記念すべきコミックマーケット100にて頒布された凋叶棕新譜『記』を聴きましたので感想を書きました。「遊び」に対して思うところがあったので書いてみた所存です。
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本記事にはネタバレが含まれておりますので閲覧の際はご注意ください。
◇すべては「遊び」から始まる
人間がこの世に産まれ、「遊び」を知るのはいつ頃なのでしょうか。赤ちゃんが最初に覚える「遊び」は「何かを目で追うこと」だと言われます。くるくると回るベッドメリーを目で追う、ゆらゆらと揺れる母親の顔を追う、世界がぼんやりとしか見えていない生後1週間の赤ちゃんでも既に目で追うことを覚えているのだそうです。
視覚、聴覚、手足の運動、筋力、思考力、社会性、判断力、想像力、自発性・・・。
子供たちは「遊び」を通して発達し、大人へと成長していきます。しかし、こうして成長していく子供が「遊び」をいつまでも続けられるかどうかは難しいところです。背負わされる義務と責任に「遊び」への罪悪感を覚えたのか、同じようなタスクとコンテンツの繰り返しに飽いてしまったのか、いつしか真剣に遊ぶことを忘れてしまった大人がいる一方で、「遊び」に対して特別な思いと美学を持ち「遊び」を続けてきた者たちも存在しています。
彼らは「遊び」を続ける過程で「記」すことでしょう。
「遊び」の勝ち負けにこだわる者は己の強さを証明するようルールを設けて勝ち負けの数を記し、「遊び」に対して停滞を望まず成長を望む者はその日に見つけた成果ひとつひとつを記し、「遊び」のより高い頂を目指す者は今いる己の位置を自覚するよう点数を記し、そうして彼らの「遊び」は今も続いていきます。
彼らは何のために遊び記すのか?それはきっと明日のため???
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積み上げてきた「遊び」の軌跡。祈り。なんかもう思想強めの一枚!
今作は個人的な思想・主張が強く表れていて伝わる人と伝わらない人あるいは伝わり方で受ける印象が変わってくる気がしています。私は「分かる分からないで言うと分かるけど100%分かるかと言えば分からない」という何とも言いがたいアルバムだと思いました。ガイドライン的に禁止事項では?
個人的な思想を抜きにして東方Projectの二次創作としての要素がしっかりあるのでそこはいつも通りで安心できるポイントです。幻想少女たちにとっての「遊び」とはどんなものなのか、その「遊び」に対して何を思っているのかを表現されています。そして、彼女らの「遊び」はどことなく我々の「遊び」にも重なる部分があるようです。
今作はいつもとはちょっと違う雰囲気を纏っている気がしていて、じわり温かい気持ちが湧き上がってくるような、自分が続けてきたことが肯定される喜びのようなものを感じます。(IIEEにはやや棘がありますが・・・)
RDさんのブログによればコミックマーケット100を記念しているとのこと。コミックマーケットは言わば「遊び」を尽くす者の祭典。確かにテーマ「遊び」に通づるところはあると思いますね。
◇アルバム開いてあそびましょう
今回は神主の新作があるとのことなのでコミックマーケット100に一般参加してきました!久しぶりの夏コミなのに加えて、さらに台風と猛暑と感染症が参加者を襲うやや危険な状況でしたが、特に事故も病もなく無事に目当てのものを手に入れられました!神主手渡し!当然、凋叶棕の新譜も会場で手に入れられました!RDさんへの差し入れノルマも達成でき、今回もミッションオールコンプリートでした!
ちなみに凋叶棕のサークルスペースを見つけるコツ(?)は左右のサークル列で凋叶棕のスペースが見えなくなるので、壁を斜め方向からではなく垂直に壁を見て探すことです!壁に対し水平に移動しながら遠目に眺めて探すと通り過ぎてしまうことが多いので、周囲に気を配ってゆっくり歩くと良いと思います!凋叶棕の左右のサークルはたぶんおそらくきっとポスターがあると思うので左右のサークルを目印にするのも良いと思いますね!!!
さて、一通り闇市場を堪能したので『記』を開封していこうと思います。
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裏面を見るとカードが4枚×2セットで8枚。
楽曲の数に対応してそうな雰囲気が感じられます。2人対戦の遊びなんでしょうか?
