真実の詩/嘘のすゝめ

その指の先にある真実


Featured in: 騙
track: 01/15
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title(01): 童祭 ~ Innocent Treasures/Endless
original title(15): 少女綺想曲 ~ Dream Battle/空飛ぶ巫女の不思議な毎日
length: 07:34/06:54


◇概要

『騙』のファーストトラックとラストトラック。『騙』は「嘘」をテーマに制作されたアルバム。収録された楽曲の内容がテーマ「嘘」に合致しているだけでなく、公式ページとアルバム裏面に書かれた嘘の曲情報、頒布当初に発表された嘘のお知らせ、手に取った者を騙すCDケースの構造、挙げればキリがない程にどこまでも「嘘」な作りをしている。

ファーストトラックは『真実の詩』。「嘘」をテーマにしたアルバムの最初の楽曲が「真実」。内容は「真実を求めて家出した少年、その少年を探していた霊夢。少年は道中に出会った人々から信じることの大切さを教わり、自分を見つけた霊夢に対してそれを語る。その話を聞いた霊夢は涙を流す。」というもの。この楽曲の偽タイトルは『空飛ぶ巫女の不思議なくらい理不尽な毎日』であり、霊夢の涙には何か良からぬ事情があるようだ。

ラストトラックは『嘘のすゝめ』。ファーストトラックとは対比的なタイトル。内容は「嘘を吐かれ泣いていた魔理沙は霊夢に慰められつつ、嘘は悪いことではないと嘘を吐いて幸せになることを勧められる。」というもの。偽タイトルは『全ての正直者達に捧ぐ』。

この記事は『真実の詩』と『嘘のすゝめ』の二曲にフォーカスし、博麗霊夢の涙と物語の真実、そして嘘について再考していく。


◇時系列の解釈

まずは『真実の詩』と『嘘のすゝめ』の時系列はどちらが先かについて復習してみよう。これは『嘘のすゝめ』が先で『真実の詩』が後だと解釈できる情報がアルバム内に多く見られる。

自分の未来と夢を否定され、
どうしようもなくなったその果てのこと?

―『嘘のすゝめ』の歌詞より引用

まず、『嘘のすゝめ』では「自分の未来と夢が否定され」と歌詞にあり、ブックレットイラストの背景では男性に箒が折られていることから、魔理沙は「魔法使いになりたい」という夢を何者かに否定された、と解釈できる。霧雨店と書かれた暖簾が描かれているので箒を折っている男は霧雨店の関係者と思われ、さらに経営者の娘の夢を否定できる人物となると香霖堂第20話などで言及されている魔理沙の父親「霧雨の親父さん」だと推測できるだろうか。

人間の里にある大手道具屋、霧雨店の一人娘であるが、既に絶縁関系にあると言う(*1)。
*1 プライベートな話だから詳しくは記述しないが、霧雨家は魔法の道具を扱っていないから、その辺に何かあるとか。

―『東方求聞史紀』 霧雨魔理沙の項より引用

魔理沙は実家から勘当され絶縁状態にあり、稗田阿求によれば勘当の理由は「魔法の道具」が関係しているらしい。霧雨の親父さんに箒を折られる(=夢を否定される)という描写から『嘘のすゝめ』の時系列は実家から勘当される前と解釈でき、ゲーム本編では魔法の森に住んで実家から口出しされない環境で魔法使いらしく活動をしているため、ゲーム本編よりも過去の話と解釈できる。これは私の主観だが、『嘘のすゝめ』で描かれたレイマリのイラストはやや幼い雰囲気がある。

また、『真実の詩』にも魔理沙は登場しているようだ。「金の瞳」と「あるはずないぜ」というセリフの語尾から、少年の言う「あの人」は魔理沙であると推測できる。だが、この魔理沙がどの時系列の魔理沙なのかは推測の域を出ない。霊夢についても同様で、特に時系列を表す要素は見当たらないように思う。強いて言えば、『真実の詩』のブックレットに描かれた霊夢が『嘘のすゝめ』の霊夢よりも大人びたように見えるくらいか。

このように楽曲だけではハッキリとした時系列関係をつかむのは難しいが、アルバムのファーストトラック・ラストトラックである故か、『騙』のアルバムデザインや公式サイトにそのヒントが隠されている。

