鳥よ

Toriyo!


Featured in: 娶
track: 11
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: nayuta
original title: 風神少女/風の循環 ~ Wind Tour
length: 06:48


◇概要

アルバム『娶』のトラック12『鳥よ』。『娶』は人間が人間とは別の種族/種類の存在と結婚する物語の一種「異類婚姻譚」をテーマとしている。『鳥よ』では里に最も近い天狗:射命丸文が登場し、ある若き人間との出会い、別れ、そして再会がドラマティックに表現されている。

原曲は『風神少女』と『風の循環 ~ Wind Tour』の2曲。『風神少女』は東方花映塚のMusicRoomにあるコメントで明言されている通り射命丸文のテーマ、『風の循環 ~ Wind Tour』は射命丸文を主人公とするゲーム『東方文花帖 〜 Shoot the Bullet.』の撮影曲1、どちらも射命丸文に関係した原曲となる。

人生の終末期を過ごすある者が、かつて子供の頃に出会った「鳥」のことを思い出す。初めて彼女の手を取った日のこと、ふたりで過ごした日々のこと、唐突の別れを受け入れらなかったこと。翼をもつ「鳥」の姿を忘れることなく、徒に過ごした人生を走馬灯に見る。しかし、今まさに死の床につこうとするその瞬間、斯くて「鳥」は空より舞い降りたのだった。

歌詞に登場する「鳥」とは、ブックレットイラストや原曲等から察するに射命丸文を指すのだろう。射命丸文が名前を教えていなかったのか、或いは「鳥」を様々に解釈できるように抽象度を高めるためなのか。「鳥」の解釈に関しては複数あると思われるが、本記事では「鳥」=射命丸文を前提として話を進めていく。


◇幻想郷の天狗と天狗攫い

風を起こす山の神 天狗

主な危険度:  極高
遭遇頻度:   中
多様性:    普通
主な遭遇場所: 妖怪の山
主な遭遇時間: いつでも

—『東方求聞史紀』天狗の項より引用

射命丸文の種族は天狗である。種族:天狗の危険度は「極高」であり、射命丸文自身の危険度は「高」という位置づけだ。天狗は幻想郷において高水準の身体能力と妖術能力を持つ強大な妖怪で、妖怪の山を中心に高度な文明と独自の社会を有している。

さて、『鳥よ』では射命丸文が「人間の子供と出会った」とされている。しかし、射命丸文の種族は天狗であるとなれば天狗が人間を攫う「天狗攫い」の可能性が見え、第三者目線からすれば「人間の子供と出会った」というより「人間の子供を攫った」ように思えてしまう。

思えばはじめからお前はきっと 私を騙そうとしていたのだろう
お前のあの目が悪戯めき笑う 若き日の私を誘うように

—『鳥よ』の歌詞より引用

この人間にも思うところがあったのか、当時の射命丸文に別の目的があったのではないかと思い返している歌詞がある。だが、『鳥よ』の歌詞の主観は最初から最後まで人間側となってり、射命丸文の主観で語られることは一切ない。そのため、真相は分からないままである。

平田篤胤の『仙境異聞』。柳田国男の『山の人生』。松浦清の『甲子夜話』。三好想山の『想山著聞奇集』。我々の世界に残る伝承では「天狗が人を攫った」と伝えられる出来事が多く残る。しかし、我々の世界と東方Projectの世界は必ずしも同一の世界というわけではない。東方Projectにおける天狗が人を攫うかどうか。それについては以下の情報から読み取れる。

あーこの人間、山で良く見る奴だー
いつも文が匿ってるみたいだけどみんな気付いているんだよね
まあここまで成長した人間じゃあ、攫う意味も無いしー

—『ダブルスポイラー ~ 東方文花帖』姫海棠はたてのコメントより引用

上記は霧雨魔理沙のスペルカード、星符「オールトクラウド」へのコメントだ。

射命丸文と同じ種族である姫海棠はたてによれば「成長した人間は攫う意味がない」らしい。「攫う対象が子供であること」が必要十分条件かどうかは分からないが、「何らかの条件を満たせば攫う意味がある人間もいる」と読み取れる。つまり、幻想郷の天狗には人間を攫う行為において何らかの目的とメリットが存在していることになる。