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外装をはがしてケースを開けます。
スコアボード!!!イニシャル!!!8901!!!398!!!
CDレーベルには例の英文ありですね。個人的な思想・・・!!
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CDを外すとやはりカード。
試聴ファイル名の謎もちょっとは分かるようです。規則と自由。
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ドライブにセットして曲数確認!!!
10!!!
◇楽曲の感想
8枚のカード、OP、ED。合わせて全10曲のアルバムのようです。ケース裏面の表記を信じましょう。
思うに今作はキャラクター起点というよりは遊び方を起点として楽曲が揃えられているような気がします。
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M01. あそべよ少女達
原曲『プレイヤーズスコア』のリズムが耳に残る童謡風思想もりもりOP曲。
妖精のターンでハンドクラップが入るのは偶然なのかどうかはさておき、「遊び」を歌う内容のようです。手の描き分けを見ると左側の3人は子供の手に見えますし、右側は赤ちゃんと大人の手に見えます。左利きの子もいるみたいですね。言葉を発せない赤ちゃんは歌えないので「思ってる」というのがお洒落ポイント。
「あしたへつづく」というキーワード、思想ポイント(?)ですね。赤ちゃんの頃から遊びが始まっているというのはその通りで、それが少女から大人へと「遊び」が続いていくのがなんとなーく感じられます。それぞれの遊び道具が「遊び」の幅をなんとなーく表現しているような気がしていて、カードゲームも、折り紙も、お絵描きも、人形遊びも、なんとなーくですが、「遊び」はゲームだけじゃなくてもっと広いものだと思うんですね。「遊び」をつづけること、コミケ・・・。いや、もっと広いのかもしれないです。なんとなく。
おねえさん(巫女さん)、かみさま、ようせいさん、ようかいさんはなんとなく『記』の各楽曲に対応しているような気がします。遊びの内容も。だれかさんは、えーっと誰なんでしょうね・・・?あそびをつくったひとだからすごいひとなんだろうなあ・・・。
M02. 解き明かされるべき謎
そうやって可愛い博麗霊夢に見つめさせれば私が落ちるとでも???『𠷡』では油断したが、次も通用すると思うなよ???舐めんな!クッ、やめろ!そんな目を私に向けるな!ああああああ!!!ダメダメ!やっぱダメ!なんか近くない???まぶたがバチバチする!私は博麗霊夢ガチ恋勢などになりとうないのだ・・・!ちょっと刺激が強いので薄目で歌詞読みます。ブックレットの面に対して20~30度程度の浅い角度をつけて斜めから見ると多少は軽減されるので博麗霊夢にガチ恋距離で見つめられるのが辛い方にはオススメです。
弾幕に意味を求めるめんどくさい女・博麗霊夢!!!
まあ博麗霊夢はそういう性格の子なのでね?「表現が下手」だの「規則正しすぎて芸がない」だの「意味が感じられない」だの「意味不明」だのグリウサで他人の弾幕をこき下ろしていく博麗霊夢を見て、弾幕にこだわりが強そうな一面を面白いなと思ったのを覚えています。確かに「美しくない」「美しい」という博麗霊夢の言葉が過去にあったので彼女なりの審美眼があるとは思っていましたが、規則的であれば美しいってわけでなく、はちゃめちゃなら良いってわけでもない、弾幕が何を表現しているか、見た目の美しさだけでなく意味も重視しているんですよね。弾幕ごっこにおいては「意味がそのまま力となる」わけです。
博麗霊夢が弾幕の先に何を見ているのか。美しさ?意味?おそらくそれだけではない。パターン作りごっこが得意な彼女であれば、夜な夜な推理小説を読みふけり犯人を当てるのに躍起になっている彼女であれば、弾幕の真の姿「攻略」をも見通しているはず。以前にこのブログでも触れていましたが、博麗霊夢は謎を解くことが好きだというのはその通りだと私も思っており、弾幕の謎を解き明かすこと「攻略」も好きというのも確かにそうだと思っています。博麗霊夢は大正解な存在ですから全ての弾幕は博麗霊夢に捧げられる ”べき” であり、弾幕の設計者は博麗霊夢によって解き明かされる ”べき” だと祈っているのかもしれないですね。
『解き明かされるべき謎』は『記』の中で一番好きなアレンジなのですが、良いところはそういった博麗霊夢観も然る事乍ら、我々の続けてきた「遊び」にも重なる部分があるのが良いんですよね。物心つく前の子供の頃からゲームに触れてきた私は自力で攻略を見つけた時の快感を良く知っています。勝てなかった相手を手玉に取る全能感といいますか、作り手の意図までをも見通せたときに現れる「設計図」の美しさ。博麗霊夢と共に乗り越えてきた弾幕の数々も。それだけではない、博麗霊夢と出会うより前のずっと昔から積み重ねてきた経験もフラッシュバックし、心が熱くなり、少し涙腺に来ます。
今までになかった方向の楽曲でしたが、こういう路線も悪くないなと思いました。本作イチオシです。
M03. 絶えて久しきその勇儀
駄洒落か???どこぞのデュエリストじゃあるまいし???
