Featured in: 喩
track: 2
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title: 風神少女
length: 06:46
◇概要
『喩』トラック2。『風神少女』を原曲とするこのアレンジ楽曲は「射命丸文」を主役としているわけではなく、ブックレットのイラストを見れば分かる通り、「もしもの世界」のとある二人の少女の物語である。
Q.「博麗の巫女」と言えば一般的に博麗霊夢のことである。
はい/いいえ
上記は『喩』特設サイト発表時に公開されたクイズである。このクイズは『喩』収録の各ボーカル曲と対応しており、上記のクイズは『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』に対応した内容である。このクイズに対して「いいえ」と答える事で『喩』特設ページへと進む事ができ、「はい」は押せない仕様となっている。つまり、このクイズの否定文こそがこの楽曲のコンセプトと考えられるため、文章を否定すると以下のようになる。
Q.「博麗の巫女」と言えば一般的に博麗霊夢のことではない。
ご存じの通り原作では「博麗の巫女」と言えば博麗霊夢であるが、原作とは違い、本楽曲では「博麗の巫女」は博麗霊夢ではないということになる。これはブックレットイラストを見れば一目瞭然ではあるのだが・・・。
本楽曲『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』では、「博麗の巫女」は博麗霊夢ではなく霧雨魔理沙がその役目となり、対して博麗霊夢は下駄を履いた天狗のような恰好をしており巫女ではない。東方Projectの顔とも言える霊夢と魔理沙は、この楽曲において原作とは全く違った役割を持つ。
だがしかし、この楽曲のすべてがすべて原作と違っているかどうかといえば、その実そうではない。
本記事では『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』において「変わるもの」、「変わらないもの」について注目し、原作と比較しつつこの楽曲について理解を深めていく。また、ifの世界である『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』では二人の名前が変わっている可能性も考慮して、本楽曲の二人を「レイム」「マリサ」とカタカナで表記し、原作における霊夢と魔理沙と使い分ける。
◇外見で考える霊夢らしさ、魔理沙らしさ
まずは「霊夢らしさとは何か」、「魔理沙らしさとは何か」を考える。原作における霊夢と魔理沙、『喩』におけるレイムとマリサ、その双方を比較し、「何が変わったのか」「何が変わらなかったのか」を理解する。この項でブックレットのイラスト、特に二人の少女の身体的特徴や服装といった外見から「らしさ」を考えてみよう。歌詞の内容については、次の項で触れるため、この項ではとりあえず置いておく。
まずはブックレットに描かれた二人の少女の特徴を書き出してみよう。

上記の表ではブックレット上側に描かれている少女をレイム、ブックレット下側に描かれている少女をマリサと仮定している。この表のうち、下の二行「目の色」と「髪型・髪色」は服装を除いた身体的特徴であり、目の色については原作の作品によって左右されるが、茨歌仙や三月精などの一部の原作における霊夢と魔理沙の目と髪の特徴の組み合わせが一致している。
例外として鈴奈庵第2巻表紙の博麗霊夢は金色に近い瞳だが、無論金髪でも三つ編みおさげでもないため、ブックレット下側の少女がレイムとは言えないだろう。他にも、魔理沙に三つ編みが無いパターンや霊夢がロングヘアーではないパターンなどの例外も存在するが、上記の表の「目の色」と「髪型・髪色」に書いた特徴のどれにも合致しない霊夢と魔理沙はWin版以降の東方では存在しないはず。あるとすれば、漫画書籍などで明らかに変装している場合や黄昏作品のカラー変更くらいか?