赤マントは人間の子供を攫う怪人として里で噂になっているそうです。
子供を攫うのは妖怪として当然の事ですが、最近はキャッチアンドリリースが主流なんですよねー

—『ダブルスポイラー ~ 東方文花帖』射命丸文のコメントより引用

上記は封獣ぬえのスペルカード、正体不明「青マント赤マント」へのコメントだ。

射命丸文によれば妖怪が子供を攫うのは当然で、最近はキャッチアンドリリースが主流とのこと。キャッチアンドリリースをしない場合は子供はどうなってしまうのだろうか。もしリリースされなかった人間の子供が天狗になってしまうのであれば、鈴奈庵第二十五話で霊夢が易者に言った通り幻想郷のルールにおいて罪となる。そうなると、ここで言う「最近」とは博麗大結界が張られた後の話なのかもしれない。

しかし、幻想郷の天狗が人間を攫う場合があるとは言え、無暗に人間を攫うわけではないように思える。幻想郷を存続させるために人間と妖怪のバランスが必要不可欠であり、幻想郷の存続とはすなわち妖怪の存続でもある。組織的な社会を築く強大な妖怪の集団がこのような基本的なルールを失念しているとは思えない。そのため、人間を攫うには何らかの意図があるはずだ。

鈴奈庵第四十五話『紫色の日は外出を控えましょう後編』では博麗霊夢が射命丸文に対して本居小鈴を攫った疑いをかけて詰め寄るシーンがある。このシーンのやり取りの中で興味深いセリフがあった。

もし天狗が災害に乗じて里の人間を攫ったなんて事が起きたら大変じゃないですか
それは幻想郷のルールに違反しますし我々天狗としても困ります

—『東方鈴奈庵』第四十五話 射命丸文のセリフより引用

天狗が災害に乗じて里の人間を攫う行為は幻想郷のルールに違反してしまうらしい。妖怪が人間を襲うこと自体が幻想郷のルールで禁止されているわけではないはずだが、里の人間に手を出すとなると話が変わってくるのは分からなくもない。実際、鈴奈庵第二十三話でマミゾウが蟒蛇に語ったように「里の人間に手を出すこと」は幻想郷のルールでご法度とされているようだ。

こうして妖怪の為に人間の里が誕生した
それとは逆に里自体も妖怪無くしては秩序が保てない仕組みとなっている

—『東方鈴奈庵』第四十六話 幻想郷縁起の記述より引用

これは本居小鈴が稗田阿求から「人間の里がどのように生まれたのか」「なぜ人間の里は秩序が保てているのか」について問われた後、それについて幻想郷縁起を読んで勉強しているシーンである。人間の里とは妖怪の為に存在し、妖怪無くしては里もまた秩序を保てないのだという。これの他にも、東方求聞口授の対談では「人間は妖怪を生かすための存在であり、妖怪も畏れる人間がいなければ存続ができない」とも語られており、幻想郷に住む妖怪にとって人間の里は自らの存続に関わる重要な場所であることは描写上一貫している。

鈴奈庵第四十五話のケースでは人間の里が台風の被害に遭っている状況であったため、妖怪にとっても一大事になるはずだ。実際、この話においては天狗達は大勢の人員を割いてでも里を暴風の脅威から守る役目を担っていた。そんな最中に里の人間を攫うといった妖怪の本分を実行してしまっては妖怪にとって利益を得るどころか逆に悪手にしかならないだろう。

ただ結果として、天狗は本居小鈴を攫っていたが、これは天狗攫いというよりは本居小鈴の保護と治療が目的となる。風害による負傷者をそのままにしておけば天狗は別の妖怪たちからルール違反を疑われる可能性があり、天狗の新聞を置いてもらえる貴重な貸本屋の娘を失ってしまうのは惜しいはずだ。天狗は杓子定規にルールを徹底するわけでなく、リスクと利益を考えて柔軟に判断したのだろう。

一旦ここで幻想郷の天狗と天狗攫いについての情報をまとめてみよう。

・幻想郷の天狗は我々の世界で伝え聞く通りに人間を攫うことがある。

・攫う人間の条件(成長具合等)によっては攫う意味がある場合とない場合がある

・無暗に攫うことはなく、幻想郷のルールに則って攫っているようだが、例外も存在する

上記の三点を踏まえたうえで『鳥よ』において射命丸文がこの人間を攫ったことにどんな意図があるのかを考えてみると「射命丸文に攫われた子供が何らかの条件を満たしていた」、「幻想郷或いは妖怪の存続のため、射命丸文はやむを得ずに子供を攫う必要があった」といったことが考えられるだろうか。