とは思ったものの、星熊勇儀の「遊び」に対する流儀の持ちようを考えれればこのアルバムに相応しい人選であることは間違いありません。星熊勇儀と言えば地霊殿3面にて弾幕ごっこに興じながら盃の酒を一滴も零さず飲み干すという芸当を見せたのが印象深いです。おそらく地底には広まっていないはずの弾幕ごっこの理念を理解し、鬼の強大な力と人間の力の差を計りつつ、それでいて怪力乱神の鬼らしさを損なわず、豪快かつ「遊び」のある弾幕を作り出すという地味に凄いことをやっているのが星熊勇儀です。霧雨魔理沙も星熊勇儀の弾幕の「遊び」を評価していましたね。
しかし、”絶えて久しき” というと、弾幕ごっこよりも遥かに古い遊びなんでしょうね。地底の鬼は人間との交流を断ってから長いので、鬼・妖怪同士の遊びというよりは鬼と人間の遊び、もとい殺しあい・・・?いや、鬼は人間と遊んでいるつもりで「遊び」に本気で興じるうちにひ弱な人間が死んでしまうだけなのかもしれません。そこから生じた鬼に対する人間の恐れが鬼との関係に亀裂を生んだとなると少し愁いもあるように思えますが、このアレンジからは生き生きとした活発なイメージを感じます。絶えて久しい人間との交流・弾幕ごっこに対して、かつて人間と何にも縛られず遊んだあの頃を思い重ねながら「遊び」に興じている、そんなイメージなのかもしれません。
ところで表記された原曲は『華のさかずき大江山』だけどその『旧地獄街道を行く』はなんだ!剛欲異聞の『華のさかずき大江山』に何か言いたそうだな!(という言いがかり)(てぃあおは隠れ原曲がよくある)(道中曲ならなおさら)
M04. CHO-CHIN-HAN-CHIRO
新鮮な酔蝶華ネタを取り入れていくスタイル!駒草太夫の賭博場!紳士の社交場!
虹龍洞登場時には妖怪の賭博場がどういったものかイメージが湧かなかったのですが、最近の酔蝶華にてようやく描写があり、解像度が上がったところでこの1曲。駒草太夫の能力もomake.txtの文面通りでしか分かっていなかったので、実際の描写を見てみると大勝負の駆け引きに使えばこの能力超強いですね?
このアレンジの後半ではギャンブラーの心を煽るような盛り上がり方をしていて、勝負から降りさせないように精神を高揚させていく感じが良いです!
