Featured in: 綴
track: 5
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: ルシュカ
original title: U.N.オーエンは彼女なのか?
length: 07:00
◇概要
Humpty Dumpty sat on a wall
Humpty Dumpty had a great fall
All the king’s horses and king’s men
Couldn’t put Humpty together again―『Demon Strundum』の冒頭より引用
『ハンプティ・ダンプティ』の童謡より始まるこの楽曲は2010年に『Melody Memories/ふぉれすとぴれお』に収録され、その約1年後にRDWL-0007『綴』のトラック5として再録されている。
初登場から16年が経とうとしているが未だ東方ファンからの人気が根強い『フランドール・スカーレット』を主題とした楽曲であり、彼女のテーマ曲『U.N. オーエンは彼女なのか?』も彼女と同様にトップクラスの人気を誇る原曲だ。
そんな人気とは裏腹に、情緒不安定、気がふれている、495年もの間館に閉じ篭っている、と彼女の設定はなかなか闇が深い。いや、その闇こそがファンを惹き付ける要因となっているのかもしれない。
本楽曲についての解釈を綴るにあたって、『ハンプティ・ダンプティ』と”英語の綴り”について、この2点に着目したい。
◇エニグマティクな童謡
フランドール・スカーレットが初登場した『EXTRA STAGE 東方紅魔狂 ~ Sister of Scarlet. 』では、『かごめかごめ』、『Ten little indians』といった童謡の要素が登場する。
『かごめかごめ』はスペルカード禁忌「カゴメカゴメ」として、『Ten little indians』は魔理沙とフランドールの会話に登場している。

『Ten little indians』といえば、アガサ・クリスティー作の推理小説『そして誰もいなくなった』の題材として有名であり、この小説は言うまでもなく秘弾「そして誰もいなくなった」の元ネタになる。
『かごめかごめ』と『Ten little indians』は国も文化も違う童謡ではあるのだが、両者に共通して言えることがある。それは童謡の裏側に隠された謎、なぜこんな童謡が作られたのか、何を暗喩しているのか、・・・都市伝説とも取れるような憶測・解釈・考察の数々がこれらの童謡に存在することである。
余談になるが、他にも『とおりゃんせ』、『はないちもんめ』、『ロンドン橋落ちた』などなどエニグマティクな童謡が数多く存在する。子供らが遊び謡う歌であるはずが、なぜこうも闇の深い解釈が湧いてくるのかは全くもって謎である。
話が逸れそうなので本題に戻る。
先述の通り、『Demon Strundum』の冒頭で『ハンプティ・ダンプティ』という童謡がオーエンのメロディーにのせて歌われている。日本ではあまり馴染み深い童謡ではないが、英語圏の各国においては有名な童謡のひとつとして知られている。一般的に『ハンプティ・ダンプティ』は卵に手足が生えたようなコミカルなキャラクターとして描かれている。
内容は、「塀に座っていたハンプティ・ダンプティは落っこちてしまった。王の家来達が総出でかかってもハンプティ・ダンプティを元に戻すことはできなかった。」というよく分からない話。
割れた卵は元に戻らない。「覆水盆に返らず」とでも言いたいのだろうか?
しかし、よくよく考えてみると、歌詞からしても『ハンプティ・ダンプティ』が卵であることを明確には歌われていない。卵ですらない可能性もあるとなると、更によく分からない歌詞になる。
・・・どうやら調べてみると、この童謡は『ハンプティ・ダンプティ』とは何なのかを当てる「なぞなぞあそびの歌」ということらしい。
その昔、『ハンプティ・ダンプティ』を聴いた人々はそれを”卵”だと考えたのだろう。その後、ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』を代表とするような創作に、しばしば卵の姿として描かれるようになることで一般的に浸透するに至ったようだ。
フランドールは遊びの一環として、なぞなぞあそびの童謡『ハンプティ・ダンプティ』を持ち出した、ということだろうか?
遊びたがりやフランドールのために、この楽曲のなぞなぞについて、深く考えてあげたいと思う。
◇ハンプティ・ダンプティの”かばん語”講座
slithyという言葉は、litheでslimyことだ。2つの意味が1つの言葉に詰め込まれたこの言葉は『旅行かばん』のようだろう。
―『鏡の国のアリス』ハンプティ・ダンプティのセリフより
ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』にハンプティ・ダンプティという卵のキャラクターが登場している。
彼は、意味が異なる2つの単語を組み合わせて作られた2つの意味を持つ1つの単語に対して、”旅行カバンのような”と比喩している。こういった混成語を彼のセリフから因んで「かばん語(portmanteau word)」と一般的に呼ばれている。
例えば、フランドールのスペルカード禁弾「カタディオプトリック」の “Catadioptric” は反射 “Catoptric” と屈折 “Dioptric” を組み合わせた「かばん語」であり、カタディオプトリック式望遠鏡とは反射屈折式望遠鏡を指す。
他にも、フランドールの綴り”frandre”を、狂乱を表す形容詞”frantic”と恐怖を意味する名詞”dread”を組み合わせた「かばん語」として捉えることも可能か?