この項では幻想郷の天狗という種族が人間を攫うケースを振り返っていたが、『鳥よ』では射命丸文という個が人間を攫っている。次の項では個としての射命丸文が人間に対してどういった関わり方をしていたか振り返ってみよう。


◇「里に最も近い天狗」であること

射命丸文の東方風神録における二つ名は「里に最も近い天狗」だ。

求聞口授にある『文々。新聞 第百二十四季 霜月の三』の記述や求聞史紀の天狗の項を読むに、天狗は閉鎖的な種族なようだ。そんな天狗の一員である射命丸文が「里に最も近い天狗」とされているところを考えると、射命丸文は閉鎖的な種族の中でも少し変わった存在なのかもしれない。射命丸文という個を分析するために、まずは求聞史紀の記述から振り返ってみる。

伝統の幻想ブン屋 射命丸 文

能力:     風を操る程度の能力
危険度:    高
人間友好度:  普通
主な活動場所: 妖怪の山

—『東方求聞史紀』天狗の項より引用

東方求聞史紀によれば射命丸文の危険度は「高」、人間友好度は「普通」となっている。天狗の危険度は「極高」だったが、射命丸文は「高」と1ランクダウン。人間友好度が「普通」に該当する妖怪は紅美鈴、てゐ、寅丸星、リグル、橙、八雲藍、八雲紫、河城にとり、伊吹萃香、鈴仙といった面子。危険な妖怪でありながら人間の里に出入りすることもあり、積極的に人間を襲うわけではないが、人間の味方というわけでもない中立の立場といった印象を受ける。

魔理沙「人間のフリをして里に忍び込んでいるのかって話だよ」
射命丸文「当然ですね 私は里に近い者達を追って記事にしていますので」

—『東方鈴奈庵』第三十二話 魔理沙と射命丸文の会話より引用

鈴奈庵と酔蝶華では社会派ルポライターとして人間の記者に扮した格好で人間の里に現れており、人間の里で記事のネタを探すことが目的のようだ。変装している理由はおそらく人間を無暗に刺激しないようにするためだろうか。鈴奈庵の易者や蟒蛇どころか、ましてや強大な妖怪である天狗が白昼堂々と人間の里に現れては人間の里を混乱させてしまい、人間とまともな取引はできないだろう。もしかしたら幻想郷のルールに「昼間の里を歩くときは変化や変装しなければならない」といったものがあるのかもしれない。

同じく人間友好度が「普通」に属する鈴仙、にとり、萃香の3人も射命丸文と同様に人間に扮した格好で人間の里を訪れている。人間有効度の分類は阿求による主観ではあるものの、「普通」に分類される妖怪たちの人間に対する姿勢にある程度似た傾向がみられるようだ。

とは言っても、東方心綺楼では命蓮寺ステージの背景にいつもの格好の射命丸文が居たり、人間の里ステージに萃香と勇儀が居たりしたが、あれは異変中なのでノーカンなのだろうか。少し気になるが、異変などの何か特別な状況下ではない限り、人間の里に天狗として現れることはないと思われる。

射命丸文が里の人間をターゲットに取材するときは記者の格好に変装した上で行っていたが、取材して得られたネタを元に発行されている新聞『文々。新聞』が人間にも読まれているかどうか。

私は主に妖怪向けの新聞記者なのですよ。
さっきからあちこちで暴れている妖怪が居ると
風が言っていたので、後を付けました。

—『東方花映塚』風見幽香と射命丸文の会話より引用

花映塚では「主に妖怪向けの新聞記者」だと射命丸文本人が明言している。確かに文花帖や文果真報における取材相手は主に妖怪や人間の里の外に住む人間である。また、書籍文花帖の「風の号外」では博麗神社や紅魔館などの人間の里以外の場所で号外がばら撒かれており、メインの読者は里の人間ではないようだ。しかし、東方求聞史紀には『文々。新聞 第百九季 文月の一』の切り抜きがあり、稗田家がどのようにして妖怪向けの新聞を得られたのかは不明であるが、里の人間が文々。新聞を入手するルートもあると見られる。稗田家は妖怪と関わりも深い。そういった特殊な家柄故に妖怪の新聞を入手できたのかもしれない。