一度ギャンブラーを冷静にさせる、出目の傾向を推理させる、精神を高揚させる、その読みが当たっていると確信させる、張った張った!、大勝負!、負け!の流れ。挑んだギャンブラーはマミゾウのように負けたようですね。
アレンジの雰囲気は「和」と言いますか、イントロからして某NKO DICEの雰囲気が・・・。いやまあ、こういうリズムは緊張感を生みやすいというか、賭博場に和のイメージもあって必然的にこうなるみたいなところもあるというか。
M05. Slightly Responsive
「未来は誰にも分からない」という運の考え方。博麗霊夢が語っているようですが、実は稗田の受け売りでございます。
何故原曲が『Highly Responsive to Prayers』ではなく、原曲が『A Sacred Lot』で ”Slightly” なのかが試聴の段階からずっと気になっていて、神霊と強く交信するイメージがある巫女が ”少しの反応” で良いと言っているのはなんだろうと思っていました。全編聴いてみると『幸運のメカニズム』か?となったので読み返すとやはり、といった感じでした。『A Sacred Lot』は「おみくじ」とも意訳できるんでしたね。
博麗霊夢が運否天賦の「遊び」に関してどう思っているのかが割と気になっていて、持ち前の幸運のせいで実はそんなに楽しめてないのかな?と昔は思っていたのですが、酔蝶華の描写を見るとそうでもなくてむしろすごく楽しそうなのが「ああ、コイツ(←のんき)だったわ…」とちょっと安心しました。
『Slightly Responsive』では「おみくじなんて有難がっても仕方ないわよ」と言いたげなのが良いですね。類稀な幸運を持つ彼女に向上心はなく、努力を嫌い修行不足、未来は誰にも分からないと考えているのですから、そりゃおみくじなんか意味がないと思ってそうではあります。
「未来が約束されないなら努力が報われるかなんて分からない、だから真面目に修行しても仕方ない」という考えはちょっと後ろ向きな感じですよね。そんな少し真剣さに欠ける彼女にとっては毎日が「遊び」なのかもしれないです。全部「遊び」だからこそコミカルなおみくじ読み上げ、でも思想は後ろ向きだからどうでもいいような気怠い感じもする歌い方がすごいですよね。めらみさん。今作のすきめらみさん。
ここでなんとなく、M02とM03、M04とM05がセットでそれぞれ共通点と相違点があるのではないか?という発想が出てきますよね。カードに書かれた英字もセットで規則性があるように思えてきます。
M06. イニシャルイニシャルエコーエゴー
グルーヴコースターからの再録曲で、めらみさんの「バカヤロー!」「何だとテメー!」が聴ける貴重な1曲。エゴー!な『記』にピッタリだと思いますね。
今作で初めて本楽曲のはなだひょうさんのイラストが付いたわけですが、このブックレットが最高過ぎて今作もはなだひょうさんがヤバいです!強いエコーで空間が震えているような表現がすごく良い!これ書きながらまた眺めているんですが、いやーこれすっごいですね・・・。完璧すぎて何も言えません。
歌詞の主張はタイトル通りものすごくエゴ。でも、『記』に収録されたことでちょっとコンテクストが広がった感じがあります。私は当時から音ゲーに対する当て擦りか?と思っていたんですが、今作だと「遊び」全体に言われている気がしてならないんですよね。ほんと同じことの繰り返しなんですよ。「遊び」って。大体は再生産ですよ。そんなのに意味/意義があるのかって。たぶん「ある」って信じるしかないんですよね。私は最後のセリフよりもソッチの言葉が引っ掛かりました。「遊び」をテーマとする今作故に。
M07. まちかどの『みこさま』
なんかあれだ!小学校にある楽器だけで構成された曲ってやつだ!私は『勇者のくせになまいきだ。』というゲームの音楽が思い出されました。あんまり関係ないですが、このゲームの音楽制作を綴った日記が個人的に好きなので興味ある方は一読あれ。
このアレンジで大事なのは『みこさま』と聞くとどういう印象が浮かびますか?ってところなんですよ。これすごーく感覚的な話なのですが、あの巫女に ”さま” なんて付ける人は『みこさま』よりも若くて小さな子供たちか、信心深いご老人かだと思うんですね?偏見ですが。で、平仮名表記なわけですよ。じゃあ博麗の巫女を『みこさま』って子供がそう呼んでるなんじゃないの?ってなれば、こいつら妖怪退治ごっこしてやがるな?ってなるわけですよ。即刻やめなさい。『みこさま』を真似るってことは即ち暴力なんですよ???分かりますか。いつもボコボコにされる妖怪役をやる子の気持ちが。まあただのコスプレかもしれないし・・・。いやいや、ただのコスプレが一番危ないだろ。一応、バックインレイの絵は頭のリボンだけだからまだ良いが全身だったら死ぞ???巫女は妖怪から恨みを買ってるんだぞ!何の力もないただの少女が『みこさま』の恰好するなんて幻想郷だとヤベーことになるだろうが!!!って感じのなんだかぺアレンツティーチャーズナントカじみたことを言いそうになるわけですが、まあ7割くらいはそう思っています。