このように、目と髪の特徴の組み合わせという観点で原作と比較した結果から、ブックレット上側の少女をレイム、ブックレット下側の少女をマリサとする仮定はある程度蓋然性があるといえる。
身体的な特徴で見ると原作と一致する傾向にあるようだがが、服装や装飾品はどうだろうか。
レイムの服装は白と黒を基調色に赤色のアクセントが入ったようなカラーリングで、デザインは霧雨魔理沙の白黒服ではなく、どちらかといえば射命丸文の服装に近く、足に高下駄を履いている点も射命丸文との共通点である。

レイムの履いている高下駄はよく見ると二本歯であり、一貫して射命丸文の高下駄は一本歯となっている。一本歯の高下駄は、山間部で修行する修験者が履いていたとされ、修験者はしばしば天狗と同一の存在とされているためか天狗下駄とも呼ばれる。レイムの下駄が二本歯である理由は「レイムが完全な種族:天狗ではない(=種族:人間だ)から」なのかもしれないが、詳細は不明である。
次にマリサの服装は博麗霊夢の服装と似た紅白の巫女装束である。このことからマリサの役割が「博麗の巫女」であることを容易に察せられる。我々の住む現実世界における巫女装束の多くは白衣と緋袴に象徴されるように概ね紅白のカラーリングをしているため、東方Projectや博麗霊夢に関する前知識のない人に『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』のブックレットを見せたとしても金髪の少女の方を巫女と判断できるのかもしれない。他には大幣も巫女の記号の一つであるが、巫女と関係のない部分では三つ折りソックスと黒いローファーが原作STGにおける多くの博麗霊夢の足元と一致している。

まとめると、身体的特徴が霊夢に近いレイムは射命丸文の服を着て、身体的特徴が魔理沙に近いマリサは巫女の服を着ていることになる。射命丸文の服のカラーリングは「白黒」であり、博麗霊夢の服のカラーリングは「紅白」であることから、「紅白」と「白黒」が ”さかしま” になっているといえるだろうか。
しかし、服装の細かい部分を見ると「霊夢らしさ」や「魔理沙らしさ」が垣間見れる部分がある。例えば、以下に列挙した部分に、二人の「らしさ」が表れているように思う。
・レイムの服の袖が胴と分離して脇が出る服装になっている
・紅色の刺繍やリボンによりレイムが「紅白」のカラーリングにも見える
・レイムのもみあげカバー(ちくわリボン)の存在
・マリサの巫女装束のボタンが霧雨魔理沙の髪の色と同じ金色
・マリサの頭のリボンの位置が後頭部ではなく三つ編みおさげの付け根
ただコスチュームプレイのごとく「服が変わっただけ」「着替えただけ」では「霊夢らしさ」「魔理沙らしさ」等の個性が服装に現れることはないはず。二人の服装に各々の「らしさ」が表れているということは、表面的な部分ではなく、もっと本質的な要素が入れ替わっていると言えないだろうか。
つまり、何が言いたいか。服装への個性の反映はただの一時的なコスプレではない印であり、彼女らのの生きる道そのものが原作とは違う別のものと入れ替わり、巫女や天狗といった役割を本当に担っているのだとブックレットの情報だけでもそれが解釈できるのではないだろうか。
もちろん、『喩』のコンセプトを理解し、歌詞を読んでいれば、人生や役割ごと原作とは別物であることを察するのは難しくはないだろう。『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』がアルバム『喩』最初のボーカル曲であり、ブックレット1ページ目に歌詞とイラストがあることを考えると、『喩』がどういうコンセプトのアルバムなのかを理解させる役割を担っているのではないか。
アルバム『喩』は、最初に楽曲を聴いた後に歌詞だけで理解できず「?」となっている状態でブックレットをめくると『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』のイラストによって一気に謎が解けるというエンターテイメント性のある仕組みになっていると思える。
ここで気になるのは「ブックレット抜きで楽曲を聴いただけでは理解にこぎつけないのか」という部分で、かくいう私も『喩』の特設サイトと試聴が公開された当初は『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』がどういう曲なのかをしっかり判断できずにいた。しかし、歌詞から垣間見れる少女の内面と関係性の描写に「らしさ」が伴っており、たとえブックレットを見なくてもこの楽曲のコンセプトを理解できるのではないかと私は思っている。次の項では主に歌詞の内容に触れていく。
