
第20回例大祭にて頒布された凋叶棕新譜『Q』を聴きましたので感想を書きました。完全に私のエゴですが、あくまで感想なのでご容赦ください。
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本記事にはネタバレが含まれておりますので閲覧の際はご注意ください。アガサ・クリスティー著作品のネタバレも少しだけ含みますので、アガサ・クリスティーを今から読む方もお気を付けください。
◇アルバムタイトル『Q』、テーマ「???」
今作においては前置きは不要と判断しました。とにかくこちらの動画です。
この『まえがき』にはアガサ・クリスティー著『アクロイド殺し』を彷彿とさせる語り手「わたし」が登場します。
アガサクリスQの未発表作品群を入手したという「わたし」が何者なのかが気になるところです。しかし、アルバム『Q』がこの「わたし」の正体を巡って推理作品におけるフェアさを議論する作品なのかと言われればそうではないと私は思っています。
この『まえがき』で問いかけられた謎は「わたし」が何者かではなく、「Qは何を遺そうとしたのか」「なぜこれを遺したのか」「Qとはいったい何者であったのか」です。この3つの謎こそ『Q』の核なのではないかと思っています。
「Qは何を遺そうとしたのか」「なぜこれを遺したのか」。このふたつの謎に対する解は明確には分かりません。
しかし、この「Qとはいったい何者であったのか」の謎に対する解を私は既に知っています。『Q』を聴かずとも解かずとも、東方鈴奈庵を読んだ人であればその正体を知っているはずです。
そう、『アガサクリスQ』の正体は……。
”Q” とは一体何を指すのか?遺稿に込められた意図とは?己のエゴのままに謎を解き明かそう!
今作のテーマは「???」と表記されています。この表記である意図はテーマが「謎」だからこそクエスチョンマークが3つ並べられているのか、あるいは何か別の単語が入るのかと思っていましたが、蓋を開けてみると「そうきたか・・・」という感じです。
稗田阿求の別名義「アガサクリスQ」が書いた作品そのものを東方アレンジとして表現しており、神主の創作の中に登場するアガサクリスQの創作の二次創作という何ともややこしい構造をしています。作中作の作者って誰になるんでしょうね?この場合、アガサクリスQとも言えるし、神主とも言えるし、その両方とも言えますよね。アルバム『Q』は「その両方」が垣間見える作品だと感じました。
ただ単にアガサクリスQの作品を二次創作として表現しているだけでなく、「アガサクリスQの作品がどのように幻想郷の世界にあるのか」という観点においても想像力を刺激する作品になっているのが大変良いなと思っています。
「アガサクリスQ」のオマージュ元、「アガサ・クリスティー」のモチーフが『Q』の節々に含まれているように思います。ミステリの女王としての推理作品群だけでなく、メアリ・ウェストマコット名義のロマンス作品群、さらには彼女の人生すらも思わせるような要素がたくさん含まれているような気がします。そういえばウェストマコット名義もとある理由で秘密にされていましたね。
今作は推理モノの形式をとっているように見えますが、実際には各楽曲の犯人は丸分かりです。原曲である程度分かりますし、イラストも見れば一目瞭然ですし、古畑任三郎形式や刑事コロンボ形式ってところでしょうか。そもそも魔法探偵マリサらしき人物が犯行を目撃していますからね。これ本当に推理モノなの???って感じです。
しかし、「犯人は誰なのか」「なぜ犯行に至ったか」「どのようにして殺害したか」はあまり重要ではないと感じます。
冒頭で述べた通り「なぜアガサクリスQはこれらの作品を遺したのか」といった謎に焦点を当てて考察していく行為が本作の核のように思います。「稗田阿求が何を考え、何を思って、何を遺したいと思ったのか」、彼女の生い立ちや境遇からそれを想像しながら聴くと『Q』の良さがじわじわと分かってくる作品だと私は思いました。
◇今年の例大祭が20回目という事実
神主が体験版を頒布すると聞いたのでの例大祭に一般参加してきました!20回って、もう、そんなに!?!?!?
感想としては「こんなに雨降ってるのに人いっぱいで良いな!!!」ってなりました。会場内の人間弾幕が復活し、ようやくイベントの雰囲気が戻ってきたなと感じます。参加する前は「まだそんなに人多くないかな」と侮っていましたが、通路の混雑でサークルさんを回る動線を余儀なく変更するなどもあり、そういうのも含めてイベントの醍醐味だなと思い出させてくれたのが良かったです。
今回の例大祭も神主の手渡しで体験版入手できましたし、満足度の高いイベントになったと思います!!!虹セプ闇市場獣王園体験版と3連続で神主手渡しってなかなかの強運では???
さて、獣王園体験版をプレイして温まってきたところで新譜『Q』を開封していこうと思います。そういえば今回の凋叶棕のスペース、柱の横なので割と分かりやすかったですね???
まずは外装剥く前に帯と裏面を確認するんですよ・・・!
このチェッカー柄は小鈴ちゃんっぽい感じをイメージしているのかな?
