The beautiful world

utsukushiki-sekai


Featured in: 辿/誘
track: 7(Disk1 tadori)
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title1: 魔術師メリー
original title2: ネクロファンタジア
length: 06:55


◇概要

Now, I recognized that myself had been turned into the Phantasm,
“How Beautiful, How comfortable, How hearty.”
I don’t care everything which has been left behind.
I shall exist on this beautiful world…

-『辿』CDレーベルより引用

『辿/誘』のDisk1『辿』のラストトラック。タイトルの意味は歌詞中にもある通り「うつくしきせかい」。上記の通り、Disk1『辿』のCDレーベル外側に綴られた英文の後半部分は『The beautiful world』の歌詞と近い内容になっている。

原曲『魔術師メリー』は秘封倶楽部に所属しているマエリベリー・ハーンのテーマであり、原曲『ネクロファンタジア』は境界の賢者・八雲紫のテーマである。勘の良い方ならば、この2曲が原曲となっている事実だけで、彼女が辿り着いた結末を察することができるだろうか。

『The beautiful world』はマエリベリー・ハーンがついに向こう側へと辿り着き、幻想と共に歩むことを決意する楽曲である。くるりと伸びる髪先と帽子に結ばれた赤い糸はマエリベリー・ハーンの変貌を如実にも物語っている。もう彼女の隣には宇佐見蓮子はいない。

本記事ではマエリベリー・ハーンというキャラクターをもう一度おさらいし、『辿/誘』を時系列という観点から彼女の歩みを辿ってみよう。


◇マエリベリー・ハーン基礎

原典であるZUN’s Music Collectionシリーズからマエリベリー・ハーンを振り返ってみよう。

採用された原曲、歌詞の内容、ブックレット、その他楽曲とのつながり等から、『The beautiful world』が「八雲紫≒メリー説」を採用している事は明白だ。この「八雲紫≒メリー説」が現在でも多くの二次創作で採用される理由は「近しい外見」、「関連性のある能力」、「ハーンと八雲の姓」等が主な要因であり、「マエリベリー・ハーン」という名前が判明した夢違科学世紀頒布当時よりファンの間で度々話題に上がっていた。

『The beautiful world』において「八雲紫≒メリー説」は重要な要素の一つではあるが、この項ではどちらかというと「なぜマエリベリー・ハーンは宇佐見蓮子より ”美しき世界” を大切なものとして選んだのか」という部分、メリーがある種の危うさを秘めている事について注目したい。

(——こんなに笑っている子供を最後に見たのは一体いつだろう。
聴いた事もない不思議な唄、不思議な踊り。どうやら今日は祭らしい。
私も、いつかはこんな子供達の笑顔がある国に住みたいと思ったわ。

夢違科学世紀 ブックレットより引用

夢違科学世紀の頃、メリーは色々な世界の夢を見るようになり、何が現で何が夢なのかが曖昧になっていたため、宇佐見蓮子へカウンセリングを頼んでいた。上記の括弧で囲われた文章は、夢違科学世紀のストーリーから察するにメリーの独白であることはほぼ間違いないだろう。「住みたいと思った」という言葉から、自身の住む科学世紀ではない別の世界への憧れのようなものが読み取れるだろう。

夢の話を聞いた宇佐見蓮子は「メリーの危うさ」を懸念するようになり、メリーが夢の中を別の世界だと認識してしまえば、科学世紀の世界には戻ってこれなくなってしまうかもしれないと考えた。結果、蓮子は「実際に別の世界にいる事を強く意識させて、夢から眼を覚まさせる」というカウンセリング方法を選ぶこととなった。

だが、この卯酉新幹線『ヒロシゲ』から見えている極めて日本的な美しい情景も、金髪の少女、メリーにとっては退屈な映像刺激でしかなかった。

―卯酉東海道 ブックレットより引用

卯酉新幹線は車体の上下以外が半パノラマビューと呼ばれる窓になっており、その窓には美しい日本の自然情景が映し出されている。卯酉東海道では ”美しい” という形容詞が何度も登場しており、その全てがパノラマビューに映し出された富士の景色に掛かっている。

別の世界の景色(蓮子曰く、美しき自然とほんのちょっぴりのミステリアス)を知るメリーだからこそ、このパノラマビューを退屈に感じたのだろう。メリーはこのパノラマビューを ”偽物” と吐き捨てていることから、別の世界で見た美しい自然に対しての拘り・執着のようなものも読み取れるのではないか。

目に映る光景は、余りに幻想的だった。
(中略)
余りの異様な光景にマエリベリーは熱病にかかったかの様に辺りを探索した。

―鳥船遺跡 ブックレットより引用

鳥船遺跡は打ち棄てられた生態系実験用衛星・トリフネの中を探索する話。冒頭、メリーは夢の中でここを訪れており、人の手が及ばないありのままの自然を前にして探検心に駆られている。人々から忘れ去られた自然豊かな場所という点は、幻想郷に通ずるものがある。メリーはパノラマビューのように人工の自然ではない「ありのままの自然」に惹かれる傾向にあるとも言えようか。