◇内面と関係性の「らしさ」
前項ではブックレットイラストに着目して、たとえ服装が変わっていても細部を見れば「霊夢らしさ」や「魔理沙らしさ」が読み取れることを示した。この項では二人の少女の持つ内面や関係性といった外面だけでは判断できない要素について着目するため、今回はブックレットイラストではなく歌詞から聞きとれる感情やメロディーから「らしさ」を考えていく。
まず、この楽曲の一人称は「”博麗”を阻むもの その身の不幸を呪えよと」という歌詞から「博麗の巫女」であると解釈でき、前項でも触れたように「博麗の巫女」の記号である紅白の巫女装束を着て大幣を手に持つブックレット下側に描かれた少女・マリサが一人称だと解釈できるだろう。ブックレットを見なくても歌詞から「博麗の巫女」が一人称と分かるわけだが、それが原作とは違った「もしもの世界で博麗の巫女となった魔理沙」だと細かい部分まで解釈できるのだろうか。もしメロディーと歌詞に「魔理沙らしさ」が表れていれば、そう解釈できるはずである。
そこに育っては そうなったというだけ
その身に纏う威光
その名さえ 少し重いよう―『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』の歌詞より引用
「博麗の巫女」という役割を背負うマリサは「その名」を少し重いと思っている。「その名」とは後の歌詞にも登場する ”博麗” のことと推測でき、原作においても「博麗の巫女」である霊夢の名は “博麗” であるため、彼女の名前が「博麗マリサ」であることも匂わせている。「博麗の巫女」という役割を少し重いと思うところに「らしさ」を感じるのだ。
原作における魔理沙は人間の里の大手道具屋・霧雨店を経営している霧雨の親父さんの一人娘で、理由は不明であるが魔理沙は実家を勘当され、実家と絶縁状態にある。香霖堂第6話で「あまり昔の事を考えたくはないが」「実家に戻る事はもう無いと言っているのに」「実家を飛び出した」といった魔理沙と実家の関係を匂わせる描写があり、実家を嫌っている様子や自分の意志で実家を出たことが分かる。これらの描写から「大手道具屋の一人娘という役割を嫌って実家を飛び出したのではないか」と推測でき、もし霧雨魔理沙が「博麗の巫女」という役割を背負ったら、その役割に対して何か思うところがあるのではないか。例えば、「大手道具屋の一人娘」も「博麗の巫女」もその役割が ”重い” などと思うのではないだろうか。
なお、原作の霧雨魔理沙が「大手道具屋の一人娘」という役割が “少し重い” と思っている直接的な言及はないため、あくまで「らしさ」というぼやけたイメージで解釈の域を出ない。一方で、霊夢が「博麗の巫女」という役割を ”少し重い” と思っているような描写は原作では特になく、気負うことなく飄々として妖怪退治の仕事をこなしているため、霊夢のイメージにあまり当てはまらないように思える。
歌詞だけでなくメロディーも併せて考えるのならば、「そこに育っては~」裏で流れているメロディーが『恋色マスタースパーク』であるため、原曲に気付けば一人称が「もしもの世界で博麗の巫女となった魔理沙」であると解釈する助けになるはず。
歌詞を聞いた人が、霊夢が「博麗の巫女」という役割を ”少し重い” と思っている事に対して「らしくない」と感じたならば、この楽曲の一人称は「博麗の巫女」だが博麗霊夢ではないと気付き、『恋色マスタースパーク』のメロディーで一人称が「博麗の巫女となった魔理沙」だと気付けるのではないだろうか。
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次に、マリサの相手の少女が「もしもの世界で天狗の格好をした少女となった霊夢」と読み取れるのかについて考える。この楽曲の一人称は「博麗の巫女」であるマリサであるため、一人称からその相手に対する感情から、その相手の正体を察することができるのではないか。
私なんかよりもずっと自由でいてそれが ずっと 遠く 途方もなく
その全てが 私にとってはただ、悔しい。―『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』の歌詞より引用
「もしもの世界で博麗の巫女となった魔理沙」であるマリサが「悔しい」と思う相手は誰だろうか。さらに歌詞には「どうしてこうも羨ましいのか」とあり、「悔しい」だけでなく羨望の気持ちもあるようだ。「魔理沙らしさ」があるマリサが悔しがったり、羨ましがったりする相手は誰が居ただろうか。
これについては当ブログの過去の記事で霧雨魔理沙について考えた際に触れている。