外装をはがしてケースを開けます。
Qがいる。
CDレーベルの英文が分かるような分からないような感じで「???」。2つに分かれてるのが何かあるようです。
CDを外すと右にアQ、左に阿求。
もしかしてCDが収まる向きから考えるとレーベル英文って白背景黒文字の方が阿求、黒背景白文字の方がアQってことなのでは?
ドライブにセットして曲数確認!!!
10!!!
◇楽曲の感想
まえがき+全8篇のアレンジ+あとがきで構成された全10曲のアルバムのようですね。
今作はアガサクリスQの推理小説がモチーフになっているようなので初見時はブックレット読みながら聴きました。ふぉいもるの『ファンタジア』のナレッジを活かしています。
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*. まえがき
真犯人は語り手の「わたし」だ!!!!!!!!!!!!
違いますか。そうですね。でも、そう思ってるのは貴方だけかもしれません。
それは置いといて、この『まえがき』で流れる音楽はこの先何度か流れます。次の楽曲もそうですし、編纂室でもそうですよね。私は最初、魔法探偵マリサのイメージかと思ったんですが、編纂室を考えるとそうでもないようです。「わたし」が何者なのかは諸説ありそうですが、私はあるひとつの真実を確信しています。詳しくは編纂室のところで述べようと思います。
ところで、探偵のテーマ曲って世の中にいっぱいありますよね。しかし、どの探偵でも同じような音楽ではなくって、テーマ曲にその探偵の個性が出るものだと思ってるんですよ。見た目は冴えない格好のおじさんなのに実は並外れた洞察力を持つとか、襟足が長くていつも黒い服を着た警部補とか、見た目は子供頭脳は大人とか。アニメにしてもドラマにしても探偵主人公って大体キャラクターが濃いですよね。なんとなくではあるんですが、曲の雰囲気はどことなく某教授っぽさがあると思いませんか?もちろん気のせいかもしれませんが、音とリズムが特徴的なのでそんな感じがしました。
M01. 迷Qの旋律
イントロが『まえがき』と似ている・・・?妙だな?
それはともかく。
いつものオープニング枠のインストアレンジのようです。
タイトル、原曲、楽曲そのもの以外に情報はなく、何をイメージしているのか察するのはちょっと難しい感じです。おそらくこの楽曲もアガサクリスQの作品をイメージしたものだと思うのですが、どういう作品をイメージしているか具体的なところまではちょっとわからないです。私の脳内では探偵が舞台に表れるシーンから徐々に事件の謎に引き込まれていくような抽象的なイメージが浮かびます。
ハーモニカっぽい音が良いんですよね。このハーモニカはなんとなく「探偵」や「謎」をイメージした音のように感じます。「謎」そのもののイメージでありながら「謎」を解き明かそうとする探偵のイメージのようでもあるって感じです。QED1のメロも考慮すると『Q』におけるメインテーマのひとつと言えるアレンジだと思います。
M02. 咲き損ないの花
紫咲ほたるさんボーカル!日本の推理作品でよく見られる館モノっぽい雰囲気があり、独特の閉塞感やどろどろとした人間関係みたいなものが音楽に表れているのが良い感じですね。ほたるさんの歌い方も良くって、冷ややかでありながら深い負の感情も感じさせられるのが楽曲の雰囲気にとても合っています。
アガサ・クリスティーといえば毒殺のイメージなんですけど凶器は何でしょうね。アガサクリスQが被害者なのは分かるのですが、どのように殺されたのかはちょっと難しいです。イラストを見ると毒殺のようであり、血の付いたハンマーやナイフが握られているのもありで実行犯が誰なのか断定できません。ハンマーやナイフは調達がそこまで難しくなさそうですし、毒物は稗田家で縁起物として飾られるアセビが使われた可能性が考えられそうです。稗田阿求が使用人全員に恨まれ妬まれされていたと考えれば、おそらくオリエント急行と似たような殺人方式だと思います。
稗田家の使用人は記憶する幻想郷よ東方鈴奈庵で登場しますね。特に鈴奈庵ではたびたび登場し、お茶くみさせられてたり、クシナダカクテルの準備を手伝わされていたりと割とこき使われてる感じに見えます。小鈴に対して自分の知識を鼻にかけるような彼女なので使用人の鼻につくようなこともあったかもしれないですね。
タイトルの意味も考えると「御阿礼の子になり損ねた稗田家の血縁の者は御阿礼の子に使用人として仕える風習がある」といった背景を加えているのかもしれないですね。実際に稗田家にそういう風習があるかとか設定がどうとかは重要ではないです。あくまで作中作という幻想郷の中のフィクションですから阿求のさじ加減でどうとでもなります。
阿求はどうしてこの作品を遺したのでしょう。もし使用人たちが稗田阿求=アガサクリスQと知っているのなら「御阿礼の子としての役割を背負いながらアガサクリスQという遊びにかまけている」と使用人たちの目にはそう映るのだと思います。故に阿求は「Qは使用人たちに殺されるべきだ」と考えたのではないでしょうか。
ちなみに赤文字には触れません。理由は後述します。
M03. 星空に消ゆ
『星降る天魔の山』アレンジキタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
めらみさんの声がほんと美しい!『星降る天魔の山』の原曲の美しさを前面に押し出したピアノアレンジとめらみさんの声の相性が良すぎます!原曲イントロの胡散臭いパートがラストパートを盛り上げていてなんかすごいアレンジに!ちなみに最近、私はズナマルがキャラとして結構好きです。例大祭でも新刊サーチ対象になっていたくらいには気になっています。酔蝶華のズナマルめっちゃよくないですか???