蓮子は何やら興奮しているメリーを観察した。
何か、伊弉諾が実在……等、ぶつぶつと呟いてる。
何かちょっと遠くに行ってしまったようで寂しく思った。
そう言えば最近、メリーの能力が高まっている様に感じていた。

―伊弉諾物質 ブックレットより引用

伊弉諾物質においては宇佐見蓮子が更なる不安を抱いている様子が伺える。「何とかして自分もその映像を見なければと思った」とあることから、蓮子は幻想の先を行くメリーから置いて行かれることに対して不安を感じているのだろう。先の夢違科学世紀も踏まえた上、伊弉諾物質のストーリーから、この「蓮子を置いていくメリー」の構図が浮かび上がってきたわけだ。

さて、以上より情報をまとめるとこうなる。

・メリーは別の世界に対して、特にありのままの自然に対して憧憬・執着を見せている。

・結界の境目を見るだけだったメリーの能力が高まってきている。

・宇佐見蓮子はメリーに対して不安を抱いている。

以上で述べた事を踏まえると、メリーの辿る未来として『The beautiful world』があるように思えてくる。メリーの未来に関する解釈の中では比較的ストレートなものと言えよう。しかし、原作においても「メリーは蓮子を歯牙にもかけていない」というわけではないので、そこら辺は悪しからず。


◇『辿/誘』から考える時系列

アルバム『辿/誘』の特徴として、Disk1『辿』とDisk2『誘』それぞれ同トラックに位置する楽曲同士が対となっている点がある。『The beautiful world』は『辿』のラストトラックに位置する楽曲であり、『The beautiful world』と対となる『誘』収録インスト『何もかもが、幻想』も同様にラストトラックを飾っている。

『辿/誘』というアルバムを時系列から考えてみよう。まずは並べてみる。

『辿』 『誘』
01『とおいよびごえ』 01『Calling』
02『Grate Escapers』 02『全ては、その笑顔のために』
03『left behind』 03『黄昏逃避行』
04『name for the love』 04『今やファインダァは彼方から』
05『At least one word』 05『神様たちの事情』
06『she’s purity』 06 『「アリス」とぼくの理想的世界選択論』
07『The beautiful world』 07『何もかもが、幻想』

上から順にみていくと、トラック1は「幻想郷へと誘う声」を『蓬莱伝説』のメロディーに乗せて表現されており、はっきりとした時系列は不明。「たどりつくこと/いざないこと」をテーマとしている点から察するに一番過去とも解釈できる。

トラック2は蓬莱山輝夜と八意永琳が地上で再会し、月の使者を殺害しているシーン。小説抄に記述がある通り、時系列は現在より1300年ほど前となる。トラック3は不死身となった藤原妹紅が辿ったのであろう境遇について歌われている。蓬莱の薬により不死身となっているので少なくともトラック2よりも未来の話となる。

トラック4は博麗霊夢がまだ赤子であった頃で、トラック5は東風谷早苗が幻想入りする前の話となる。これらも時系列関係が分かりやすく、トラック4はトラック5の前と解釈するのが妥当だろう。

トラック6は求聞史紀で語られた通り、生まれたばかりの妖怪であるメディスン・メランコリーの話。『she’s purity』の時間軸を生まれた瞬間で切り取るのであれば、トラック5よりも後とも解釈できるか。ここの時系列関係は曖昧で、花映塚と風神録の時系列からすると微妙。

と、ここまでの流れから察するに、『辿/誘』の楽曲は時系列順に並んでいると解釈できるのではないか。そうなるとラストトラック『The beautiful world』はメリーが居る科学世紀である故に『辿/誘』の中で一番未来なのだろうか。

『辿/誘』の時系列を考える上で、もう一つある目線として、『辿』と『誘』で対になるボーカルとインストの時系列はどちらが未来か過去か、という部分。

『The beautiful world』と『何もかもが、幻想』の二曲では、楽曲のアレンジ方針はもちろん、原曲の組み合わせからもそれが察せられる。前者は『魔術師メリー』+『ネクロファンタジア』、後者は『ネクロファンタジア』+『夜が降りてくる ~ Evening Star』であり、メリーのテーマが入っている『The beautiful world』よりも八雲紫のテーマで固められた『何もかもが、幻想』が未来なのだろう。

そして、『何もかもが、幻想』の最後には『辿/誘』を考える上で重要な音が流れる。この音があることで時系列のループ・世界の一巡が匂わされ、『絶対的一方通行』における八雲紫の言動を踏まえるとより一層そう思えてしまう。


◇「私」と「わたし」

『The beautiful world』では一人称として「私」と「わたし」が登場している。この点について少し考える。

まずは原作、ZUN’s Music Collectionシリーズにおけるマエリベリー・ハーンの一人称は始終「私」であり、一人称として「わたし」が使われたことは一切ない。また、原作における八雲紫の一人称も「私」であり、「わたし」が使われることはない。この一人称の違いは一体何を表しているのだろう。

