【雑記】「5年」とは如何様な歳月なのか?

当ブログを開設して5年が経ちましたので一応書いておこう、という趣旨の例のアレです。アレアレ。アレだよ。稗田じゃない方のアレ。


えんどう豆がおいしい季節になってきたので豆ごはんを作って春の終わりを過ごしております。もち米とジャコも入れるとおいしいよー(←のんき)。どうも、「巫女」という記号は好きだが「博麗霊夢」が好きといった方がより正しい表現のKANITAMAです。

ブログを開設した2018年5月から「5年」の歳月が経ちましたが、「5年」。「5年」。「5年」ねぇ・・・。うーん、「5年」。そうですねぇ。

この「5年」という歳月にはコンテンツにとって普遍的で特別な意味がある、と私は勝手にそう思っています。

「何もしなければ1年。続けていても3年。忘れられるには5年。」

これは10年以上前くらいに血気盛んなオタク学生だった私と昔のオタク仲間(師匠?)が色々と議論を交わした上で思いついた法則みたいなサムシングなんですが、どういうことかというと、

特定のコンテンツが何も出さずにいれば「1年」でファンの足は遠のき、
活動を続けていたとしても「3年」でファンに飽きが来る、
そして、かつてのファンに忘れられてしまうには「5年」もあれば充分である。

といった本当かどうか定かではない怖い内容です。

要するに、そのコンテンツを新しく始めたり、ファンとして追ったりしてから「5年」も経てばファンの顔触れが大きく変わるということですね。今はもっとコンテンツの消費速度が速いですから当てはまらないかもしれないですが、「多くの人はこの法則に当てはまってね???」と当時はそう思ったものです。

だから何だっていうんだ?って話ですが、こんな場末のブログを見てくれる方々も5年前とは大きく顔触れが変わってるんだろうな、としみじみと思うわけです。ある意味では良い節目なので、考え方やアプローチを見直して新しくしていった方が良いかもしれないと最近はそう思っています。

もちろん、私も既に「5年」が経過している存在です。しかし、私はファンをやめる気配は一切ありませんし、飽きてもいません。そもそも10年以上前くらいの私ですら東方のファンとして既に「5年」経過していたわけです。じゃあなんで俺ら続けてんのと、その疑問について既に当時答えを出しています。

簡単な答えです。

それは、私がファンになり続けているから、好きになり続けているからです。

そして、”なり続けられる” のは多くのファンにとっては幸運なことであり、感謝すべきことです。

これは現在でもそう思っています。圧倒的感謝です。

さてさて、最近の私と言えば。

なんと思考沼に陥り気味になっています。不定期的にこういう現象に陥るのですが、脳内にいる過去の自分と現在の自分が相対してリアルシャドー(バキか?)を繰り返しています。

ガードが崩しにくいんですよ、過去の自分。何事も事前に武装してから始めるタイプなので過去の行いを顧みて内省しようとしてもなかなか難しい。この行為は過去の自分を否定しようとしているわけでなく、見る角度を変えながら観察する行為に等しいものです。

例えば、晴れた空を「青空」だと「青」なのだと言語的に認識してしまっていたら、晴れた空の絵を書くときに青色の絵の具を使ってしまうんですね。同じ晴れた空でもよく観察すると違う色をしているのに、人はなかなか認識を改めず楽をしようとする生き物です。「言語」が思想や行動を規定している、言語的相対論のような話ですが、そのような話だけでなく、人は多くのケースで一種の錯覚や思い込みに陥りやすいと思うんですよ。その方が楽なので。

このブログで言えば「これって考察になってるの?」だとか、「要素分解してるだけじゃただの説明じゃね?」だとか、そういった内省を割と日常的にしている感じがあります。現在の自分が「納得いかないな~~~」と感じている何かよくわからないものを紐解いていく行為がリアルシャドーなんですが、過去の自分が持っていない新たなピースがなければ終わらせるのは難しいと思っています。