アガサクリスQと天狗と言えば、東方文果真報の『MはMで死ぬ』ですよね。殺人兵器「シューカンシ」によりフェイクニュースに取り上げた対象を再起不能にして殺すという風刺に富んだ手段を使っています。天狗組織は非人道的な巨悪のように描かれており、主人公である魔法探偵マリサは天狗に対抗する組織「フラットノーズ」に属しているという設定です。おそらくですが、アガサクリスQはシューカンシの餌食となったのだと思います。
アガサクリスQがシューカンシのネタになる汚点ってありましたっけ?真実でなくとも別の真実を作り出せばいいだけではありますが、天狗はアガサクリスQのどういった真実を事実にしたのでしょうね。例えば「天狗に不都合な虚偽を広めたためにシューカンシによってアガサクリスQの正体を大衆に晒されて死亡した」とかですかね。ただ、あくまでフィクションの中なのでアガサクリスQの正体が稗田阿求とも限りませんし、創作の中のアガサクリスQの正体がどうなってるかは謎です。
やはり、気になるのはなぜこれを遺稿として残したのかですよね。おそらくそれはフィクションとノンフィクションに答えがあるような気がします。幻想郷縁起を編纂する阿求の使命は重いです。人間の安寧、妖怪の力、幻想郷そのものを存続させるために「幻想郷縁起」に書かれた内容は正しくなくともフィクションと確定されてはならないものです。一方でアガサクリスQはフィクションを扱い、Qの行いは幻想郷に架空を広めるようなものと言えます。阿求は「フィクションを創作してはならない立場であるにもかかわらずQは架空を広めた罰として天狗に裁かれるべきだ」と考えたのかもしれません。
ところで、東方鈴奈庵作中にて阿求は「真実は無限に存在する」と述べています。『星空に消ゆ』において「真実は空の星のように無限に存在する」と無限の真実が広がる現世を「星空」に例えているように思うんです。また、阿求は「自分で最適な真実を選ばなければいけない」とも述べています。これは小鈴への言葉です。この言葉の意味こそ『Q』は重要なキーワードとなっている気がします。
M04. 霧の中の怪異
mikoさんボーカルの妖精アレンジ第二弾!mikoさんの声と妖精の相性が良いというのは分かっていたのですが、「こっちへもう一歩」からの「さあおいでよ。」のコミカルでありながら危険な香りがする感じが良いですよね。若干のホラー成分。
『夜だから眠れない』はかなり好きな原曲なのでメロがちょっと出るだけでもうれしくなっちゃう!はなだひょう大先生の描くブックレットイラストがなんかもうすごく綺麗で素敵!モノトーンなのに輝いて見えるの凄くありませんか?!
妖精たちがいっぱいいますね。チルノに、光の三妖精に、大妖精に、ひまわり妖精やメイド妖精もいますね。妖精に誘われるままに鏡のように凍った霧の湖を渡っているアガサクリスQという状況のようです。アガサクリスQは霧の湖に何の用があったのでしょうか。夜の霧の湖を一人で訪れるなど自殺行為ですし、目的が分かりません。もしかすると自殺そのものが目的だったのかもしれませんね。自殺に見せかけた他殺のようで実は自殺だった、みたいな???結果的には行方不明と扱われているようですが。行方不明といえばアガサ・クリスティーも謎の失踪事件を起こしていましたね。
「霧」というキーワードからいろいろ考えたんですが、「Qは迷っていたのかも?」と思うんですよ。いや、本当に道に迷っていたというわけではなく、アガサクリスQの正体をどうすべきかを迷っていたんじゃないかと。最終的には行先は「霧の中に消えること」を選んだように見えます。アガサクリスQは謎を遺して霧の中に消えてしまう、その選択の意味するところが「なぜこれを遺したのか」の答えにつながるような気がします。
そういえば、「鏡面」「罅」で思い出したのですが、アガサ・クリスティーの『鏡は横にひび割れて』ではそのタイトルの由来となったシャロット姫の話が引用されます。
塔に閉じ込められ機を織り続けるシャロット姫は魔法の鏡を介してでしか外の世界を見ることはできません。もし外の世界を直接見てしまうとシャロット姫に呪いが降りかかってしまうのです。最終的にシャロット姫は外の世界への憧れを止めることができずに自ら呪いを受けてしまうのですが、そんなシャーロット姫と阿求が重なるような気もするのですね。
己の使命から逃げ出すことで呪いを受けてしまう、これはアガサクリスQという遊びの死を意味しているようなそうでもないような気がします。阿求にとってアガサクリスQは遊びでもあり、悪戯でもあると考えれば「Qは妖精の同胞」というのは納得できると思うんですが、どうでしょう?
M05. weary monster
ラップのような韻の踏み方なのに歌われてる内容が激重なEDM(Vo:紫咲ほたるさん)という新感覚プレインエイジアアレンジです(?