『スターゲイザー』の記事で紹介した香霖堂第3話の「勝負は大体霊夢の方に分が有る」、香霖堂第19話の「霊夢に負けがち」という記述。『Kirisame Eversion』の記事では、永夜抄オンラインマニュアル等にある「負けず嫌い」という魔理沙の設定と異変解決時の行動等に見られる「霊夢への対抗意識」について考えていた。
原作の霧雨魔理沙の言動からは霊夢への「対抗意識」や「羨望」が察せられ、レイマリの一つの関係性として「ライバル」という解釈ができ、実際レイマリを描いた二次創作ではよく見られる関係性である。しかし、霊夢以外にも、魔理沙が人間より長く生きる妖怪に対して羨ましいと思う描写が原作に存在しており、例えばアリス・マーガトロイドやパチュリー・ノーレッジも同業者として「ライバル」に含まれるともいえる。
相手の少女が何者かか解釈するために、歌詞で語られる二人の関係性だけでなく、マリサの相手となる少女の特徴を表す歌詞に着目する。
学の欠片とか
気の利いた言葉とか
そんなものは持ちえず
ただ空を飛ぶだけ 知っている―『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』の歌詞より引用
学の欠片を持ち得ていないとなればアリスもパチュリーも候補から外れるはずで、極めつけは博麗霊夢の能力は「空を飛ぶ程度の能力」である。他にも歌詞中の「囚われぬ」「自由」といったキーワードについても重力に囚われない博麗霊夢のイメージにマッチするため、マリサの相手となる少女を「霊夢らしさ」がある人物だと、ブックレット抜きで歌詞を聞いただけでも解釈できるのではないか。
ただ、この「霊夢らしさ」のある人物が射命丸文と同じような天狗の格好をしているかどうかについては、歌詞の内容だけで判断するのは難しいのかもしれない。原曲『風神少女』から射命丸文が関係していると考えることはできるが、「もしもの世界で博麗の巫女となった魔理沙」と射命丸文の楽曲であるとミスリードしてしまう可能性もなくはない。二人はライバルで相手の少女が「霊夢らしさ」のある人物だという解釈にたどり着けば、原曲『風神少女』の情報も加えて考えることで「もしもの世界で天狗の格好をした少女となった霊夢」と解釈できるのかもしれない。
以上、まとめると、
・外見は服装などが大きく変わっているが、目や髪といった身体的特徴細部には「らしさ」が感じられる。
・内面や関係性については原作と大きく変わっておらず、いずれも「らしい」振る舞い。
・役割・生きる道といった観点では原作とは全く違う別のものとなっている。
となり、『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』をブックレットを見ずに、楽曲を聴いただけでもある程度は正しい方向の解釈に導けるのではないか。(まあ、私自身がすでにブックレットも歌詞も把握しているので、この推測に信憑性はないわけだが・・・)
◇合わせて聴きたい曲
▼現世の巫女
『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』を聴く上でこの楽曲の存在は欠かせない。『ドリーム・アフター・ドリーム』と共通した原曲『星の器 ~ Casket of Star』、楽曲タイトルが指す人物とは『ハロー、マイフレンド。』の彼女なのだろうか。『喩』の最初のTrack1,2と最後のTrack12,13にさまざまな要素で繋がりを感じられるだろう。
▼name for the love
『辿/誘』収録。『name for the love』では赤ん坊の博麗霊夢が登場し、博麗の巫女として選ばれるような描写があった。『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』に登場した天狗の格好をしたレイムは『name for the love』で「選ばれなかった場合」の未来の霊夢なのではないか、という解釈が存在する。ある意味、『name for th love』自体が「香霖堂の魔理沙が言った霊夢は捨て子だったという発言がもし本当だったら」というifの上に成り立っているともいえる。
▼ハロー、マイフレンド。
『喩』ラストトラック。東深見高校の制服を着た霧雨魔理沙らしき人物がブックレットに描かれており、夢で逢えるトモダチに対して抱く心情を赤裸々に語っている。『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』の歌詞にある「学の欠片」や「気の利いた言葉」という表現は妙に現代っ子っぽさがあり、幻想郷の住人にはないような視点とも思えるため、同じく霧雨魔理沙をモデルとし、現実を生きようとする彼女と同一人物ではないかと推測できる。
◇ブックレット