楽曲の話に戻しますと、『東方妖恋談』ってロリ霊夢ちゃんだと思うんですが、どう思いますか?メロディーが幼い感じがするというか、”妖恋談” っていうタイトルもどことなくロリっぽさあるというか。今回のアレンジは妖恋談メインになっていて凋叶棕による霊夢曲アレンジの中では一番ロリな気がしています。小学校の楽器っぽい音もロリっぽさを加速させているので赤ランドセル小学生霊夢ちゃんのイメージがありましたが、その後考えを改めて上記の通りになりました。私はロリコンではありません。頭に思い浮かんだ博麗霊夢がロリだったのです。
M08. Dive into nothingness
主役貰えてよかったね!ってなりました。何もないところへ落ちる霧雨魔理沙の「遊び」。
霧雨魔理沙って賢いのかバカなのかよく分からない時があるんですよね。頭が良い振る舞いをしたと思えば危険なことも進んでやる、裏では弾幕をしっかり分析してるくせにパワーだと言う、でも霧雨魔理沙って本当はやっぱり賢い子だと思うんですね。その賢さ故に身の回りにある世界がシンプルじゃなくなると結構これが不幸なんですよね。ちょっとしたスランプに陥り、世界を見る視野が広い故に周囲と自分を比較し、自分の置かれている状況を理解してるが故に焦りを感じ、心が汚染され、憂鬱になる、そんな負のバイオリズムに対する一種の防衛本能として「無」になる、バカになる、みたいなところかなと私は思うんですね。かなり違いますが、要は示現流の「チェスト!」みたいなアレです。隣の妖精は本物の⑨なので危険な遊びを当然のようにやっちゃうんですが、霧雨魔理沙の場合はそういうプロセスがあるのかもしれない、とこのアレンジを聴いてそう思いました。でも、霧雨魔理沙が無になってる時ってきっと救われてるんじゃないかなって思います。
音楽的にはすごく聴きやすくて好きです。憂鬱なところから昇りつめていく気持ちよさ、いやこの場合は落ちているのか?まあとにかく解放感のようなものがあるんですよね。
なぜか分かりませんが、この楽曲を聴いていてRDさんの一言を思い出し、「えっ?そういうアルバムなの???」ってなりました。そう思っちゃうと他も印象変わるからちょっと困るんだよなあ???
M09. Jeux interdits
「遊んでいいよ!」と言いたくなること必至のnayutaプロ枠。後ろで流れる「ぱっぱっぱやっぱぱやっぱやっぱー」がほんとすごく好き。耳に残るし、一緒に歌いたくなる。あと、妖精のこの顔よ!はなだひょうさん好き!
タイトルはなんで仏語???確かにフランスはひまわり畑が多く、元ネタも仏語ですが・・・。まあアレですね。”interdits” は「(宗教的に)禁じられている~~」だし、”Jeux” には「遊び」だけでなくいかがわしい行為的な意味もあるので多分この妖精曲はKBSのSだと思うんですが、、、違うCD?はい。
君ら吐く弾多いし、数いるし、やたらと固いんだよ!その弾幕量で3体も出てくるし!いや何でコイツだけ無敵あるんだよ!風神録のアイツ!〇した回数は数えきれないが、ピチューンさせられた回数もまあまあ多いんですよね。そう、ひまわり妖精。シューターからすれば憎き存在のコイツらは何考えてんでしょうね?妖精は異変になると狂暴化してヤバいというのは分かるんですが、命を懸けた「遊び」の精神でワラワラ迫ってくるとなると危険な生物だと思いますね・・・。死や痛みへの恐怖もなくただ遊びたいままに襲ってくるって人間からしたらたまったもんじゃありません。まあ幸い賢くはないので単純な攻撃で助かりますが・・・。
テーマ「遊び」の観点から見ると結構面白いと思っていて、命の奪い合いではないから「遊び」なのか、命を懸けないから「遊び」なのか、そういった命にかかわらないから「遊び」という価値観は幻想郷では通用しないのが面白いです。しかし、「遊び」には命を懸ける価値がある、そういった考えを持つ人間がこの世に存在していないわけでなく、「遊び」にマジの方がいるんですよね。面白いことに。案外、幻想郷で一番「遊び」に本気を出している存在は妖精なのかもしれないですね?
