Featured in: 屠
track: Ⅱ
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: Φ串Φ
original title1: 幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life
original title2: さくらさくら ~ Japanize Dream…
length: 05:37
◇概要
『屠』収録のトラックⅡ。西行寺幽々子のテーマ曲『幽雅に咲かせ、墨染の桜 ~ Border of Life』と東方妖々夢スタッフロール曲『さくらさくら ~ Japanize Dream…』のアレンジ楽曲。「西行寺幽々子の自尽」を題材に、『屠』のテーマ「恐怖」という観点からアプローチしている。
「富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ(死んだという事)、
その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。
願うなら、二度と苦しみの味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ・・・」―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
上記に示す原作の記述通り、タイトルの意味は「死んだという事」。「幽明」とは「この世とあの世」を表した単語。「幽明界(ゆうめいさかい)を異(こと)にする」、「幽明相隔(ゆうめいあいへだつ)」といった「死別」を意味する言葉が存在しており、これらは「幽明境を分かつ」とほぼ同義の言葉になる。
この記事では、西行寺幽々子とは何者なのかを振り返り、彼女の自尽と恐怖について考えてみる。
◇幽々子と西行
ひとつ、「西行寺幽々子=西行法師の娘」という説が存在する。過去複数の二次創作にて採用されてきた実績があり、故にそれが正しい前提で語られる程に浸透しているが、これはあくまで一つの解釈に過ぎない。これは西行寺幽々子を考える上で最初に留意すべき事柄であると、私は思っている。
この項では、「西行寺幽々子は何者であるか」に焦点を当てて、必要に応じて元ネタの話も織り交ぜつつ原作の記述より振り返ってみる。
幽冥楼閣の亡霊少女
西行寺 幽々子(さいぎょうじ・ゆゆこ)ラスボス、伝統ある西行寺家のお嬢様、今は亡霊の姫である。
主に死を操る程度の能力を持つ。―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
西行寺幽々子は「伝統ある西行寺家のお嬢様」である。伝統がどういったものかはさておき、幽々子が由緒正しいお嬢様である事は確かのようだ。「西行寺家」という、いかにもな家名だが、西行法師の ”西行” は出家した左兵衛尉藤原憲清(佐藤憲清)の法名である。「藤原北家」或いは「佐藤家」ではなく「西行寺家」とされている理由は、メタな話、”西行” というモチーフの分かりやすさにあるのだろうか。後の東方求聞史紀においても同様に「西行寺家のお嬢様」として紹介されており、この「西行寺家」の設定は現在でも変わりはない。
彼女の父親が、多くの人間に慕われた歌聖であり、自分の要望通り桜の下で眠りについた。
死後も慕われ続け、現在は神格化され天界に住む。―『東方求聞史紀』西行寺幽々子の項より引用
西行寺幽々子の父親は多くの人間に慕われた歌聖である。彼は現在は天界に住んでいるため、求聞史紀 同ページの注釈4に書いてある通り、輪廻転生を断ち切っているといえる。また、歌聖の話は東方妖々夢 キャラ設定.txtにも記載がある。
その昔、幻想郷には一人の歌聖が居た。
歌聖は自然を愛し死ぬまで旅して回ったという。
自分の死期を悟ると、己の願い通り最も見事な桜の木の下で永遠の眠りについた。
それから千年余り経った。―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
上記引用の「自然を愛した」、「旅して回った」、「己の願い通り桜の木の下で亡くなった」というキーから、この歌聖が西行法師が元ネタであると断言しても差し支えないだろう。
ただし、注意が必要なのは「千年余り経った」という部分。西行法師の生没年は西暦1118年 – 1190年であるため、現在の幻想郷の年代が西暦1900年~2000年台と仮定した場合、「千年余り経った」という表現だと西行寺幽々子の父親の生きた年代は西暦800~1000年までの間と予想されるため、史実上の西行法師の生きた年代と数百年程度ずれてしまう。この点は「東方における歌聖の設定」とその「元ネタ」が如実に相違している部分といえる。

東方妖々夢において、ひと際目立つ西行法師要素、それが上の画像に示す演出である。東方妖々夢の5面と6面の開始時の演出と「反魂蝶」発動時の演出に登場するこれらの文章は、史実上の西行法師が詠んだ和歌から引用されている。特に「ほとけには~」の和歌は『幽明境を分かつこと』のサビ部分の歌詞に引用されており、”西行” というモチーフの印象を深くしている。意味としては「私が仏になったら桜の花を供えてほしい。後の世に私の死を弔う人のあるのなら。」となる。