She could do nothing but to force her Friend to become a liar.
Therefore, now she is at a loss for words against poor boy, who was fooled by her old friend…

―『騙』レーベル英文より引用

まず『騙』のCDレーベルの縁に書かれた英文にそのヒントがある。”she” は霊夢、”friend” は魔理沙とすれば、引用一行目の文章は『嘘のすゝめ』の霊夢が魔理沙へ嘘吐きをすすめる内容と一致する。二行目は少年(poor boy)が登場していて ”She” と ”friend” が一行目と同じレイマリだとすれば『嘘のすゝめ』の内容を表していると考えられるだろう。一行目は過去形 “could” なので過去の話、二行目は “now” なので現在の話となり、したがって『嘘のすゝめ』が過去で『真実の詩』が現在の話となる。

はじまりは、嘘をつかれた二人。
おしまいは、嘘をつく一人と口を噤むもう一人

―『騙』公式サイトジャケット画像Alt文より引用

他にも、嘘と真実の公式サイトのジャケット画像のAlt文も二曲の時系列を示唆している。「嘘をつかれた二人」は『真実の詩』と『嘘のすゝめ』の両方に合う内容だが、「口を噤むもう一人」は『真実の詩』の霊夢以外に合致する人物はいないだろう。よって、「おしまい」が『真実の詩』となり、「はじまり」は『嘘のすゝめ』となるため、これにより時系列が『嘘のすゝめ』がより過去、『真実の詩』がより未来の話となる。

実は公式サイトのAlt文の内容は『真実の詩』のイントロ、逆再生すると童祭になるパートの裏でぶつぶつと歌われているため、実際は楽曲だけでも判断できると言えなくもない。ただし、聴きとるのがとても難しい。

以上により、時系列の順は『嘘のすゝめ』→『真実の詩』と解釈し、以降もこの解釈を前提に話を進めていく。


◇嘘吐きは誰だ?

前項で紹介したレーベル英文には ”liar”(嘘吐き)、”fooled by” (~をだます)といった単語があり、Alt文には「嘘をつく」「嘘をつかれた」と書かれている。『嘘のすゝめ』では霊夢が魔理沙に「嘘吐きになること」をすすめていたが、この物語において嘘吐きに該当する人物は誰になるのだろうか。嘘吐きがいたとして誰に対してどんな嘘を吐いていたのだろうか。

嘘を吐かれて、傷つけられて。
しゃくりあげながら、泣いているの?

ー『嘘のすゝめ』の歌詞より引用

まず第一に『嘘のすゝめ』で魔理沙は嘘をつかれていた。上記の歌詞の後に「自分の未来と夢を否定され~」と続くため、魔理沙の夢を否定した人物、おそらく自分の父親に嘘を吐かれていたのだろう。父親が娘の魔理沙に対して嘘を吐いていたとして、その嘘の内容を考えてみる。

  1. 父親は娘の未来と夢を子供遊びの冗談だと思って始めは肯定していたが、娘が魔法使いになろうと本気で実行に移したのを見て大反対した。魔理沙の視点からすれば父親に嘘を吐かれて裏切られたことになる。
  2. 霧雨の親父さんは一人娘の父親として危ない道を行く娘の夢を否定していたが、本当は霧雨店の店主という立場から世間体を気にしたための行動だった。魔理沙はそれを悟っていたのであれば家出するに十分な動機になるのではないか。

魔理沙に吐かれた嘘についてはこの2通りがあるだろうか。いずれにしても魔理沙は嘘によって傷つき泣いているが、あのひねくれものの魔理沙がこんな出来事で泣くだろうか。まだ幼く純粋だった頃の魔理沙なら泣いたのだろうか。魔理沙が勘当された当時の描写は原作には存在しないため、ここは妄想の余地があるといえる。サークル砂亭さんが制作された三次創作本『縋 上巻/下巻』では、この「魔理沙が吐かれた嘘の内容」に関する解釈が丁寧に表現されているため、一読の価値あり。サンプルはこちらから(上巻下巻)。

Alt文の「はじまりは、嘘を吐かれた二人。」の文章が『嘘のすゝめ』の内容を指しているならば、霊夢に嘘を吐いた人物も存在するはずであり、誰がどんな内容の嘘を吐いたのだろうか。これはおそらく以下の歌詞から読み取れる。

