神録に挑む儚きプレイヤーにも信仰心は必要なのか。
M07.地霊「幻想郷縁起 封ジラレシ妖怪達之頁」
原曲:暗闇の風穴
御阿礼の子が記した「幻想郷縁起」より東方地霊殿に登場するキャラクターをクローズアップしたかのような楽曲。地霊殿のキャラクターは忌み嫌われた能力を持っていたが為に地底に封じられた危険な妖怪たちである。
東方求聞口授では地霊殿に登場する妖怪たちを含めた地底の妖怪たちのさまざまな対策法が書かれていた。例えば、パルスィの頁では「もし嫉妬に駆られてしまった場合、酒飲んで愚痴ろう」、さとりの頁では「下手な策を打つより、開き直った方が安全だ」と書かれている等、歌詞の内容は実際に稗田阿求が書いた内容と相違ない。「幻想郷縁起」と銘打たれただけあって一人称はやはり稗田阿求なのだろう。
地底に封印されるほど危険な妖怪が敵となっている故か、地霊殿のボスはカッチカチに固く、ボム推奨のスペルカードも多い等、なかなかの強敵揃いだ。パルスィ、勇儀、さとり、お燐・・・。手強いボスたちに苦戦したプレイヤーも多いのではないだろうか。
幻想郷に住む人間たちへ向けた御阿礼の子による言葉「畏れよ しかし 呑まるること勿れ」。これは東方地霊殿の手強いボスたちに挑む我々プレイヤーに向けた言葉でもあるのだろう。東方地霊殿をインストールし、これから暗闇の風穴に潜る予定のプレイヤーにピッタリな一曲だ。
M08.星蓮「ウルワシのベントラー」
原曲:春の湊に
いぇーい!いぇーい!とめらみぽっぷさんのテンション高めな歌声が楽しいポップでコミカルな一曲。UFOと言えばポップ、東方星蓮船と言えばベントラーシステム、ベントラーシステムと言えば東方星蓮船だ。
ふわふわ動くベントラーを取ろうとして弾に当たる、襲来したUFOを倒せなくてアイテムを全部持っていかれる等、ベントラーシステムに悩まされたプレイヤーのあるあるネタを本作の自機となる霊夢、魔理沙、早苗が代弁してくれている。コミック風の歌詞カードは『奉』の中でも飛びぬけた可愛らしさがある。

忿怒や哀愁といった弾幕シューティングプレイヤーの具体的な感情がここまで前に出た楽曲は『奉』の中でも珍しく、今まで紹介した「プレイヤー視点」とはまた違った趣がある。しかし、霊夢と魔理沙の語る忿怒や哀愁は負の感情であり、ベントラーシステムはどちらかといえばプレイヤーにストレスをかける代物だ。
クリアに重要なエクステンドを狙うには赤ベントラーを3つ揃える必要がある上、ベントラーを取ろうとして弾に当たる事故や気まぐれに色が変わるベントラーでなかなか目当ての色を3つ揃えられない、赤と緑で3つ揃えたいのに青ベントラーが邪魔になる等、実際イラっとする場面は多くある。
しかし一方で、上手くいかないからこその上手くいったときの達成感があるといった「ストレスからの解放」もゲームを面白くするために大切な要素だ。ただでさえ難しい弾幕シューティングにベントラーシステムというお助け兼事故要素が加わって難易度がいつもより高めだが、高いハードルこそ超えた時の快感は大きいものになる。
ベントラーへのイライラもゲームを乗り越える頃にはきっと良い思い出になることだろう。次にプレイしたときには感情を揺さぶるベントラーシステムを「こんな楽しいことはない」と思えるのかも・・・?そういった思いがこの楽曲から感じられる。
M09.神霊「死せる哲学の袂」
原曲:デザイアドライブ/小さな欲望の星空
霊界に行ったり来たりを繰り返す東方神霊廟の霊界トランスシステムをアレンジに取り入れた神霊大宇宙的な楽曲。霊界トランスの表現はアレンジだけにとどまらず、ブックレットイラストも霊界トランスに合わせて歌詞の位置とフォントが変化するこだわりが面白い。
6面ボス・豊聡耳神子が幻想郷を漂う神霊の十の声を聞き、哲学の問答をするという内容。人や神霊が欲するものを声として聞く力を持つ神子は今にも消え入りそうな神霊の声を聞きほくそ笑む。この内容は神霊廟オンラインマニュアルにあるバックストーリーとほぼ同じであるため、神霊「死せる哲学の袂」の時系列は異変解決が行われる本編の前日譚にあたる。
そこで神霊は悟るのだった。
我々個々人の、稼ぎたいとか弾幕に当りたくないとか、ましてやスペルカードを使いたいとか、そんな小さな欲を聞き入れる者など幻想だと。
その程度の欲は結局自らの努力無しには成就されないと。
それでも一縷の望みをかけて神霊は一心不乱に闇を進む。―東方神霊廟オンラインマニュアルより引用