また、この項で引用したキャラ設定.txtおよび東方求聞史紀の記述にある通り、西行寺幽々子の父親である歌聖の最期は「願わくば~」の和歌の内容に合致しており、史実上の西行法師も文治六年二月十六日(太陽暦だと3月下旬頃)に没したとされ、没した場所は諸説あるが桜の花が咲く如月の望月の頃に死ぬ望みは叶っていたともいえる。西行法師の亡くなった時期については『拾遺愚草 下』に収録されている藤原定家の歌にも詠まれている。
ちなみに同じく『幽明境を分かつこと』の歌詞「さもあれば をしからざりし いのちさえ」の引用元は、西行法師ではなく平安時代のイケメン歌人・藤原義孝が詠んだ「君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな」と思われる。藤原義孝は西行法師と同じく藤原北家の者であり、西行法師からすると遠い先祖に当たる。
キャラ設定.txtには「文中にあった亡くなった娘というのが、自分の事だということに~」とあるため、白玉楼の書架にあった文献の冒頭「富士見の娘」も西行寺幽々子を指す。「富士見」とは江戸時代における西行の二つ名のようなものであり、「富士見西行」は浮世絵、浄瑠璃・歌舞伎、人形、日本刀の刃紋に至るまで江戸時代ではポピュラーなモチーフであった。よって、人々から ”富士見” と呼ばれた江戸時代と千年余り前とでは時代が違ってはいるものの、「富士見の娘」の ”富士見” も西行法師を比喩した単語の一つといえようか。
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以上に述べた西行寺幽々子の設定に関わる西行法師要素から、西行寺幽々子は「西行法師の娘なのではないか」と推測されている。
しかし、「西行寺という家名」と「歌聖の生きた年代」という元ネタとの相違点から西行寺幽々子の父親は西行法師そのものではないと解釈できるため、「かつて幻想郷に住んでいた歌聖(西行法師モデル)の娘=西行寺幽々子」と捉えるのが無難だろう。他にも、西行法師には娘が居たが、この娘は自尽したのではなく天寿を全うしたと『西行物語』では伝えられており、これも元ネタとの相違点といえるだろうか。
簡単にまとめると「西行寺幽々子は西行法師がモデルと思われる歌聖の娘で、伝統ある西行寺家のお嬢様で、現在は亡霊の姫」となる。
設定と元ネタの兼ね合いには注意が必要だが、西行法師の逸話には出家する際に娘を縁側から蹴り落としたというエピソードもあり、東方の二次創作をする上でおいしい(?)ネタも存在している。ただ、これは西行が出家するに際して愛する娘を蹴落とす覚悟が必要であった為であり、西行法師自身は十二分にも娘を愛していたと伝えられている。西行法師の生涯が描かれた『西行物語』の内容については、以下のリンクのものが分かりやすくオススメである。
さて、次の項からは本題、「西行寺幽々子の自尽」について考えてみる。
◇死と自尽と「恐怖」
元々、幽々子は死霊を操る程度の人間だった。
それがいつしか、死に誘う程度の能力を持つ様になり、
簡単に人を死に追いやる事が出来るようになっていった。
彼女はその自分の能力を疎い自尽した。―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
歌聖の父親を持つお嬢様・西行寺幽々子。生前の彼女は人を死に誘う能力を持つようになり、その能力を疎く思いて自尽する最期を遂げている。
『幽明境を分かつこと』の歌詞の内容に加えて、ブックレットイラストにて西行寺幽々子と思わしき女性が腹から血を流し倒れていることから、この楽曲は「生前の西行寺幽々子が自尽した事」と密接に関係していると推測できる。
アルバム『屠』のテーマ「恐怖」という観点から彼女の自尽について考えてみよう。
この身の憂さを思えば 生きるのはあやなしとのみ
その花のうつくしければ 恐れは無くただ身を捧ぐ―『幽明境を分かつこと』の歌詞より引用
「この身の憂さを思えば」の歌詞は人を死へ誘う能力を持った西行寺幽々子の心情と推測され、上記部分の歌詞の一人称は西行寺幽々子となるだろうか。ここで注目すべきは「恐れは無く」という歌詞。
『幽明境を分かつこと』では「西行寺幽々子は自尽に際して恐れは無かった」としている。これを考証してみる。まずは本記事の概要で引用した一文を再度引用する。
「富士見の娘、西行妖満開の時、幽明境を分かつ(死んだという事)、
その魂、白玉楼中で安らむ様、西行妖の花を封印しこれを持って結界とする。
願うなら、二度と苦しみの味わうことの無い様、永久に転生することを忘れ・・・」―『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
前項で述べた通り「富士見の娘」は西行寺幽々子を指す。とすれば、彼女の自尽に苦しみが伴っていたという事か?