なんというか、世の中に存在を確信できるけど言語化が難しい複雑な何かがあり、それをひとつひとつ紐解こうとするのですが、どうしても過去に学んだことだけではピースが足りないと思うことが多くなってきました。己の勉強不足を痛感し、読書の時間を増やしたり、自分の専門領域のイベントに参加したり、恩師に相談しに行ったりと何が足りないのかを模索しております。

なんか真面目な話しかしてませんが、特に病んでいるわけでもなく、裏では普通に楽しく遊んでいるのでご心配なく。続編が出ると聞いたので前から遊びたいと思って遊べてなかった『Blasphemous』を買ってプレイしたり、大陸版アークナイツの中国語で書かれた先行シナリオを機械翻訳駆使しながら読んだり、花映塚のハードCPUとスパーして「花映塚のシステムのここがよくない!」を探したりしています。早くティアキンも東方獣王園もやりたいですね!!!!!

そう!KANITAMA君良いこと言った!そうなんです!5/7の例大祭!!!神主の体験版が出るんですよね!!!

やばい。何がやばいって対戦型シューティングってことはテーマ曲いっぱいじゃん?霊夢ちゃその新テーマの可能性あるよね?アレンジだけでもうれしいよね???既存キャラ同士の会話増えるだけでもうれしいよね!!!もうなにが来てもうれしいよねぇぇぇぇ!!!!!って感じでしばらく無敵です。

おそらく当日にSteam配信あるだろうけど何もせず待ってられないので現地に行きます。ジャーキーを前にした犬、チュールを前にした猫です。

そして!凋叶棕の新譜もあるようです!

いつか来るとは思っていたが、アルファベット!いろいろと17番目ですね。

謎解き・推理モノって雰囲気で鈴奈庵と文果真報に出てきたアガサクリスQがモチーフっぽいです。テーマは「???」ってあるので何かあるんだろうなーって思っているのですが、どうなるんでしょうね?なんとなく相応しい文字が当てはまるようなそうでもないような気がします。

子供の頃、推理小説にハマった時期がありまして、よく母親の本棚にあったポーやアガサをこっそり抜き取って読んでいました。私の母親は推理モノに超強くて2時間ドラマの犯人と動機を序盤で当ててしまう謎能力があり、私にもその能力がやや遺伝したのか推理モノに対してそこそこ察しの良い勘が働いてしまうことがあります。そんな人でも古畑任三郎形式なら安心!っていう話は置いといて、実は今の段階ではあまり深く考えないようにしようかなと思ってます。

本編が公開されていない推理モノって、まだ推理始めちゃダメだと思うんですよ。なんとなく。

でもね。私が一番楽しみにしてるのは推理というより『星降る天魔の山』アレンジがあるってことですね!!!クロスフェードのめらみさん美しすぎるでしょ!絶対やばい!あと『プレインエイジア』も気になってますね!地味に大好きなので!

巫女も殺しも『Murdered by M』はね、これはね、言及が難しいです。今の段階では何とも言えないし、蓋を開けてみないとわからないです。今作にはある予感があって、純粋にそのキャラが二次創作として表現されているわけではないと思ってるんですよ。二次創作であって厳密には二次創作ではない、でも確実に二次創作である何かのような、そんな感じです。

これは推理というかもやもやですね。すごくもやもやしてます。

いいよね。もやもや。もやもやしてると生きている実感がある。

◇メロンの特設はこちら
https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=1926299

以上、5年目を迎えた挨拶でした。とりあえず今は新作やりたいという気持ちでいっぱいです。次の投稿予定は何かよくわからない記事か、もしくは『Q』の感想記事かのどちらかの想定です。もうちょっと整理しないといけないことがあるのでもうちょっとかかるかも?まあせっかくのゴールデンウィークですし、新作に備えてちゃんと寝ることを心がけていこうと思います。

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