鈴奈庵第三十三話では射命丸文が鈴奈庵に新聞を置いてほしいと本居小鈴に交渉を持ち掛けるシーンがある。結果的には鈴奈庵に文々。新聞が置かれることになり、第三十八話では号外も人間の里内に撒かれるなど、人間の里でも文々。新聞の入手が容易になったようだ。また、東方文果真報の有料広告募集ページでは人間の里でも雑誌を発刊する予定であったようで射命丸文の発刊物は人間の里までも及んでいるとみていいだろう。鈴奈庵第三十八話の冒頭で新聞を読んだ霊夢の反応を見るにあくまで妖怪目線に偏った内容であるようだが、その後の第四十九話後編の小鈴によれば新聞の評判は中々良いようである。

以上の内容をまとめると、「射命丸文は積極的に人間を襲うでも驚かすでもなく、取材のために昼間の人間の里を出歩くときは変装し、場合によっては正体を明かした上で一部の里の人間と利害関係を持つこともある。新聞の内容は妖怪目線に偏っているものの人間の里でも入手可能で里の読者には好評のようだ。」といった感じか。

射命丸文の「里に最も近い天狗」という二つ名は人間から集めたネタから新聞を書いているからか、変装してでも人間の里に立ち入ってまでネタを探す姿勢からか、それとも人間と利害関係を結んでいるからか。鈴奈庵の小鈴の一件のようにルールを破らない範囲で行動するが、決して閉鎖的ではなく人間と個として関わりを持とうとする、それが射命丸文という天狗なのではないだろうか。

さて、『鳥よ』の歌詞に「翼持つもの」とある通り、翼をあらわにした状態で人間の子供の前に現れて攫っていると考えられる。加えて、楽曲終盤の状況を描いているであろうブックレットイラストにも翼の生えた状態で人間の住居の敷地内に現れていることは確かだ。この記事で整理した情報から考えると『鳥よ』の状況はやや奇妙に思える。

次の項では、いよいよ『鳥よ』の解釈を考えていこう。


◇『鳥よ』の解釈

前置きが長くなってしまったが、この項では『鳥よ』の解釈を深めていく。

『鳥よ』は「出会い」、「別れ」、「時間経過」、「再会」という分かりやすいストーリー構成にはなっているものの、物語の舞台、時代、射命丸文の心情と目的、人間のプロフィールなどが曖昧な楽曲となっている。平たく言えば「5W1H」の多くが欠けた状態だ。

例えば「When」、いつの話なのか。人間の人生を80年と仮定して、ある人間が「若き日」に射命丸文と出会ったことは読み取れるが、それが幻想郷が博麗大結界により現世から隔離された後の話なのか前の話なのか、射命丸文が東方Projectの表舞台に現れた第百二十季より前の話なのか後の話なのか等はほぼ読み取れないだろう。ブックレットイラストの背景は庭に立派な松がある日本家屋のようで、障子と縁側があることから書院造りが普及した室町時代以降であることはなんとなく分かる程度だ。

他にも「Where」、前項では人間の里における射命丸文の立ち振る舞いを振り返ってはいたが、そもそも物語の舞台が幻想郷にある人間の里なのか、もしくは外の世界の町なのかもハッキリとは分からない。

しかし、今までの凋叶棕の楽曲を思い出せば、東方Projectの世界観を理解した上で歌詞をよく読めばうっすらとでも解釈が見えてくるはず。まずは歌詞中で気になる点を挙げていこう。

思えばはじめからお前はきっと 私を騙そうとしていたのだろう
お前のあの目が悪戯めき笑う 若き日の私を誘うように
乞われるがままにその手を取った――その始まりを悔やめようか――嗚呼。

―『鳥よ』の歌詞より引用

人間は射命丸文の誘いに乗って攫われたのであって力尽くで攫われたわけではないことは確定だ。幻想郷の天狗が理由なく里の人間に手を出すような真似をするとは考えにくく、おそらくその人間を攫う動機があったと思われる。例えば、その人間が里の中で特別な存在で保護しなければならない理由があった、或いは一時的に行方不明にさせる必要があった等の攫われる為の条件があるのかもしれない。具体的には「天狗以外の妖怪がルールを破り、里の要となる人間の子供を奪おうとしていた為に守るために攫った」「その人間の子供が博麗の巫女候補だった為に攫った」といったところか。