まずは歌詞より引用して列挙する。

一人称「私」 一人称「わたし」
「そう、を、縛るものなど、はじめから存在なかったのだ。」 わたしは、ただ、くいいるように、それをみていた。」
「得がたき、恍惚が、目に見えぬ形をまとって、に入り込む。」 わたしは、きっと新たに生まれ変わったのだ。」
「その全ての価値より、たいせつなものをいま、は知ってしまったから」 「―わたしは、このうつくしきせかいとともに、生きていくのだ。」

うーん、はっきりとは違いが見えてこないが、なんとなーく分かるような、といった感じでこれは説明が難しい。

恐らくは、理性を保っているメリーの一人称が「私」で、恍惚感に溺れているメリーの一人称が「わたし」という見方ができるのだろうか。メリーの自我が「私」で、八雲紫の自我が「わたし」とも解釈可能だが、原作における一人称に加えて、関連が示唆される『絶対的一方通行』でも八雲紫の一人称は「私」であるため、やや辻褄が合わない形になる。

[おいで、おいでと、呼ぶ声が、聞こえる。
とても、遠くの、何処かから、聞こえる。
その声は、むねのうちへと、響いて。
底知れぬ、何かへと、わたしを誘う]

―『Calling』の歌詞より引用

『誘』収録の『Calling』に「わたし」という一人称が使われている。この楽曲における「わたし」は幻想郷へ誘われた者達をまとめた一人称とも解釈できるが、前項で述べた時系列ループとブックレットに描かれた八雲紫の後ろ姿から察すると、この「わたし」も八雲紫(=メリー)の一人称とも解釈できるのではないか。『The beautiful world』の「終わりなき幻想をかき抱くために」という歌詞と、『Calling』の「潰えぬ幻想をかき抱くために」という歌詞が酷似している点もそれを示唆しているかのようだ。

ちなみに「私」と「わたし」が混在する現象は『騙』収録の蓮子サイド『rebellion -たいせつなもののために-』でも確認できる。これも考えてみると面白いかもしれない。


◇ブックレット

マエリベリー・ハーンへと向かって伸ばされる無数の腕、彼女は穏やかな表情で伸ばされた腕の一つを取ろうとしている。帽子に結ばれた赤い糸と伸びる髪先がマエリベリー・ハーンと八雲紫の丁度中間くらい、つまり彼女の変異そのものを彷彿とさせている。

歌詞中、『The beautiful world』の表題が入る場所に劇場的な演出を思わせる。余談だが、ここは筆者が私的に好きな部分でもある。

ブックレットイラストは『綜纏Vol.2 二旅』に収録。『The beautiful world』と『Calling』の見開きページを見ると、両者のブックレットが繋がっているかのように見えてしまう。

『辿/誘』のメリーと八雲紫に共通するアイテムである赤い靴については、『絶対的一方通行』の記事でも触れたので内容は割愛する。赤い靴の存在は『辿/誘』ループ説をフォローしているとも言えるだろうか。


◇雑記

『The beautiful world』はマエリベリー・ハーンの辿った歩みの結末が描かれている。マエリベリー・ハーンは宇佐見蓮子ともども科学世紀よりも ”美しき世界” を自らの意思で選んでいるかのようでもあるが、「なにも、こわくない」と力を込めて歌われた箇所に恐れを噛み締めて抑えているかのような感情がある、そんな気がするのだ。

というのも、原作におけるマエリベリー・ハーンは ”別の世界” を訪れた際に、例えば夢違科学世紀の大鼠や鳥船遺跡のキマイラなど、幻想に対して恐怖を覚えるシーンがいくつかある。”別の世界” を訪れたマエリベリー・ハーンは夢で体験した出来事が現に反映される事を知っているからか、「臆病さ」も持っているようなのだ。そんな彼女が恐怖を乗り越えた結果が『The beautiful world』という解釈もありか。

しかし、やはり、『絶対的一方通行』の歌詞「手に入れる価値のあるものなどどこにある」を踏まえると、なんだか八雲紫が今の幻想郷をどう思っているのかがちょっと気になってきて、前回の『カレイドスコープ』の記事でも触れた通り、この点は少し残酷である。

今回、マエリベリー・ハーンを再確認するにあたって、蓮台野夜行から伊弉諾物質までのZMCに触れた。2012年に頒布された伊弉諾物質から年月が4年ほど空き、燕石博物誌が頒布されたわけだが、この間、秘封俱楽部のストーリーは時が止まっていたのだ。大空魔術と鳥船遺跡の間の6年(ストーリーのない未知魅知を除き)と比べると年月こそ短いが、蓮子とメリーの関係に不穏を残した上での幕引きであった事が印象を深く残す要因となり、これが当時の秘封俱楽部の二次創作に対して蝕むかのような影響を与えていたかのように思う。

『The beautiful world』もそういった影響の配下にあった二次創作の一つだったのかもしれないなと、今でこそ、そう思えてしまう。

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