なにやらアガサクリスQのメンタルがだいぶやばいことになってそうな感じじゃないですか。Qちゃん慧音の歴史を食べる程度の能力で殺してもらおうとしてませんか。やはりアガサクリスQの遺稿は全体的に自己否定が大きな要素としてあるようで、特に『weary monster』はそれが強い気がします。横のイラストとの温度差 is 何???
一人称は上白沢慧音っぽいですね。為政者のために能力を振るい、今では幻想郷の人間のために能力を行使しており、常に誰かのために頑張っているイメージがあります。人間が大好きな彼女にとってその行動は苦ではないのかもしれないですが、どこか自己犠牲的な暗さを感じさせられます。この話はこのブログの記事でも同じようなことを書いてましたっけ。
誰かのために血に塗れた歴史を食らってきた白沢の苦しみ。為政者か誰かのために別の人間の歴史を食らい、その人間の存在を無かったことにすることもあったのかもしれません。そういった行為の繰り返しは人間が大好きな彼女だからこそ「うんざりしてしまう(=weary)」ということなのかもしれません。今回の事件ではアガサクリスQのために力を行使し、Qに乞われるがままにQを殺害したのだと解釈しています。
なぜQは死を望んだのでしょうか。歌詞の一人称と思われる慧音が語る内容は稗田阿求にも重なる部分が多くあると感じます。この歌詞で語られた内容こそ死を選ぶ理由だったとも解釈できそうです。
御阿礼の子の宿命は「他の誰かのために能力を行使させられている」という境遇にも思えます。他にも「逡巡と矛盾」という部分でも共通点がありそうです。人間と白沢のハーフ妖怪でありながら人間側に立つ慧音は矛盾した存在とも言え、人間のためでありながら妖怪のためでもある幻想郷縁起の編纂をする御阿礼の子にも通ずるところがありそうです。しかし、これらの共通点は慧音と阿求の間にあるもので慧音とQにあるものではないです。これだとQではなく阿求が死を選んでしまう気がします。
アガサクリスQの立場でアガサクリスQをフィクションとして描くつもりが、アガサクリスQの立場で稗田阿求を描いてしまっているとそんな風に見えます。御阿礼の子とアガサクリスQの二面性が慧音と重なるというのはあるかもしれないですが、阿求がその二面性に深刻な悩みを抱えているかでいえばそうでもない気がします。死を前にした阿求がつい筆に力を入れてしまった結果、御阿礼の子としての自分の思いを書きなぐってしまったのだと私は解釈しています。
かのアガサ・クリスティー女史も執筆した作品の中で自身とよく似た境遇の人物を登場させることがあります。なんとなくそういう作風を意識している気がしないでもないです。
M06. Murdered by M
これはあくまでQが思う巫女のイメージであって博麗霊夢個人を表現したものではないと思うんですよ。巫女も殺しも何とやらと言ったりしますが、巫女がそうなのであって博麗霊夢がそうとも限りませんし。そもそも東方文果真報の『MはMで死ぬ』で出てきたレイムは博麗霊夢本人ではないんですよ。実際にレイムは作中でバールストンギャンビットやってましたし、『Mudered by M』もレイムが実行犯なのであって博麗霊夢ではないんですよ。良い子のみんなは分かりましたか?
99%くらい博麗霊夢じゃねーかよ!(ブックレットを見た)
実際これは難しい問題で「作中の人物を模した作中作の人物が作中の人物と同一と言えるのか?」ってやつですね。創り物のフィクションの世界でその外側にいる世界の人物を模して登場させるって罪ですよね。しかも、元となった本人のイメージを損なうような創作を大衆の面々に晒してしまうのは本人からしたら堪ったもんではありません。レイムはそれに腹を立ててアガサクリスQを殺害したのではないかと思います。あれ?この話って二次創作の罪にも似ていますね?
アガサクリスQの他にも潜入人形師の禍井戸亜梨珠、動かない情報屋の八里知子、魔法探偵マリサがレイムにより殺害されてますね。文々春新報が発売中止になった影響で『MはMで死ぬ』はお蔵入りになっていますし、もしかしたらこれは『MはMで死ぬ』の続編なのかもしれないです。あのあと天狗のシューカンシ攻撃を食らって死ぬ予定だったレイムが実は生きていてアガサクリスQを殺し ”そして誰もいなくなった” みたいなストーリーって感じなのかなと思いました。…たぶん。
まあそうですね。巫女も殺しもちょっと似てるというのは。いつも妖怪を暴力的な行為でボコして回ってますし、普段でもやってることは悪役側ですよね。別に妖怪退治が巫女の本分ではないし、もはや妖怪退治が趣味みたいな感じになってるじゃないですか。正体バレバレなのにこんな自信満々なのも頭が春ですよね。本人に自覚はないのでしょうけど。
おっと、レイムはあくまでQが創ったフィクションの存在で博麗霊夢とは別の存在でしたね。これは失礼。
・・・でもリアリティはあるので99%くらいは博麗霊夢だと思いますね!デタラメから出たリアリティ!