霊夢と射命丸文の服を足して2で割ったような服を着た霊夢らしき人物と博麗の巫女のような服を着た魔理沙らしき人物。二人は弾幕飛び交う青空を飛翔し、弾幕ごっこを楽しんでいる。
ぱっと見では博麗の巫女と全く同じ服に見えるが、ボタンが金色だったり、頭のリボンが三つ編みおさげにくくられていたりと、ワンポイントで「魔理沙らしさ」のあるアレンジがされている。霊夢らしき人物の脇の出た服装やもみあげカバー(ちくわリボン)についても、「霊夢らしさ」が表現されているように見えるだろうか。
『喩』のブックレットはいつもと違った縦に開いて読む方式。初めてブックレットを手に取り、ページをめくると『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』が縦形式で表れるため、私の中で強く印象に残っているイラストの一つ。
ブックレットイラストは『綜纏Vol.4 四百四描』に収録。
四百四描では本楽曲におけるレイマリのラフが掲載されており、ラフには「零無」と「博麗真理沙」と二人の名前が書かれている。書かれている文章がRDさんからの指定ではなくイラスト担当のはなだひょうさんの解釈である可能性もあるため、それも理由に含めて、この記事では「レイム」と「マリサ」と呼ぶことに決めた。
◇雑記―
この記事では「霊夢らしさ」や「魔理沙らしさ」について考えたが、これには思うところが常々あって。
「見た目は博麗霊夢だけどセリフは博麗霊夢らしくない」だとか、「確かに紅白巫女だけど見た目がアレンジされすぎていてもはや博麗霊夢ではない」だとか、「確かに博麗霊夢だがどこか違和感がある」だとか。
古今東西の東方の二次創作物を見ているとこういった感想を持つことがしばしばあり、譲れないような、むず痒いような。でも、それがそのキャラクターであると私が認知できているし、原作および神主の脳の中におけるそのキャラクターのすべてを理解しているわけでもないから、その二次創作物を強く否定できない。仕舞いには「それもひとつの博麗霊夢だ・・・」と自己暗示的に納得させているわけだ。
今回の『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』の場合は、キャラクターの内面描写には「らしさ」があり、外見は変化しているものの細部には「らしさ」が残っているが、役割・生きる道は全く違うという東方の二次創作ではあまり見かけないタイプの代物だと私は思う。もちろん『喩』のテーマである「もしもの世界」が要因であるわけだが。
例えば「霊夢は紅白じゃないと解釈違い~~~!」とか「魔理沙は白黒なんですけどっ!!!」とか言う人がいたとして、そんな人がブックレットを見たらアウト判定になるのか?
って疑問に対する私の答えは『喩』のテーマが「もしもの世界」だからセーフ!になるし、もし根の深い解釈違いを私が持っていたとしても最終的に「それもひとつの博麗霊夢だ・・・」ってなる気がする。この楽曲も東方の二次創作であることは間違いないのでまあ当然ではあるが、どこかに「変わらないもの」があるってのが前提で最初に世界を定義しておくのは大事なことだな、と。
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この記事を書こうと思った理由の一つは、2020年8月16日に凋叶棕のアルバムが東方同人音楽流通より電子配信されるという出来事にある。なんと配信版にはブックレットが付かないのである。つまり、音楽だけを聴いて解釈する必要があるわけだ。
音楽だけでどう解釈できるんだろう。凋叶棕のアルバムにはブックレットを見ないと解釈がしにくい楽曲も少なくない。特に『喩』というアルバムは意図して原作と違う部分が含まれるから原作に詳しくてもなかなか難しいものがあるのではないか。実際、この楽曲をレイマリではなく文霊夢だと思っている人もいた覚えがある。
そう考えた私は『少女飛翔曲 ~ Everlasting Longing』を題材として選んだのだ。再考した結果としては「音楽だけでもある程度は解釈できる」となった。でも、これは私がこの楽曲がどういう内容かを知っているからであって、記憶を消さない限りは私の脳みそからはっきりとした答えは出ないともいえる。個人的に思い入れがあって好きなイラストなので、配信版で聴いていた人がいつか物理媒体の『喩』も手に入れてブックレットを見てもらえれば良いなー、と願わくばー願わくばーと私は思っている。
というわけで、
凋叶棕の『喩』はメロンブックスでどうぞ:https://www.melonbooks.co.jp/detail/detail.php?product_id=134266