しかし、これは死を迎えた西行寺幽々子へ向けられた一文であり、一人称は西行寺幽々子でない誰かになるため、西行寺幽々子が自尽に際して何を感じたか主観的な事実は不明である。たとえ苦しみが事実だったとしても、これは自尽という行為そのものへの苦しみではなく、人を死に誘う能力故の苦しみとも解釈できてしまう。
この一文からは察するのは難しい。
純粋な人間の精神 亡霊
死者の霊のうち、死んだ事に気付いていないか、死を認めたくないという念が強過ぎると、成仏出来ずに亡霊となる事がある。
亡霊は幽霊とは違い、生きていた頃の姿を取り、触れる事も話す事も出来て、傍目には人間と区別が出来ない。―『東方求聞史紀』亡霊の項より引用
次に死後の彼女の種族について。東方Projectの世界観において、人間の死後の逝き先は「幽霊」だけではない。「妖怪」、「尸解仙」、「怨霊」、「神霊」、そして現在の西行寺幽々子の種族「亡霊」などがある。
中でも「亡霊」は「死んだ事に気付いていない場合」、もしくは「死を認めたくない念が強過ぎる場合」に成るのだという。この2つの条件の共通点として、死んだ本人の意思に関わらず「生前の頃よりの変化(=己の死)を受け容れていない事」があるだろうか。
西行寺幽々子が死んだ事に気付いていなかったのかと言うと、死ぬつもりで自尽している時点で己の死を気付いているだろう。突然の事故で死んだのならば気付かないケースも考えられるが、自ら命を絶つ自尽の場合はこの条件に当てはまらないと考えるのが妥当だろう。
では、死を認めたくない強い念があったかと言えば、本人は明確に死ぬ事を目的とする自尽をしており、死を認めたくない強い念があるならそもそも自尽を選ばないと考えられるため、この条件では少し矛盾が生じてしまう。たとえ自尽により亡霊に成れたとしても、「死を認めたくない」という条件だと死後怨みを持つ亡霊に成る可能性が高いと推測でき、求聞史紀にある通り西行寺幽々子は怨みを持たない亡霊である為、この条件にはそもそも合致しないように思える。
うーん・・・。イマイチ、自尽により亡霊となるのは原則できないように思えてしまう。
ちなみに同じく種族が亡霊の蘇我屠自古の場合は己の死に対して尸解仙になるという目的があった為、これも自尽に近しい状況ではあるが、彼女は物部布都の策により不本意にも肉体を失っている事から「死を認めたくなかった」という条件に合致していると考えられる。
しかし、西行寺幽々子の場合は亡霊と成る為の2つの条件に当てはまりそうになく、やはり自尽で亡霊と成った理由に理解が及ばない。
なぜ自尽により亡霊と成れたのか、考えられる理由は以下の三通り。
①.自尽の瞬間に思い直し死を認めない生への強い執着が生まれた。
②.自尽せざる得ない状況に他者から追い込まれ、やむなしに自尽した。
③.自尽する事に一切の躊躇も未練も無く、己の死に気付かないほどに無頓着だった。
①は自尽直後に現世への未練や痛みなどから「死を認めたくない」という条件に合致してしまった、というちょっと間抜けなパターンだが、この方法なら自尽により亡霊に成れるはず。自尽の直後ではあるが恐れはある筈。
②も同じく「死を認めなくない」という条件に合致しており、西行寺幽々子の自尽のきっかけとなった人を死に誘う能力を他者(例えば、被害者・遺族等)から責められ、やむなく自尽を選んだというパターン。このパターンだと人に怨みを持ってしまう可能性があるため、人を怨まない亡霊である西行寺幽々子は微妙に辻褄が合わない気もする。