博麗霊夢が可愛いというのは真実(?)ですが、このデフォルメの効いたレイムがすごく可愛いですね。何なのそのポーズ?自分のこと可愛いって分かってやってんじゃないの???
M07. まぼろしの友達
これ、小鈴・・・。
いや、どうなんでしょうね。
本当にいたのかもしれないですよ?アガサクリスQにイマジナリーフレンド。アガサ・クリスティーも小さい頃にイマジナリーフレンドがいたって話もありますし。
イマジナリーフレンドに語りかけるような歌詞がなんとも切ない。まるで誰かを諭すようでもあり、誰かに謝っているようでもあり、友達に残した個人的な遺言のようでもあり、読んでいるだけでも胸が締め付けられます。
一人称が謎ですよね。今までの5作品はアガサクリスQを殺した犯人側の歌詞が書かれていましたが、『まぼろしの友達』だけはアガサクリスQが一人称に思えます。なぜ『まぼろしの友達』だけは違うのでしょうか。おそらく『まぼろしの友達』においてはアガサクリスQが犯人だからなのかもしれません。もしそうだとすればアガサクリスQは誰を殺したのでしょう。まぼろしの友達を手にかけるというのも・・・。
いや、もうやめましょう。多分考え方が違うんですよ。この『Q』においては。
6つの事件全てを探偵役であるマリサが目撃しており、犯人も一目瞭然となっている推理モノともつかない物語においてはそもそも「誰が犯人で誰がどのように殺したか」はさして重要ではないでしょう。重要なのは「なぜQはまぼろしの友達と心中する必要があったのか」、「なぜQはこれを遺したのか」です。
『判読眼のビブロフィリア』が原曲となっているので本居小鈴がモデルなのだとは思うのですが、ブックレットイラストの服装は小鈴のそれではないようです。今までの楽曲では天狗も妖精たちもそのままの姿で登場していました。なぜ『まぼろしの友達』だけは小鈴の姿がはっきりと描かれていないのか、意図的な何かがあるように思います。
例えば「本居小鈴を100%モデルとした登場人物を創ることを避けた」とか?
これらの遺稿は最初から誰かに託される予定だったのではないかと思うのです。稗田家の出版物を印刷する業者に渡るというのも予想が難しい話ではありませんし、おそらくはそこが理由になっている気がします。恥ずかしかったんでしょうね。あるいは、選択を託してしまった友達への罪の意識からそうできなかったのかもしれません。
イマジナリーフレンドって創作のひとつだと思うんですよ。幼い頃に初めて創作した幻想の登場人物のような、なんというか特別な存在だと思うんです。
ここからは完全に私の妄想です。
稗田阿求の幼い頃にイマジナリーフレンドがいた。選ばれた特別な少女だったが故に同世代の友達が少なく、年の離れた使用人としか遊べなかった。そんな環境だったからこそ、妄想の中でイマジナリーフレンドを創作して一緒に遊ぶようになった。まるでジャケットの裏の小鈴と阿求のイラストのように。
しかし、面影があったのか、後に出会った本居小鈴にイマジナリーフレンドを重ねてしまった。
イマジナリーフレンドと小鈴が混ざった妄想の中で創り上げた特別な存在。
そして、稗田阿求のフィクションの中のアバター、アガサクリスQ。
その二人が心中することの意味は、もっと一緒にいてほしかったから・・・?
御阿礼の子は死後、生前に得た記憶の大抵は消え、百年余りの時を地獄で過ごした後、再び幻想郷に身体を得て転生します。もちろん次の時代に小鈴はいません。アガサクリスQの作品は誰も覚えておらず存在しないかもしれません。阿求にしては子供じみた願いにも思えますが、『まぼろしの友達』という遺稿は死を前にした最期のエゴだったのかもしれません。
M08. 哀Qの旋律
『Q』のエンディングのようです。
重いアルバムを駆け抜けて優しいピアノと弦で迎えられるのはちょっとした安堵を感じさせます。
”哀Q” とは ”哀泣” を指していると思いますが、どちらかといえば理性的な音に聴こえます。「哀しく泣いている」という割には落ち着いているというか、哀しいながらも運命を受け入れているような感じがします。なんとなく。
これもオープニングと同じく何をイメージしているのか察するのはちょっと難しいです。ただ、例のQED2のメロ以外にも『あとがき』のイントロのメロが少しだけ流れるんですよね。友達の死に悲しんでいるけど、何か見落としているような謎を残しているような、そんな感じです。
私の脳内イメージとしては「アガサクリスQを救えなかった探偵は彼女の死に哀しみながらも、ふと何か見落としているのではないかと少し考え込んでいる」、そんなシーンが浮かびます。
*. あとがき
なかなか重要そうなことが語られていますね。
東方鈴奈庵でも同様のことが語られている通り、怪力乱神が当たり前の幻想郷では普通の推理作品は成立しにくいのです。壁抜けも時間操作もアリならばトリックなんてどうにでもなるし、分身も変身も自由自在ならば犯人やアリバイもいくらでも捏造できてしまいます。博麗霊夢はアガサクリスQを読んで犯人を当てようと躍起になってましたがね!
『まえがき』にも書かれていた「なぜこれを遺したのか」が重要なのだと念を押すように語られています。意味深ですね?