しかし、攫われたのが里の人間でなく、外の世界の人間で博麗大結界ができる前の話とも考えられる。その場合、特に幻想郷のルール関係なく、妖怪としての欲を満たすために攫った可能性もゼロではないはずだ。

それはきっといつか来る定めの日 わたしだけがそれを受け入れられずに
お前のあの目が愁いに沈む 若き日の私を拒むように
乞うこともできずにその手を離した ——唐突すぎる終わりのときに ——嗚呼。

―『鳥よ』の歌詞より引用

人間は射命丸文とある期間を過ごし、唐突に別れの日が来たようだ。「定め」とあるため、この人間は元々期間限定で攫われて解放される予定であったとも解釈できるだろうか。前々項で引用した通り射命丸文によれば最近はキャッチアンドリリースが主流となっているらしく、攫われても結局はリリースされてしまうようだ。リリースされる条件は不明だが、その子供が何らかの条件を満たさなくなった、例えば「時間が経ちその人間が子供ではなくなった」とも考えられるか。

他にも「最近はキャッチアンドリリースが主流」という発言から人間をキャッチアンドリリースしている『鳥よ』の時系列は「最近」と推測できるのだろうか。射命丸文の言う「最近」が「幻想郷が隔離されて人間の里を守るルールができた後の時代」を指している場合、攫われた人間は幻想郷内の里の人間である可能性が高い。

その姿 けして二度とは見えず
お前の居ない空は遠く どこか余所余所しいほどにひろく——

―『鳥よ』の歌詞より引用

攫われてリリースされた人間は亡くなる今際まで射命丸文を「二度と姿を見ることはなかった」と語られている。これは、かつて天狗に攫われた人間がどこに住んでいて、どういった境遇の存在だったかがなんとなく推測できる要素だ。

阿求によれば天狗の遭遇頻度は「中」であり、「里に最も近い天狗」という二つ名を持ち、閉鎖的ではなく人間と関わりを持とうとする射命丸文だ。幻想郷内の里に住む人間が長い人生の内で射命丸文を二度と見ることはなかったとは考えにくい。確かに人間の里では射命丸文は記者の姿に変装して翼も仕舞っているため、この攫われた人間にとっての「鳥」と出会うのが難しいことは分かる。だが、人間の里から少し出て博麗神社を訪れたとしたら、最近ではロープウェイで妖怪の山を訪れたとしたら天狗の姿の射命丸文と出会うことがあってもおかしくはない。

余程この人間の運が良くなかったか、何か出会えなかった理由があったのかの二択が考えられる。後者では「その人間が里の外を出歩けない身分、または病状であった」「外の世界の人間であった」などが考えられるか。

人間の里の外を出歩く行為は妖怪に襲われる可能性があり、里の中でも身分の高い人間であれば一人でに外を出歩くことはまずないだろう。さらに病弱な人間であれば初詣や節分祭、『The Grimoire of Usami』で開かれた花火大会といった里の外で開かれるイベントにも行く機会が少なくなるため、天狗姿の射命丸文と出会えないことに無理もない。

また、そもそも外の人間であった場合、例えば宇佐見菫子のように「神隠しに遭った子供」であれば生きてるうちに出会えない可能性の方が圧倒的に高い。博麗大結界が張られる前の状況は今の幻想郷とは違うため、何とも言い難いが、今ほど天狗と人間の距離が近くはない気がしている。

何故お前はと問えども答えなど無く 徒に時 重ねるまま
お前のほかに誰が翼持つだろう? たとい私にしか見えぬとて

―『鳥よ』の歌詞より引用

「私にしか見えぬ」。つまり、他の人間は翼の生えた射命丸文の姿を見ておらず、攫われた子供の話を信じていなかった可能性がある。周囲の人間が天狗の存在を信じていなかったとも解釈できるが、外の世界ならまだしも天狗を知らない人間は幻想郷では稀だろう。人の形に翼の生えた「鳥」の姿を知っているのはこの攫われた人間だけで周囲の人間は射命丸文が変装した姿しか知らなかったと考えれば、幻想郷が舞台だとしても辻褄は合う。