では③はというと、これはなかなか常人では理解が及ばない。死の概念を全く理解していない者、もしくは、死の概念を理解した上で己の死を全く意識する事もなく何も感じずに自尽できる者がこれに該当する。前者は赤子や子供の場合だからまだ理解できるが、後者はあまりにも暢気な人か、常人では辿り着けない悟り境地にまでイッちゃってる人くらいだろう。自尽しながらも「死に気付かない」という条件に該当し、当然、自尽に際して恐れなど存在しない。
西行寺幽々子が該当するとすれば、自尽によって怨みを持たずに亡霊に成れるパターンである③か。③の条件の場合、本人のパーソナリティに左右される部分が大きいため、まず彼女の性格を振り返ってみる。
彼女の性格は非常に暢気で、自分が冥界に来てからどの位経ったのか覚えていないという。
それどころか、朝食べた内容も覚えていないらしい。ー『東方求聞史紀』西行寺幽々子の項より引用
西行寺幽々子は過去の事を余り覚えていない程に非常に暢気な性格と語られている。これは阿求による記述ではあるが、キャラ設定.txtにも「生前の事等すっかり忘れ」とあるため、忘れっぽい性格なのは事実なのだろう。しかし、自尽という相当の覚悟が必要な行為には、暢気な性格だけで説明が付かない部分もある。
性格の他に重要な要素がもう1つ、死生観だ。生前の彼女が居た特殊な環境が鍵を握っているはず。キャラ設定.txtによると西行寺幽々子の父親は幻想郷に住む歌聖であるため、幽々子の出身も千年余り前の幻想郷ということになる。
職業 :亡霊
出身地?:冥界
住処 :白玉楼
能力 :死を操る程度の能力
趣味 :アンチエイジング
生前の夢:安らかな死ー『ロードオブバーミリオンRe:2再征』西行寺幽々子のフレーバーテキストより引用
東方Projectの原作には該当しないスクウェア・エニックスのカードゲームからの引用だが、このテキストは原作者ZUN氏によるものである。これには貴重な西行寺幽々子の生前の情報があり、生前の夢は「安らかな死」であったという。
思うに、「安らかな死」という夢は西行寺幽々子は父親の影響を強く受けているのではないか。西行法師がモデルである西行寺幽々子の父親は、死期を悟った後に願望通り桜の木の下で永遠の眠りについていた。「死期を悟った」という事は寿命もしくは病が死因と考えられるが、「眠りについた」と言う表現の為、歌聖の死は安らかなものであったと予想される。要は、西行寺幽々子は父親と同じような死を迎えたかったと解釈できるのではないか。
それ以来その桜はますます見事に咲き誇り、多くの人を魅了し、多くの人が永遠の眠りについた。
そうした死の魅力を持つ桜は、いつしか妖力を持つようになっていたのだ。
それから千年余り経った。
西行寺家にはいわく付きの妖怪桜「西行妖(さいぎょうあやかし)」がある。ー『東方妖々夢』キャラ設定.txtより引用
そして、生前の西行寺幽々子を取り巻く最も特殊な環境要因が「西行妖」だ。この妖怪桜は西行寺幽々子の父親が死んだ後、人々を魅了して死へ誘う妖力を持つようになったと言う。死後神格化され天界に住むほどのカリスマ性を持っていた故に、歌聖を敬う後世の人々が彼の影を追うように桜の木の下で自尽した結果、いわく付きの妖怪桜が生まれたのかもしれない。人々が桜の木の下で自刃を遂げる様子を、娘である西行寺幽々子が見ていたとすれば、死生観が常人のものからかけ離れてしまうのも頷ける。
彼女の暢気な性格に加え、多くの人に慕われた父親の影響、西行妖による死の常態化が要因となり、西行寺幽々子は恐れることなく自尽を遂行しながらも怨みを持たない亡霊と成れた、と解釈すれば辻褄は合うように思える。