音楽面では謎を残して終わるエンディングみたいなイメージがあり、イントロから流れている4音が心の中の引っ掛かりを煽っているような感じです。『迷Qの旋律』にもあったハーモニカの音も入っていたりと「謎」を煽る感じが良いですね。
編纂室
聴き終わったので編纂室にお邪魔しています。
各楽曲に合わせた『哀Qの旋律』のアレンジが素敵ですよね。やはりレイムはギャグキャラ枠ってことですかね!
さあ、考えをまとめましょうか。
まず最初に「わたし」が誰なのかについて、私の解釈を述べましょう。
アガサクリスQが執筆していた段階では魔法探偵マリサが「わたし」だったのではないでしょうか。それを編纂者により手を加えられた結果、魔法探偵マリサの視点と編纂者の視点が混ざってしまったと考えました。『まえがき』『あとがき』と編纂室のメモのフォント(筆跡?)が同じですからね。『まえがき』と『あとがき』を書いた際に編纂者のメモを書いた人物と同じだと考えました。
編纂者はある伝手でQの未発表作品群を入手しています。Qは稗田家の人間ですし、遊びで執筆されたものだとしても幻想郷にとって重要な役割を持つ稗田家の文書が関係者外に流れるとは思えません。つまり、編纂者は稗田家と関わりのある者、例えば稗田家の文書の印刷・製本を担う業者などであれば納得がいきます。
まあ、QEDを聴いた上でここまで考えるまでもないかもしれませんが、貸本屋でありながら小規模な印刷製本も行っており、稗田家から「幻想郷縁起」の印刷・製本を任されている鈴奈庵、特に阿求と個人的な交流もあった鈴奈庵の娘、本居小鈴が編纂者であり、「わたし」なのだと解釈します。
歌詞に登場する赤い強調は何だったのかについて。
これらの赤文字はアガサ・クリスティー作品も含めミステリ作品で多用される手法「レッドヘリング」だと判断しました。本筋とは関係の深くないものを意味深に強調してミスディレクションを誘う、要は『謎』に沈めるための釣り餌だと思っています。ミステリを読む際に傍点で強調された部分がやたらと出てくると推理のノイズになるので個人的に好きじゃないんですよね。ああいうのは序盤から強調するものではなく、終盤にすべきで、、、おっと、これ以上言うとただの愚痴ですね。
レッドヘリングだと判断した理由は推理の材料を揃えた上で考えても私は分からなかったからです。できる範囲で情報を揃えても分からないのであれば私にとっては「フェア」ではなかった、とも言えます。まあ実際、特に回収されない謎の強調って出てきますし、ミステリとしては気になりません。
アガサクリスQ、もとい稗田阿求はなぜこれらの遺稿を遺したのかについて。
これは解釈が大きく分かれるところで本作の核心であり、一番難しいところだと思っています。遺稿6篇の全てで「Qが死んでいること」に何らかの意味があると思っていますが、正直なところ感想を書いてる今でも分かりません。
「なぜQは死ななければならなかったのか」という謎の意味。
うーん、分かりません。
分かりませんが、解釈はあります。
私は「稗田阿求は何を望んでいたのか」に鍵があると考えます。阿求がアガサクリスQの遺稿を編纂者に託して何を望んだのでしょう。アガサクリスQの小説は御阿礼の子としてでなく、稗田阿求というひとりの人間として「生きた証」とも呼べる大切なものだと思うんです。
アガサクリスQを読んだマミゾウに感想を求め「反響が自分自身に帰ってこない事がこんなに寂しいなんて思って無かったわ」と語り、博麗霊夢からアガサクリスQの話題を出されてまんざらでもない顔をしていた彼女を見ていると、「こんな小説で小遣い稼ぎしてるように見られたら恥ずかしい」と言いながらもアガサクリスQの活動はすごく楽しかったんじゃないかと思えてしまいます。
30歳まで生きることは叶わず、転生の準備には何年もかかり、普通の人間のような人生は送れない。そんな彼女による数少ない遊びのひとつ。
見たものを忘れない求聞持の能力を駆使し、彼女が今まで読んできた推理小説の知識だけでなく、幻想郷縁起の編纂で得た幻想郷の文化や妖怪に関する知識をも取り入れ、全力を持って遊びに励んでいる、「みんなに本をもっと読んでもらいたい」と始めた創作活動は彼女にとってかけがえのないものになっていたのかもしれません。
『Q』の時系列は「遺稿」という表現から阿求が既に転生を済ませ幻想郷から去った後だと察せられますが、御阿礼の子は転生するとどうなるんでしたっけ。阿求としての人生を終え、百年余りが過ぎた時代に転生するとアガサクリスQは人々から忘れ去られ、人間としての「生きた証」が跡形も残っていないのかもしれないです。
そこで阿求は「アガサクリスQは永遠の謎を残したまま死んだ」と人々に伝えるために最終連載小説6篇を出版するように編纂者へ託したのだと思います。
「Qは何を遺そうとしたのか」「なぜこれを遺したのか」「Qとはいったい何者であったのか」
Qの遺したセンセーショナルな謎はQを愛する人々の間で語り継がれ、誰かによって解釈され、書き足され、二次創作されていく、そうしてQは無限に広がる永遠に未完の遺稿となる、私はそれが狙いだったと解釈しています。この解釈は、歌詞の赤い文字が更なる謎を呼ぶためのレッドヘリングだったという解釈にも都合がよいです。謎にすることに意味があるというのであれば、一見で意味は分からなくとも分からないことに意味があると言えます。
では、アガサクリスQに遺稿を託された編纂者はこれら遺稿をどう解釈したのでしょう。
だから、わたしは————
✓Qを愛する
QED1. 私の愛したQ
RDWL-0037『Q』、テーマ「謎」。「???」には何か単語が入ると思っていましたが、予想に難しくない単語です。最初に見た時の印象が「何この謎のCD」って感じですし、「謎」を表す記号の「Q」だと最初は思いました。
成長した小鈴!?でも、なんだかやさぐれた顔をしていてバッドエンドな雰囲気があります。小鈴のこの表情がほんと良くってね!はなだひょう大先生最高だなって思います!