M10. プレイヤーズ・スコア
スペルバブルの鬼畜面の再録!!!あれアリスの下振れ前提じゃない???まあゲームのアレは鬼畜なんだけど、すごく良いんですよねこの楽曲。なんかすごく肯定されてるような気がして温かいと言いますか。生き方というか、人生というか、少し前向きになれる、ほんと素晴らしい1曲だと思うんですね。凋叶棕を聴いててこんな気持ちになったの初めてかもしれません。
「自分の地図を描く営みは今も続いている」。そう。続いているんですよ。後ろを振り返ると。少しだけ止めてしまったこともあったけど確かに今も続いているんですよね。「もうここまで来ていたのか」と少し誇らしく思うような、「あの頃から全然変わっていないな」と懐かしく思うような、「あの時は何やってもダメだったな」と古傷に触れて確かめるような、感傷的で不思議な気持ちになってしまいます。
自分のスコアボードを眺める行為とはこういうことなのか、と。私はたとえ同じゲームでも再度1からプレイして要素を開放していく遊びが大好きなので、17年程続いている歩みの「しるし」と言える東方のセーブデータを新PCへ移してこなかったのですが、もしあのVALUESTARに保存されていたデータを移していたら2006年頃に紅魔郷4面で倒れてる過去の自分を見て感傷に浸ることもあったかもしれないです。3面までは完璧にしていたのでね。さんざんやった体験版で。
まだ何も悩みなどなかった頃の「遊び」の始まり、純粋な楽しさ、溢れる熱量、夢中になり、満たされていく。しかし、その歩みは楽しいだけのものではない。世界を見る視野が広がり、接するヒトの価値観は次第に多様化していく。一時は肯定されることもあった、しかし、周りの空気に流され、または否定され、個性とは何なのかと、価値はあるのかと、警告され、将来を憂い、続けてきた「遊び」は「たかが」と軽んじられ、やがて周りにいた人達は去っていき、「遊び」を続けてきた自分は孤独、社会に目を向けてみろ、ほら見たことかと、その行為に価値を見出せなくなるも、しかし手を放す決心もない、そこから先は停滞しかないのか・・・?
否、「価値があったんだ」と気付かされる時がやがて来る。あなたの祈りは私の祈り。続けれていれば、きっと。
そうやって祈ること。それが『プレヤーズ・スコア』なのか。
◇好きなワンフレーズTOP5
聴いていてグッと来た部分を紹介します。
1位 解き明かされるべきその弾幕よ この心が今 燃えている(いつものテーマ)
『解き明かされるべき謎』より。いいよね・・・。いいよね・・・としか言えない。
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2位 自分の地図を描く営みは———今も続いている
『プレイヤーズ・スコア』より。この楽曲は要所要所に好きだなと思う言葉が散りばめられておりますが、特に好きなのはココ。そう、今も続いているんだよ・・・。泣く。
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3位 やったやった超ラッキー?!