しかし、「お前のほかに誰が翼を持つだろう?」とあるのは気がかりだ。人の形に翼の生えた天狗の姿を射命丸文以外に存在を知らないというのは幻想郷の外の世界でなければ成り立つとは思えない。しかし、前述した通り、この人間は身分が高く病弱であったとすればこの人間にとって「鳥」は射命丸文以外に存在しないとも言える。また、この歌詞は比喩表現である可能性がある。「私にとっての「鳥」は他の誰でもなく貴女だけだ」という解釈をすれば、幻想郷内の里の人間だとしても何ら矛盾はしない。

この期におよんでこの目に映る—— 空より舞い降りた幻想 ——嗚呼、それは!
鳥よ…鳥よ…
何故今になって——。

―『鳥よ』の歌詞より引用

死ぬ間際に再び目の前に舞い降りた「鳥」。これが本物の射命丸文だったのか、死ぬ間際に見た幻だったのかは分からない。本当に目の前に現れたのだとしたら、子供の頃に神隠しで幻想郷に来た外の世界の人間説の可能性が低くなる。しかし、奇跡的に再会できたという線も否定できなくはないが、ただの一羽の鴉天狗が特定の個人と会うために結界を越えて幻想郷の外に行ったこととなるため、ややご都合主義に思えてしまう。

以上、『鳥よ』の歌詞を振り返ってみたが、肝心な情報が欠けており、やはり解釈の幅が広くなってしまうようだ。以下に3つの解釈をまとめてみた。

1.幻想郷内の里に住む身分が高く病弱な人間説
 射命丸文は人間の里の重要人物の親族を攫う命を大天狗より受けた。事件のほとぼりが冷めるまで射命丸文はその子供と一緒に忘れえぬ日々を過ごした。だが、歳月人を待たず、遂に別れの日が来てしまった。射命丸文は人間の姿に変装し、別れに愚図る子供を里の家まで送り届けた。子供は送り届けてくれた射命丸文を翼の生えた「鳥」として周囲の人間に話をしたが、周囲の人間には射命丸文の背に翼は見えていなかった。その後、病弱なその子はずっと屋敷の中で過ごし、終ぞ「鳥」と再び出会うことはなかった。しかし、死ぬ間際となったそ、屋敷の庭にあのときの「鳥」が舞い降りた。かつて攫われた人間は風となり「鳥」と共に旅立っていった。

2.子供の頃に神隠しにより幻想郷に来た外の世界の人間説
 射命丸文は神隠しにあった子供を偶然見つけ、妖怪としての本分を為す事と保護を兼ねて妖怪の山でひっそり匿った。だが、妖怪の山は閉鎖的で人間が匿われているとなれば天狗の情報網も相まって大騒動になるだろう。発見されるのも時間の問題であり、いつまでも匿っているわけにはいかなかった。射命丸文は子供を連れて博麗神社に行き、外の世界に返してあげることにした。外の世界に帰ったその子供は周囲の人間に背に翼の生えた「鳥」と一緒に過ごしたと語ったが、子供にしか見えぬ幻想を信じてもらえるはずもなかった。子供はやがて大人へと成長し、「鳥」を探せども出会えぬまま徒に時が過ぎていく。かつて攫われた人間が死の床につくその間際、空より「鳥」が舞い降りる幻を見た。

3.幻想郷が博麗大結界で隔離される前に天狗に攫われた人間説
 未だ幻想郷が外の世界と地続きだった頃。偶然、ある子供が射命丸文と遭遇して攫われてしまう。紆余曲折ありながらも子供は射命丸文と二人で一生忘れることのない日々を過ごす。いつか訪れる「定めの日」まで。別れの日、射命丸文は別れを惜しむ若者を諭しながらも山の麓へと送り届け、愁いを振り切るように天狗は自らその場を去った。若者が街へと戻った直後、明治十七年、かつて過ごした山の周辺に博麗大結果が張られてしまう。若者は「鳥」が恋しくなって会いに行くもそこにあの山はない。当然、誰に「鳥」の事を話そうとも信じてもらえない。失意のまま若者は無為に刻を重ね、気が付けば死が目前に迫っていた。「鳥」と過ごした日々を走馬灯に見る中、ふと庭の松を見上げると「鳥」の姿が。遂に息絶えた人間は風となり、「鳥」の幻想と共に旅へ出た。