―わたしは務めを果たしただけなのに。
善きことをしたはずなのに。
―どうして。

あの人たちの視線は、わたしを、畏れていた。
あの人たちの言葉は、わたしを、疎んでいた。
人ならぬモノを見るように。

—『嘘のすゝめ』の歌詞より引用

ここの「あの人たち」は博麗霊夢が務めを果たし守るべき存在、ブックレットの背景に描かれている人間たちなのだろう。「霊夢は博麗の巫女という人間を妖怪から助ける役割であるにも関わらず、強力な巫女の力を前に人間たちは霊夢を疎み畏れている」という構図と読み取れるが、原作にそういった描写はなく、むしろ東方茨歌仙や東方鈴奈庵では人間たちから感謝されている描写があるくらいだ。だが、描写されていない事が完全にその世界で起こりえない事であるとは言い難い。どういった原理か空を自由に飛びまわり、人間を襲う妖怪を容易く退治できる巫女の少女を畏れない人間が本当にいないと思うか?と聞かれれば確かにいてもおかしくはない。

これをどう考えようか。『嘘のすゝめ』では人間たちが霊夢に嘘を吐いていたと仮定して「表面上は巫女へ感謝しつつも裏では疎み畏れている態度を取っていた」のだとすると、公式漫画書籍の人間が巫女へ感謝する描写は否定されない。嘘の気持ちで感謝される行為は霊夢にとっては十分嘘といえる。

Alt文「はじまりは、嘘を吐かれた二人。」は、魔理沙は父親に、霊夢は助けた人間たちに、嘘を吐かれていた事を示唆しているのではないか。

だが、私は『嘘のすゝめ』に嘘吐きはまだ他に存在すると考えている。

それはすばり、博麗霊夢だ。

ねぇ、私にだって、どうしようもなくて。
泣きたいときだってあったんだよ。

でも、私は自分で決めて、
「泣き虫」はやめたのよ。

―『嘘のすゝめ』の歌詞より引用

霊夢は「泣き虫をやめた」と魔理沙に言っているが、本当にやめたのか・・・?『嘘のすゝめ』よりも未来とされる『真実の詩』では霊夢は少年の話を聞いて泣いているではないか。原作でも緋想天の八雲紫ストーリーのEDにおいて立て続けに二度も神社を破壊されて泣いている霊夢が描かれていた。まあ「泣き虫をやめた」だけあって「一生泣かない」とは言ってないので嘘と言い張るには強引かもしれないが、『真実の詩』で泣く描写があるのがやや気掛かりである。

また、霊夢は「嘘を吐いて幸せになろう」と述べているが、それで霊夢は本当に幸せなのだろうか。本当は辛いんじゃないのか?自分の気持ちに嘘を吐いているんじゃないのか?泣いている魔理沙を見たくないがために魔理沙を誑かしたんじゃないのか?

『嘘のすゝめ』の霊夢は魔理沙と自分自身に対して嘘を吐いているのだと私は解釈している。そして、霊夢も嘘吐きである事は『真実の詩』における霊夢の涙の理由にもつながると考えている。

次に『真実の詩』にける嘘吐きは誰だろうか。これはレーベル英文に書かれた「who was fooled by her old friend」から、少年に対して魔理沙が嘘を吐いていたと解釈できる。

「それは、ただ、簡単なのさ。
“人を信じて生きてゆけ”
それ以外に大事なものなど、あるはずないぜ」

―『真実の詩』の歌詞より引用

弊ブログの『Kirisame Eversion』の記事でも触れたように、霧雨魔理沙はひねくれもので他人の物を堂々と盗むような信頼できないキャラクターだ。そんな彼女が「人を信じることが何よりも大事」などと言うだろうか。もちろんこれは魔理沙による真っ赤な嘘なのだろう。

また、東方花映塚では魔理沙が嘘吐きである事を示す以下のセリフがあった。

映姫「そんな事より、貴方。そう、貴方は少し嘘を吐き過ぎる
魔理沙 「そんなこたぁ無い。生まれて此の方、嘘一つ吐いたことが無い」
映姫 「これからもそのままだと・・・・・・貴方は舌を抜かれる事になる」

―『東方花映塚』魔理沙ストーリーより引用

四季映姫は相手の過去の行いを映し出す裁判道具「浄玻璃の鏡」を持っており、稗田阿求に「間違った事を言う事は無い」と評価されているため、彼女のセリフには信憑性がある。実際、魔理沙は原作中で嘘を吐いており、例えば紅魔郷EXでフランドールに対して博麗霊夢と名乗る、永夜抄4面で「全部アリスがやった」と罪を全て擦り付ける、等がある。

She could do nothing but to force her Friend to become a liar.