バックストーリーでちょっと面白いのが、神霊の欲がまさにプレイヤーの欲になっている点。神霊廟のゲームシステム上、動かない小神霊アイテムを集めるために弾幕をかいくぐって自分から近づいていく必要がある。「小神霊を集めたいけど弾幕には当たりたくない」というプレイヤーの欲望を聞いた豊聡耳神子がほくそ笑んでいる気がしてくる。
M10.輝針「セイギノミカタ」
原曲:輝く針の小人族 ~ Little Princess
主人公ではなく異変の主犯・少名針妙丸の視点で語られるアレンジ。東方輝針城で起こった異変は鬼人正邪が針妙丸に嘘の歴史を吹き込んで下剋上をするよう唆し、小人族にしか扱えない秘宝「打ち出の小槌」を使わせた結果、小槌から溢れた魔力によって幻想郷中の道具や弱小妖怪たちにも力が与えられたというもの。これは幻想郷のパワーバランスの崩壊を狙った危険な異変だった。
嘘だったとはいえ虐げられてきた弱き者の歴史を知り、小槌を手に立ち上がった針妙丸は弱き者の視点では「正義の味方」になる。霊夢AのEDによれば「自分だけ強くなって下克上をする」つもりであり、omake.txtには「復讐を誓う」とあるので、弱者の為の行動というよりは利己的な行動だったようだが。
ブックレットイラストを見てみると、霊夢たちのシルエットがまるで悪役のようで、こちらを背に勇ましく微笑む針妙丸が主人公のように見える立場が逆転した構図になっているのが面白い。霊夢たちが「シルエット」なのは原作のジャケットに描かれる敵ボスを意識しているのだろうか。
本来、プレイヤーから見れば自機キャラクターは主人公、敵のボスキャラクターは悪役になるだろう。だが、輝針城の場合は虐げられてきた弱者の味方につく針妙丸の方に正義があるようにも見えてしまう。打ち出の小槌の魔力によって「プレイヤー視点」が逆さにされている、なんて考えてみても面白いだろう。
M11.「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」 -History 2 / 3-
原曲:テーマ・オブ・イースタンストーリー
説明不要のラストトラック「テーマ・オブ・カーテンファイアーシューターズ」。ゲームクリアを目指す者だけではない、ハイスコアを狙う者、”Next Dream” を望む者、東方をプレイするありとあらゆる弾幕シューターの思いを歌に詰め込んだプレイヤーのためのアレンジだ。
東方はプレイヤーに対して決して優しくはない、実に難しいゲームだ。プレイヤーの目の前には数多の険しい壁が立ちはだかる。3面クリアの壁、4面道中の壁、3面クリアまでノーミスの壁、5面ボスの壁、Normalノーコンクリアの壁、エキストラクリアの壁、Hard・Lunaticの壁、ノーミスノーボムクリアの壁、スコアボード更新の壁・・・。弾幕シューターたちはこれほどの壁を何を原動力にして乗り越えようとするのか。
これら壁の数々を乗り越えた先に見る幻想、すなわち東方をプレイする弾幕シューターひとりひとりに夢や目標があるからこそ壁に挑戦し続けられると云うのだ。「ストーリーを読んで世界観に浸りたい」「推しのあのキャラに会いたい」「あの弾幕を避けきってみたい」「憎いあのキャラを分からせたい」「このゲームだけは極めたい」・・・。弾幕シューターの数だけ壁に挑戦する原動力となる幻想が存在する。かくいう筆者の原動力は「神主の作る音楽がもっと聴きたい」というものだった。挑戦の果てに壁を乗り超えたときの喜びは孤独な戦いに挑む弾幕シューターの心を満たすことだろう。
しかし、東方をプレイするその最初から原動力となる具体的な幻想なんてものはあったのだろうか?少なくとも東方を始めた頃の私はそうではなかった、うまく言えないが、ただなんとなく面白そうだから遊びたかったからプレイしたのだと思う。プレイを重ねる次第に「このゲームはクリアしたい」「壁を越えなければならない」と心に幻想が湧き上がっていく。そうやって変わっていくものじゃないかと私は思っている。
ゲームは所詮暇つぶしの遊びか?プレイする意味なんてあるのだろうか。そう迷うことはあれど、否、今はそうは思わない。ゲームには拳を打ち下ろすほどに真剣に取り組む価値がある。己の幻想を叶えようと何かに挑戦することに価値がないわけがないと。
ゲームを通して心に生まれた幻想、それを信じて1枚のコインをささげる。これはただのコインではない。プレイヤーに幻想を見せてくれる、このゲームに対する「敬意のコイン」なのだ。
◇ゲームと向き合う者/視点と二次創作