以上が世界観と極力辻褄を合わせつつ導き出した3例の解釈だ。このブログで常々言っていることだが、上記で挙げた以外にもまだまだ解釈が存在するはずだ。個人的に面白いと思う解釈はその人間の子供が博麗の巫女の候補であった可能性だ。『東方儚月抄 ~Silent Sinner Blue.』第二十話を読むと博麗の巫女は捜す必要があるようで、もしかすると天狗がどこからか孤児を攫ってくるのかもしれない。


◇ブックレット

死の床より伸ばされた皴のある人の手。その手の先には庭の松とその上に舞い降りる「鳥」の姿。循環る風に髪が靡き、「鳥」の表情からはその心の内をうかがい知れない。

障子、縁側、松の木、瓦塀を見るとそこそこ立派な日本家屋に思える。幻想郷にある人間の里のお屋敷か、それとも築年数の経った外の世界の民家なのかは判断が難しい。江戸時代に建てられた古民家でも造りが似たような建物があるため、時代が現代なのか、数百年以上前なのかも判断が難しいだろう。

射命丸文の表情も曖昧で、場所も時代も判断がつかず、手から人間の性別も分からない。このブックレットイラストの曖昧さが『鳥よ』の良さを加速させている要因だ。死の直前の朦朧とした意識を表したかのような淡いタッチで描かれており、現実と幻想の境目がぼやけているように思える。

イラストはまだ収録されていない。6冊目の綜纏に期待しよう。


◇雑記

人間は天狗を妖怪の中の一つの種族だと思って見ているようですが
我々天狗は人間を一つの種族だとは見ていません
里にいる人間と離れた場所に住む人間 山の中に入ってくる人間 外の世界の人間・・・・・・
全てそれぞれに違う感情を抱きそれぞれに違う関係性を持ちます

—『東方鈴奈庵』第四十九話 射命丸文のセリフより引用

東方鈴奈庵は人間と妖怪の関係性に焦点が当てられた作品だ。今まで妖怪と人間の関係は襲い襲われるだけに思えたが、人間の里に住む貸本屋の娘の視点から暗躍する妖怪たちを観測することで幻想郷における妖怪と人間の関係に新たな一面を加えていた。その世界観は「異類婚姻譚」をテーマとする『娶』にも大きく関わってくることだろう。

上記に引用した射命丸文のセリフは妖怪目線で人間との関係性を端的に表している。妖怪たちは個を大切にする。人間はただ襲う対象ではない。時には恐怖の対象として、時には師として、時には友人として、そして時には恋人として、人間の持つ個に呼応するように妖怪は複雑に形を変える。幻想郷における「異類婚姻譚」は妖怪と人間の関係性のひとつに過ぎない。

幻想郷の妖怪のもとに近い未来に契りを交わす人間が表れた時、相手が人間かどうかなんて関係なく、相手の個をありのままに愛することだろう。視点を変えて、もし人間が妖怪を愛した時はどうなのだろうか。人間は種族を越えて妖怪の個を愛せるのだろうか。「異類婚姻譚」における異種族間故の障壁は、個を重んじる妖怪ではなく人間にこそ与えられた試練とも言えるのかもしれない。

思うに、『鳥よ』は誰にでも理解しやすい昔話のようなストーリー構成でありながら、原作の世界観を理解することで踏み込んだ解釈ができ、さらにその解釈が分かれるところが興味深いポイントだ。

射命丸文を「鳥」と表現する等により物語が抽象化されている上、ボーカル:nayutaさんのエモーショナルな歌唱スキルも追い風となり、おそらく東方を知らない者だとしても楽曲を聴くだけで異類婚姻譚の流れがなんとなく分かるだろう。一方で東方の世界観をよく知り、歌に聞き耳を立てている者であれば物語のディテールがより見えてくる。しかし、ハッキリと唯一つの解釈が見えるわけでなく、不確かな複数の解釈が見い出せる点に深い味わいがある。

この物語の抽象化はテーマ「異類婚姻譚」の要素を尊重している故なのだろう。異類婚姻譚は昔話によくみられるモチーフだ。昔話に描かれた物語の構成はシンプルではあるが、何かの教訓が込められていたり、抽象化された神話が垣間見えたりもする。しかし、テーマ性故か物語が抽象化されてもなお、世界観を尊重した東方の二次創作としてしっかり成り立っている。そこが『鳥よ』の素晴らしい部分だと私は考えている。

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