机の上を見るとメモが数枚とQの本があるので編纂室なのでしょうね。阿求の頭に付いてると噂の椿が飾られてますが、色は赤色。阿求のは白だったような?気になりますね。壁には『随』のアレとか『音』のソレとかがあり、過去作のあれやそれやが思い出されてちょっと泣きそうになります。
小鈴はアガサクリスQの正体を明かさず、謎のままにして出版をすることを選んだのでしょう。いや、選んだのではなく、阿求の言葉に従ったのかもしれないです。阿求は生前、小鈴に対して正体を明かさない理由を語っています。その言葉を信じた小鈴はアガサクリスQを謎のままにしたと解釈できる気がします。
私の解釈では「阿求はアガサクリスQを謎のままにすることを望んでいた」としているのでこの結末は順当なエンディングだと思っています。しかし、小鈴は不服そうでいます。なぜでしょうか。
小鈴は「アガサクリスQ=稗田阿求」と知ってますが、「なぜこれを遺したのか」の答えは知らなかったが故に決して解明できない謎を解明しようと謎の沼に沈んでしまったのだと解釈しました。謎を解明しようとする行為はその作品を愛する行為に等しいですが、その謎が解けない謎であれば永遠に出られない迷路に挑むような辛い行為になります。謎には人を虜にしてしまう蠱惑さがあるのもタチが悪く、謎を解明しようとするのを止められないのが辛さに拍車をかけます。もしかすると小鈴は謎に疲れてしまったのかもしれません。
また、小鈴の状況は『Q』を聴く我々と同じ状況でもあります。「アガサクリスQ=稗田阿求」だと知っていますが、他の謎の答えは分りません。当然、私も分かりません。分からないが故に辛いというのは私にも身に覚えがあります。というか『Q』の謎自体が割と分からない謎ばかりなので解明しようとすると辛い作品になります。辛いですね。私も辛いです。
解き明かされない謎がある故に創作物が愛されること。これは東方Projectの二次創作においても通ずる何かがあります。永遠に解き明かされない謎はファンを惹きつけ、二次創作だ考察だと称して書き記す行為がやめられないというのは良く理解できます。
謎は幻想の種となって世界に広がり、人々の心に植え付けられ、幻想の花が開く、またその花が幻想の種を世界にばらまき・・・。無限ループですね。
私の解釈では阿求は謎を謎のままにすることを望んでいたように思いますが、小鈴はどうするべきだったのでしょうか。自分でない他の誰かの意志に従うこと、誰かの言葉を信じることがなぜ自分にとっての真実と言えるのでしょうか。
だから、わたしは————
✓Qを殺す
QED2. SeleQtion
RDWL-0037『Q』、テーマ「選択」!?テーマに2つ目があるって聞いてませんよ???そりゃテーマが1つしかないと決められていたわけでもないし、そもそもテーマが2つであるとも限らないですからね。
成長した小鈴の姿が明るい表情をしています。里では稗田阿求が描かれた白い表紙の本が話題になっているようです。QED1とはきっと違う選択をしたのでしょう。どんな選択をしたんでしょうか。
おそらくアガサクリスQの遺稿を稗田阿求が執筆した本として出版したのだと思います。阿求が秘密にしたがっていたアガサクリスQの正体を小鈴の手で公表し、謎を謎のままにしないようにしたということなのでしょう。「Qとはいったい何者であったのか」の謎は公に解かれたわけですが、「Qは何を遺そうとしたのか」「なぜこれを遺したのか」の謎が残っています。この謎に対しても小鈴によって答えが確定された世界なのだと私は解釈してます。
小鈴が確定させた答えはこうだと思います。
すい星のように現れた謎の作家アガサクリスQの最終作では作中でアガサクリスQが殺されることでその正体が判明し、読者最大の謎が解ける。だからアガサクリスQは死ななければならなかった。この遺稿は人生を終えた稗田阿求から「わたし」(=編纂者)への「アガサクリスQの正体を明かせ」という遺言だったのだ。
アガサクリスQの正体を公にすると決めた小鈴は何を思ったのでしょうか。編纂室の文章から察するとアガサクリスQの作品を友人である阿求が書いたと知られないことは友人は望んでいないと思って公表したのでしょうね。本当にそうなのかは私は疑問ですが、とにかく小鈴はそう思ったようです。もしかすると「真実は無限に存在するということは、自分で最適な真実を選ばなければいけない」という阿求のセリフを思い出して「選択」したのかもしれないですね。東方鈴奈庵作中でも真実を自分で選んでいましたし、小鈴らしさのある行動をしたように思います。