しかし、これも1つの解釈にすぎず、そもそも生前の幽々子と死後の幽々子で性格が違っている可能性も否定できない。西行妖を封印する為に自己犠牲的に自尽を行ったという解釈もありだが、その場合は亡霊には成らないだろう。しかし、何者かが幽々子の記憶を封印して死を忘れさせたのだとすれば、己の死に気が付かずに亡霊に成れたと解釈できるかもしれない。当然、他にも解釈が存在するのだろうが、今日のところは一旦ここまで。
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『幽明境を分かつこと』の「恐れは無く ただ身を捧ぐ」という歌詞だけでなく、ブックレットイラストの彼女も安らかな表情を浮かべており、この楽曲の場合は「西行寺幽々子は恐れることなく自尽し、安らかに死ぬ夢を叶えた」と解釈している事になるだろう。
現世への未練など一切なく、生への執着があまりにも希薄。
『幽明境を分かつこと』の西行寺幽々子はこの項で述べた③に近しい条件で恐れのない安らかなる自尽により亡霊となったのではないだろうか。
◇ブックレット
桜色に近い赤の鮮血を腹部から流し、仰向けに倒れている西行寺幽々子。状況とは裏腹にその表情は安らかであり、自尽とはいえ彼女の生前の夢が叶っていたのだろうか。彼女の屍の下に細く伸びる黒は桜の木の根にも見えてしまう。
腹から血を流している事から刃物による切腹を手段として用いているのだろうか。西行寺家のお嬢様である幽々子は半人半霊の魂魄の者から剣術の指南を受けており、当時も刃物の扱いには慣れていたと推測できる。ちなみに刃物による自尽は『幽明境を分かつこと』以外の二次創作においても見かけることがある。
求聞史紀によれば生きていた頃と比べると若干肌の色や髪の色が薄いらしいが、紅白の配色である為、生前の西行寺幽々子の肌や髪の色などは確認できず。
『ブラック・ロータス』の記事でも触れたが、同じページに歌詞が掲載されている『幽明境を分かつこと』と『ブラック・ロータス』の対比関係も注目である。恐れもなく自尽を遂行した西行寺幽々子、背信してまでも生に縋り付こうとした聖白蓮。他にも色や表情など対照的で面白い構図。
イラストは『綜纏Vol.3 三怪奇』に収録。
◇雑記
本記事で西行法師の様々な話を史実として取り上げたわけだが、実はこれらの内容は歴史上の真実かどうかは定かではないものなのだ。特に『西行物語』の内容は脚色が強く、あくまで西行法師を取り巻く説話・伝説・虚構を集めつつ史実を織り交ぜながら実録風にまとめられたものということらしい。(参考: 京都大学所蔵資料でたどる文学史年表: 西行物語)
思うに、西行法師を敬う後の世の人々が作り上げた虚像がキャラクターとして形を成した結果が西行寺幽々子の父親である歌聖なのではないか。これは豊聡耳神子と聖徳伝説の関係に近いとも思える。
本記事で述べたように西行法師が没した数百年後の江戸時代において「富士見西行」は様々な芸術作品のモチーフとして人気を誇り、更に現代においてさえも西行が愛した花鳥風月は和の心の一部として根付いており、西行法師が与えた後世への影響は計り知れない域にあると思える。ある意味では、今回取り上げた虚構の説話『西行物語』も西行法師のフォロワーが作り上げた二次創作ともいえるのだろうか。
そうやって虚構が虚構で形成される創作物の輪廻転生を考えていくと、『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』という作品の、元ネタって何なんだろうって。
すべての創作物の元ネタを辿れば聖書に行き着くなんて愚論憶説を見かけたことがあるが、元ネタを掘れば掘る程にその創作物のモチーフから距離がどんどん離れていく気もしていて、やはり創作物とその創作物に含まれるモチーフとの折り合いはどこかで付けたほうが良いと、なんとなく思うのだ。