書いている内に熱くなってしまい、少々仰々しい物言いとなってしまったが、ゲームを遊ぶってことはそんなに小難しいものではない。ただ好きに遊べばいい、面白くなければそこでやめればいい、ゲームとは元来そういうものだ。
だが思うに、私のようなプレイヤーを熱くさせる ”強さ” が『奉』、いや、「ゲームとしての東方」にこそある。
プレイヤーがゲーム体験から得られる感情、景色、想像力・・・。アルバム『奉』にはありとあらゆる「プレイヤー視点」が含まれている。各整数ナンバー作品のストーリーやシステムを原作から解釈可能な範囲の二次創作として表現し、さらに「プレイヤー視点」を付与することで東方プレイヤーとしての原体験を想起させる。この想起こそが「ゲームとしての東方」、すなわち「東方Project」という弾幕シューティングゲームそのものの ”強さ” を引き出していることに他ならない。故にプレイヤーたちは各々が持つ幻想を想起し、『奉』の「プレイヤー視点」を通して「ゲームとしての東方」の ”強さ” を享受できるのだと。
当然、アルバム『奉』は二次創作故に製作者の解釈が含まれている。例えば、妖々「全て桜の下に」では霊夢と幽々子の弾幕ごっこを目撃した妖夢の内面を描写しているが、これは原作で直接的な描写があったものではない。しかし、これが決してあり得ないわけではなく「そうだったかもしれない」という蓋然性の範疇にある解釈だ。二次創作者によるエゴな解釈ではゲーム体験の想起を邪魔してしまうかもしれない。「ゲームとしての東方」の ”強さ” を引き出すためにあえてノイズを少なめにしていると言えるのではないだろうか。
東方の二次創作でありながら二次創作としての ”強さ” の全てを誰の為でもなく原作に捧げる、それが『奉』なのか。いや、本来の二次創作とはそういうものだっただろうか・・・?二次創作は日陰で好きにやるものだとは思うが、『奉』を聴いているとそういうものだったかと思えてきてしまうほどにこのアルバムは強い。
ただ気になる点として、『奉』が原作プレイ経験があるファンだけがターゲットか?と問われれば、決してそういうわけではないと私は思っている。私はWin版原作ほぼ全作品プレイ済みであるため、未プレイ視点でどう映るかを説いても微妙に外れているかもしれないが、『奉』の持つ「プレイヤー視点」がカギになるのでは?と考えている。
原作をプレイしていない人でも『奉』のブックレットを見ながら楽曲を聴くだけで原作の ”強さ” が伝わるんじゃないかと。例えるならば伊弉諾物資でメリーが蓮子の目に手を当てて夢を共有した時のようなもので、『奉』に用意された「プレイヤー視点」から「東方」を覗き込めば原作が如何に熱いものなのか少しは共有できる気がする。
忠実に原作世界を再現するのではなく、原作を覗くための「視点」を共有する。
日常、未来、過去、精神、服装、食、夢、弾幕、テーマ曲、関係性、出会い、社会、もしもの話、元ネタ、闇、末期・・・。
原作を覗くための多種多様な「視点」が人の数だけ存在し、己が共有したい「視点」を誰かに見せるための「幻想の筒」を二次創作と呼ぶのだろうか。
その中でも「プレイヤー視点」を共有する『奉』はそのまま原作を見せてくれるわけではない。原作に触れたプレイヤーを如何に熱くし、どのように苦悩させ、どのように浄化させるのかを「プレイヤー視点」を通して見せてくれる「幻想の筒」だ。
もしあなたが原作に挑戦してみたいと思っているのであれば、まず『奉』の「プレイヤー視点」を通して東方を覗いてみてもいいんじゃないだろうか。『奉』を聴いてあなたが心を熱くしたのなら「ゲームとしての東方」である原作をプレイしてもきっと熱くなれるはず。
未プレイで『奉』を聴くことは勿論ネタバレなのだが、弾幕シューティングのゲーム体験に関しては実際にプレイしなければ手に入らないものである。なぜならプレイヤーによって立ちはだかる壁も違えば壁を乗り越えた先にある幻想も違っているからだ。
プレイを重ねていく次第に心に湧き上がる「あなただけ幻想」のためにも「東方Project」という弾幕シューティングゲームの壁に挑戦してみてはいかがだろうか。もしあなたが壁を乗り越えた後に『奉』を聴いたならば、今とは違った光景が見られることだろう。
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願わくば「あなただけの幻想」が新たな「幻想の筒」を創る糧となりますように。