レーベル英文に書かれている通り、『嘘のすゝめ』において霊夢は魔理沙に嘘吐きになるように強制したとすれば、『真実の詩』で少年が魔理沙に騙された責任は霊夢にあるともいえる・・・?

次の項では以上の嘘を踏まえて、霊夢の涙と物語の真実について考えてみる。


◇博麗霊夢の涙と物語の真実

『真実の詩』で博麗霊夢はなぜ涙を流したのだろうか。レーベル英文には「at a loss for words」とあるが、少年が語る「真実の詩」を聞いて霊夢は何を思ったのだろうか。

まず前項で述べた通り、少年は魔理沙に騙されており、レーベル英文の内容から霊夢はその事に気が付いているのだろう。魔理沙が嘘吐きになったのは霊夢が魔理沙に対して嘘吐きになるようにすすめた過去が原因であるため、霊夢は少年が騙された事に対して責任を感じて泣いてしまったのではないか。

ここで重要なのは、霊夢からすると守るべき存在である人間たちは嘘吐きになっているという点。前項の通り、霊夢は助けた人間達から嘘を吐かれていると考えられ、そんな嘘吐きな人間たちと人を信じて生きていこうとする純真な少年が共に暮らすとなると、少年はこれから先に出会う誰かの嘘によって傷つくこともあるだろう。そんな少年を不憫に思って涙したとも考えられるか。

まとめると以下のようになる。

霊夢は自分のせいで純真な少年が騙された事に責任を感じており、少年が歩いていく道の先で出会う誰かの嘘によって傷つく事を不憫に思い、どうしようもなく何も言わず涙を流すしかできなかった。

しかし、私はそれだけではないと考えている。

そもそもの話、霊夢は本当に人間たちに嘘を吐かれていたのだろうか。人間たちが向けたという疎み畏れるような顔は、もしかしたら霊夢の勘違いだったのかもしれない。『嘘のすゝめ』の主観は博麗霊夢である。疑心暗鬼に駆られた彼女が見る世界は歪んだものだったとしたら・・・?霊夢に対して疎み畏れる表情を向けた人間は本当にいたのかもしれないが、でも本当に誰もがそうだったのか?

つまり、何が言いたいかというと「博麗霊夢は誰も信じることが出来なかった」と。

人々が向ける表情が歪んで見える彼女に対して「人を信じることが何よりも大事」なんて言葉を純真な少年が説いたのならば。しかも少年だけではない。自分のせいで嘘吐きになってしまった霧雨魔理沙も、少年が行く先々で出会った人々までも同じような言葉を説いていたなんて知ったら。

きっと彼女はこの世界から疎外感を感じてしまうのではないか。

少年が信じる「人を信じて生きていく」という考え方は嘘吐きだらけの楽園を生きるには拙く浅いものだが、霊夢は少年に対してその考え方を改めさせるなんて事はできないはずだ。誰も信じることが出来なかった孤独な嘘吐きがこの少年に対して何を言えるだろう。

この純真な少年に「人を信じるな。それが正しいことだ。」なんて言えるか?「君が出会ったそいつらはみんな嘘吐きだ。」なんて言えるか?自分自身も嘘吐きなのにどの口が言えるのか。

霊夢は少年に対して黙ることしかできない。ただ黙ってこれから少年が騙されていくのを見るしかない。

なんて理不尽なんだろう。

だから、どうしようもなくなって、泣いたのだ。


◇ブックレット

『真実の詩』。夕焼けをバックに、霊夢は金髪の少年と向き合い、その頭をなでている。少年の表情は無垢な笑顔、それに対して霊夢は優しく微笑んでいる。

『嘘のすゝめ』。霊夢は泣いている魔理沙を慰めるように頭をなでている。魔理沙側の背景には霧雨店の暖簾の前で箒を折る男性の姿、霊夢側の背景には疎み畏れるような表情を霊夢へ向ける村人たちが描かれている。霊夢の顔つきは幼さを感じさせ、少し悲し気な表情をしている。