阿求は本当にアガサクリスQの正体を公表してほしかったのでしょうか。御阿礼の子が執筆する文書はノンフィクションである必要があります。そうしなければ妖怪への対処方法は人間に信じてもらえませんし、妖怪の恐ろしさも広まりません。そんな御阿礼の子がフィクションを書いたという事実は幻想郷にとってリスクが大きいように思えます。幻想郷縁起と推理小説はそれはそれ、これはこれと分けて判断できる聡い者もいるでしょうが、中には分別がつかない愚か者もいるでしょうに。この選択は阿求の意志とも幻想郷の秩序とも関係のない小鈴のエゴでしかないのだと思います。
しかし、アガサクリスQを手に楽しそうに語っている人々の姿を見ているとその選択は別に間違ってなかったのかもしれないと思ってしまいます。小鈴の選択に怪訝な顔をしつつも、謎を謎のままにしなくともアガサクリスQがこんなにも愛されていると知った阿求はきっと。
きっと。
阿求はどう思うか分かりませんが、少なくとも私は良い友人を持ったんだなと。そう思います。
◇好きなワンフレーズTOP5
聴いていてグッと来た部分を紹介します。
1位 「兆すは星火の幻想~」
『星空に消ゆ』より。歌詞とメロがかっこいい過ぎる。優勝!!!
2位 「ずっと眠れないのは~」
『霧の中の怪異』より。『夜だから眠れない』のここのメロディーが一番好き!mikoさんの歌声もなんか幼さもあるが包み込むような優しさもあるのがすごく良い!
3位 「懐かしきその血を呪って」
『weary monster』より。あ゛あ゛!!!『懐かしき東方の血』!??ってなりました。メロと歌詞で連動した瞬間って気持ちいいですよね。呪われし稗田の血!!!
4位 「わたしのことなんだと思ってるのよ」
『Murdered by M』より。
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(5分後)
・・・盆栽、みたいな?
5位 「わたしと一緒に遠くへ行ってほしいな」
『まぼろしの友達』より。弱々しく願望を伝えるような、めらみさんの歌い方に息が詰まりそうになります。泣く。
◇まとまらないまとめ
この感想を書いているとき、最初はQED2『SeleQtion』の世界が阿求が望んでいた世界だと思っていたのですが、途中でなんだかそう思えなくなってしまって。阿求はアガサクリスQの正体を明かすことを本当に望んでいたのか、どうにも納得いかなくて苦しかったんですよ。
それで出した結論が以上の感想です。
QED2『SeleQtion』が「誰かに選ばされた真実であってはいけない」と思いませんか。阿求がもし正体を明かすことを望んでいてその意志を読み取るヒントを遺稿に隠していたのならそれは小鈴にひとつの真実を選ばせてるにすぎない、それでは自由意志のないただの思考の誘導でしかないと思うんです。
テーマ「選択」というからにはそうあっては美しくないと考えた故に「阿求は正体を明かすことを望んでいなかったのではないか」という結論に至りました。
東方鈴奈庵で小鈴は一つの選択をしていましたね。第7巻の流れを思い出してみましょう。阿求は何を考えてマミゾウの話を歴史書にまとめると決断し、霊夢に相談を持ちかけましたか?悩む小鈴に阿求は何を伝えようとしていましたか?最終的に小鈴は何を選びましたか?小鈴の選択を受けて阿求はどういう反応をしましたか?
『Q』の根底に流れる哲学はそういったところにあると思うのです。
しかしですね?
これは私が選んだ真実でしかないわけですよ???地獄にいる阿求ちゃんは「いやお前の解釈、訳わからないのでやめてくれませんか」って思ってるに違いないです!阿求ちゃん遺稿の意味を何も考えてなかったかもしれないですし!!!意味のないものについ意味を見出してしまう悪癖のせいですね!!!
ということで皆さん、もっと解釈を煮詰めに煮詰めて「あなたの選んだ真実」という名の感想書きませんか?????????
『Q』って絶対そういう作品だと思うんですよ!!!エゴくてもいいって小鈴ちゃんも言ってるし、その方が阿求ちゃんも喜びますって!!!
えっ、そう思ってるのお前だけ?
そうですね!
以上が『Q』に対する感想です。―
いやーこれ凄い作品ですよ!『Q』!体感ですが、感想書くの今までで一番難しい!けれど一番楽しいかも!って感じでした。今作のお気に入りは『星空に消ゆ』『霧の中の怪異』『まぼろしの友達』ですね!!!『Murdered by M』は99%博麗霊夢だけどレイムなのでね!(逆張り)
解釈書くの大変でしたが、書ききると一気に気持ちが楽になりました!!!もっとみんな謎に苦しんでほしいです!!!苦しめー!!!