『Slightly Responsive』より。博麗霊夢が「超ラッキー」とか言うの?→はい、例大祭15のおみくじで言ってます。ここ、かわいいよね。
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4位 ぱっぱっぱやっぱーぱやっぱやっぱー(以下略
『Jeux interdits』より。かなり癖になってます。会議中、暇なときに脳内再生しています。話は当然聞いてません。脳内を埋め尽くすひまわり妖精 featured by なゆたプロ。
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5位 しろくろ~の あなた~♪
『Jeux interdits』より。博麗霊夢は「おねえさん」なのに霧雨魔理沙は「あなた」なの、妖精から同類として見られてるみたいで草。聴く度に「ふふっ」ってなります。
◇まとまらないまとめ
脳内ゼーレ審議中・・・。
「・・・エゴい」「エゴいな」「個人的な主張が多く含まれているように見えるが」「ガイドライン違反だな」「これは東方でやる必要があるのか?」「彼が東方と歩んできたのなら東方でやる必要はあるだろう」「キャラに合わせて遊びを表現しているのだから東方要素はある」「だが、個人の苦難や遍歴、思想を・・・それに東方キャラを利用するなど・・・」「ガイドラ(省略)」「まあまあ。コミックマーケット100回目記念だからこその1枚とも言える」「そもそも制作の起点はどこにある?」「東方要素かコミケなら分からなくもないが」「個人の主張が先だとしたら・・・」「ガ(省略)」「もうよい、その議論は不毛だろう」「思想云々はこのブログが言えたことではない!」「しかし、続けるとはいっても誰も彼もが今も続けられているわけではなかろう」「確かに続かなかった者はどうなる」「そういう者たちこそ聴くべきだろう」「この続く続かないだの話は東方に関係ない要素だと思うが」「神主自身が遊びを続ける凄さを体現しているという文脈もある」「それは飛躍しすぎでは?」「だが、君らも続いてほしいと思っているのだろう?東方Projectが」「ああ」「そうだな」「決まったな」
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私は好きですよ!!!このアルバム!!!
えー結論から言うと今の私は好きです。『記』。
細くではありますが、長く続けてきたことが私にもあって、少し心の琴線に触れる何かがあります。感想書きながら大の大人が泣きそうになるなんてそりゃこのアルバム好きですよ!
今でこそ器用に生きられるようになった私には「共感」「懐かしさ」「肯定感」に近しい感情があるのですが、もっと不器用だった頃の私が『記』を聴いたらどう思うのかと思うのですよ。勇気をもらえていたのかもしれないし、ひねくれた感想が出てくるかもしれないし、ハッキリとは分からないんですが、それでも心に重たい何かを残していくとは思っているんですね。
つまり、何が言いたいかというと、決して万人受けではないが、万人に思うところがある筈で万人に感想が出てくる作品だと思うんです。
込められた祈り、メッセージ性が少しでも伝わり、己の記憶を思い返せば何かあると思うんですよ。他人のことは分からないので、ハッキリとは言えないのですが、たぶんおそらくきっと。でも、出てくる感想が肯定的なものだけではないような気がしていて、人によっては強い後悔があったり、簡単に認められたくない感情があったりすると思うんです。
なぜそう思うのかというと、ほぼ全ての老若男女に「遊び」をしていた頃があったはずだと思うからです。何たって「遊び」は赤ちゃんだった頃から始まっているのですから。かつて「遊び」から去っていった仲間たちもどこかで「遊び」を続けているのかもしれない、そう考えると少し救われる気分にもなります。
「遊び」を続ける者たちの祈り。世界に「遊び」を望む者たちの祈り。「遊び」を止めてしまった亡霊たちの祈り。
全てのプレイヤーの祈り。
「願わくばずっと 続きますように」。
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100回目 ”記” 念のコミックマーケットという「遊び」の場でこのアルバムを出したことの、何と粋なことか・・・。こういう路線もあるのかと脱帽しております。。。
ところでこのアルバム、東方でやる必要は・・・?確実にある。だけど思想の方が印象に強かった、というか強過ぎたのでまとめに東方要素は書きませんよ!!!言う事があるとすれば神主の作る東方が願わくばずっと・・・!闇市場のバレットフィリアほんと面白かったので!
あっ、もう言いたいこと大体言った気がするので!以上にします!『記』の感想でした!感受性高めすぎて ”感情” になった!
なに・・・この・・・。なに・・・?なんか凋叶棕には今までになかった作品なので感想書き終わった後ちょっと困惑気味になってます!まあでも良かったのは確かです!凋叶棕の次の「遊び」も楽しみですね・・・!
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ああそういえば、アリスの考えてる遊びが何なのかまだよく分かっておらず、おそらく2人プレイで、「遊び」カードがそれぞれ4枚配られて、6×6のチェス盤で人形を使って戦わせるゲームだと思いますが、プレイヤーは規則側(AL,AL,ML,IL)と自由側(AP,AP,MP,IP)に分かれて戦う?6×6盤だとタワーチェス?魔理沙の駒の下に2つ台があるし?うーんあまりよく分かっていません。『プレイヤーズ・スコア』のイラストを見るにまだ設計中?