こういった2つの単語から成る混成語「かばん語」を用いて、『Demon Strundum』に隠されたなぞなぞを解いていきたいと思う。
まず、本楽曲の歌詞中にはスペルミスと思わしき箇所がある。
“desteny“と”Ovbiously“だ。
この2つの単語について、「かばん語」を用いて解釈をしてみる。
“desteny“とは、運命を意味する単語”destiny“のスペルミスに思える。Google先生も「もしかして:destiny」と聞いてくるほどだ。これをかばん語で解釈すると、運命の“destiny”と否定の“deny”を組み合わせて“desteny“なんてどうだろうか?この「かばん語」の意味は「否定された運命」。なんだかそれっぽい感じになったのでは??
この調子で”Ovbiously“は、「明らかに~」という副詞“Obviously”と「過度な~」といった意味の前置詞“Over”を組み合わせて“Ovbiously”、「度を超えて明らかに」という意味でどうだろう?これは少し強引かもしれない。
この「かばん語」、考え出すと結構楽しくなってくる。
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タイトルの『Demon Strundum』について。
“Demon“は悪魔を意味する単語だが、”Strundum“は辞書に載っていない造語である。証明終了を示すラテン語”Quod Erat Demonstrandum(Q.E.D)”に因んだ命名であると見るのが自然であるが、①”Demon“が空白スペースで切り離されている点、②aとuの1文字が違っている点が気にかかる。
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①”Demon”が空白スペースで切り離されている点
タイトルが悪魔を意味する”Demon“と”Strundum“に分けられている点は、やはり「悪魔の証明」を意味しているのだろう。かばん語として解釈すると、悪魔の”Demon”と立証の”Demonstrandum”の混成語と言えるだろうか
ちなみに「悪魔の証明」は英語で”Devil’s proof“。
・・・本楽曲の歌詞に“proof“という単語があったはずだが・・・?
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②aとuが一文字違っている点
これをかばん語を使って解釈するなら、立証を意味するラテン語“Demonstrandum”と「警告」「奇形」などを意味するラテン語“monstrum”とが混成され『Demon Strundum』となる、というのはどうだろうか?
“monstrum“は怪物を意味する英語”monster“の語源にあたるラテン語で、警告や奇形以外にも「正体は分からないが、存在を感じる不可解なもの」という意味合いも持っている。これらの”monstrum“の意味からはフランドールのイメージに近しいものを感じられるだろう。
この”monstrum“と”Demonstrandum“を意味を合わせて「不可解なものの証明」といった意味になるか?
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①と②をまとめると、立証“Demonstrandum”、悪魔“Demon”、不可解な存在“monstrum”、この3つの単語を混成させた「かばん語」、『Demon Strundum』として解釈できるのではないだろうか。
そして最後にもう1つ。これは「かばん語」とはまた違うのだが、”Demonstrandum”のaをuに変えることで”Demontrundum“となり『U.N. オーエン』がタイトルに浮かび上がる、といった解釈もできそうだ。
「かばん語」で遊ぶのは一旦ここまで。こじつけて考えるのがなかなか楽しかった。
フランちゃんまた遊ぼうね。バイバイ。
そしてフランドールは一人になった。
◇ブックレット
鏡に向かうフランドール、そして右側より手を差し伸べるレミリアと思わしき人物の影が床に伸びている。地下室と思わしきこの部屋には、赤い靴の入った鳥籠、割れた生卵があり、右上の壁に『ハンプティ・ダンプティ』の歌詞が書かれている。
『綜纏 Vol.1』にて、「”鳥かごに入った靴”は外に出ないことの象徴のようだ」と、はなだひょうさんは語っている。
ブックレットイラストは『綜纏 Vol.2 二旅』に収録。本来ならば歌詞に隠れてしまっている鏡に映ったフランドールの表情を見ることができる。
そして気づく、鏡に映ったフランドールの表情が鏡を前にしたフランドールのものと違っていることに。
◇雑記
結局、『Demon Strundom』は「姉妹愛の証明についての歌」ということでいいのだろうか。
歌詞の内容をストレートに考えるのならば、「姉レミリアからの愛に渇望していた妹フランドールは、私たち姉妹は相容れない運命だと諦めていた。アイツそういう能力持ってるからね。いじけたフランちゃんは姉妹愛など全くなかったことを証明しようとするもこの命題は悪魔の証明なのでいつまで経っても証明できないまま恋の迷路に迷う。しかし、やっぱり愛があることを証明したいけどフランちゃんにはそれを直接確かめる勇気がない。そんな中、レミリアお姉様から手を差し伸べられ名前を呼ばれたことで姉妹愛の証を証明できた。やったね!フランちゃん!」、といったストーリーだろうか。
しかし、やはり鏡の中のフランドールが心に引っかかる。フランドールの内面にある狂気と慈愛の二面性を表しているのか、禁忌「フォーオブアカインド」を使って虚しくも一人で姉妹愛劇場を上演していたのか、真相は不明である。
『Demon Strundum』における『ハンプティ・ダンプティ』とは何だったのだろうか。このなぞなぞの答えは”proof“のように思えるが、そうだとすれば一度割れた愛の証は元には戻せなかったのではないか?本当にフランドールの小さな勘違いだったのではないか?
「もう、コンテニューも必要ないよね…?」とフランドールは思っているが、”覆水盆に返らず”。
実はスカーレット姉妹の愛を元には戻せなかったのではないか?、とも解釈できるかもしれない。