霊夢が金髪の頭をなでる構図は『真実の詩』と『嘘のすゝめ』の両方に共通しているように見える。両方の霊夢を見比べると『嘘のすゝめ』の霊夢の方が幼く見える気がする。

また、『真実の詩』と『嘘のすゝめ』両方に実際に歌われている歌詞とは別の内容の嘘の歌詞が書かれている。該当する部分は以下の3つ。単なるミスの可能性もあるが、テーマが「嘘」のアルバムである為、書かれた歌詞を信じない方が良いのかもしれない。

ぼくらが、歩いていくあるくこの道が、歪んでなど、いないように。

そうしてぼくはそうしていつかぼくは、あの人たちに出会ったんだ。

偽りを作り上げ、騙ることじじつをゆがめてかたったとして

ブックレットイラストは『綜纏Vol.2 二旅』に収録。はなだひょうさんによると『真実の詩』の少年は将来魔法に興味を持つ可能性があるらしい。この少年はアルバム『望』にも登場しており、「テンマ」という名前があるとのこと(はなだひょうさんのツイート参照)。他にも『密』の『アリス・ザ・エニグマティクドール』の歌詞カードでアリスの人形劇を見る子供の一人(向かって右端)として登場しており、同じく『随』のブックレットでもアリスの人形劇を見ている姿が確認できる。


◇雑記

原曲について書けなかったのでここで書く。

『嘘のすゝめ』は『少女綺想曲 ~ Dream Battle』と『空飛ぶ巫女の不思議な毎日』。どちらも霊夢に関連した選曲で『嘘のすゝめ』の主観は霊夢なので分かりやすい。永夜抄のコメントの通り、少女綺想曲のサブタイトルの ”Dream” は霊夢の夢である。霊夢に向けたという人間たちの表情は全て霊夢の夢だった、なんて考えても面白いかもしれない。

『真実の詩』は『童祭 ~ Innocent Treasures』と『Endless』。前者はサブタイトルの「純真な宝」から少年・テンマの笑顔を想起させられ、『夢違科学世紀』のブックレットでは子供たちの笑顔について触れられていた。『Endless』は旧作『東方怪綺談』のGood Ending 1のテーマであり、『真実の詩』が時系列としてEndingに値することを示唆しているのかもしれない。だが、私は「終わりがない」という言葉の意味が気になっている。『嘘のすゝめ』では霊夢が魔理沙に対して「嘘吐きになること」をすすめ、その魔理沙が立派な嘘吐きになって少年・テンマを騙し、そしていずれテンマも誰かに騙されて嘘吐きになっていくのだと考えれば、正に終わりがない。『真実の詩』と『嘘のすゝめ』の両方に共通する「向き合って頭をなでる構図」が終わりのない繰り返しを表しているようにも思える。

以上、つらつらと解釈を書いてきたが、そもそもこんな嘘吐きだらけの物語音楽に真実なんてあるのだろうか。たとえ真実を見つけたとしても、それはきっと憶測の域は出ないものだろう。

記事中でも触れたように人間たちが霊夢に対して疎んでいるまたは畏れているような描写は原作ではされておらず、博麗霊夢が本当に『嘘のすゝめ』で語ったようなことを思っているとは正直に言うと私はそう思えないし、魔理沙についても「父親に夢を否定されたくらいで泣くタマか?」と私は思っている。でも、アルバム『騙』はどこまでも「嘘」だから、それがテーマだから、「これでいいんだ」と今の私は考えている。テンマのように純真な人がアルバム『騙』を聴いて騙されていたとすれば、「嘘」をテーマとしたアルバムとしては完璧な作りだとすら思う。

この記事では霊夢が泣いた理由について私が思っていることを書いたが、もちろんこれも当然信用に値しない。私が博麗霊夢の何を理解していると言えるだろう。私は博麗霊夢の理解者でも何でもない。それでも私の話を信じると言う者を、それをどうして私が止められようか。

ここにある道は二つ。

霊夢のように何も信じないか、少年のように信じて騙されるか、だ。

 

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