カ-210号の嘆き

どうかKappaと発音してください


Featured in: 喩
track: 5
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title: 芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend
length: 05:58


◇概要

アルバム『喩』収録のトラック5。河城にとりのテーマ曲『芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend』を原曲としたアレンジ楽曲である。

Q3.河城にとりは河童であり、妖怪の山近辺に住んでいる。

はいいいえ

アルバム『喩』の特設サイトには上記のクイズが存在する。このクイズに対して「いいえ」をクリックすることによって次のクイズに進め、「はい」は押せない仕様になっている。つまり、『喩』の特設サイトへ辿り着くためにはクイズの文章を否定する事が必要だ。

このクイズの文章を否定すると、『喩』の世界における河城にとりは「河童ではない」OR「妖怪の山近辺に住んでいない」という事になる。しかし、歌詞に「私は故郷を捨て去って人と共に生きようとして」とあるように、『カ-210号嘆き』の主観である “カ-210号” の種族は原作の設定と同じく「河童」であるように思えるが・・・。

河童という種族の醜さに嫌気が差した河城にとりは、己の ”故郷” を捨て人間がひしめく現代社会で暮らすことを決意する。しかし、彼女は己の本性故に人間の社会に適応できず、己の居場所を見失い、果ては己の生まれすらも呪うように・・・。

芥川龍之介による文学作品『河童』のオマージュが本楽曲の歌詞に多く含まれているが、原曲『芥川龍之介の河童 ~ Candid Friend』をはじめとする東方の原作においてもそのオマージュが多く存在する。(例えば、カメレオンのように体色が背景に合わせて変化する設定が光学迷彩スーツとして輸入されている等)

この記事では、東方の世界観における河童という種族についておさらいし、河城にとりとはどのようなキャラクターであるのかについて注目する。


◇河童という種族

水の職人妖怪  河童

主な危険度:  中
遭遇頻度:  低
多様性:   低
主な遭遇場所: 妖怪の山
主な遭遇時間: いつでも

―『東方求聞史紀』河童の項より引用

『カ-210号の嘆き』の冒頭では河童という種族が持つ難点について歌われている。その内容から芥川龍之介の『河童』の世界観を感じさせるわけだが、まずは一旦冷静に原作における種族としての河童を振り返ろうと思う。この項目での河童には「地底の河童」は含まず、幻想郷に住む河童ということにしたい。

まずは求聞史紀『河童』の項の記述から以下のものが列挙できる。

手先が器用で高度な技術を持ち、様々な道具を生み出す妖怪である。天狗と共に独自の社会を築き、高度な生活を送っているという。

比較的戦闘能力も低く、滅多に人前に姿を現わさない。さらに人間に見つかると逃げてしまう為、生態は謎に包まれている。

―『東方求聞史紀』河童の項より引用

阿求による記述では、手先が器用で様々な道具を生み出す「技術屋気質」、人間に見つかると逃げてしまう「臆病さ」という特徴が河童にはあるようだ。また、天狗とともに社会を築いているのも特徴と言えるだろうか。幻想郷の外の人間のように社会を築いている点は『カ-210号の嘆き』を考える上で抑えておきたい点だ。

水を操る能力は、道具の力ではなく河童としての能力である。

河童は自分から接触してくる事は少ないが、アジトに近づくのは危険である。この水を操る能力で溺れさせられるのだ。

―『東方求聞口授』河城にとりの項より引用

河童は往々にして水を操る能力を持ち、アジトに近づいた人間を溺れされるという。種族としての河童が危険度:中となっているのはおそらくこの点から来るのだろうか。河童の持つ「臆病さ」から近づいた人間を溺れされるようとするのかもしれないが、溺れさせるその理由は定かではない。河童は「人間と仲が良いつもりでいる」と風神録キャラ設定.txtに記述されている為、もしかすると河童当人は戯れに人間を襲っているだけなのかもしれない。

また、東方茨歌仙にて、河童に関する以下のセリフがあった。

設計図とは違う物ばっか造ったり喧嘩したり遊んでいたり・・・。
あんな協調性の無い連中だとは思わなかったわ。これじゃあダムは危なくて造れないよ。

―『東方茨歌仙』第四話 洩矢諏訪子のセリフより引用

上記は河童の「協調性の無さ」を表す第三者からの言及である。妖怪の山の麓にダムを建造する計画をしていた守矢神社は河童に工事の協力を仰いだが、河童は長期で大規模な工事は不得手であったためダムの建造は中止となった、という話があった。しかし、「協調性が無い」とは言えど、鈴奈庵第十五話では列を成して物資を運んでいたり、同胞の笛の合図に従っていたりするので集団行動が全くできないというわけでもないらしい。

以上、ここまで幻想郷に住む河童について振り返ったわけだが、これら河童の持つ特徴は河城にとりのイメージの大部分と被っているように私は思う。

では、河城にとりという個人が持つ特徴とは一体どんなものなのだろうか。次の項で振り返っていこうと思う。


◇河城にとりという個人

超妖怪弾頭   河城にとり

能力:    水を操る程度の能力
危険度:   高
人間友好度: 中
主な活動場所:玄武の沢等

―『東方求聞口授』河城にとりの項より引用

前項で語ったように、種族としての河童の特徴は河城にとりのイメージの大部分と重なっており、河城にとりは所謂 ”河童のステレオタイプ” のような印象を受ける。その証拠に、求聞口授『河城にとり』の項においても、河童の持つ特徴「技術屋気質」、「臆病さ」についての記述が存在する。しかし、『カ-210号の嘆き』を考えていく上で楽曲の主役『河城にとり』という個人を振り返る必要があるだろう。

まずは、初登場の東方風神録における河城にとりはどうだったか。

今回は、山に入ろうとしていた霊夢達を追い返そうとしていたのだが、それは山が緊急事態だった為、人間には危険だと判断した為である。

―『東方風神録』キャラ設定.txtより引用

風神録の異変時に、河城にとりは「今の妖怪の山は人間にとって危険だ」と判断し霊夢達を追い返そうとしたのだ。人間を盟友と呼ぶ彼女は人間に対する優しさも持ち合わせていることが伺える。しかし、「河童と人間は古来からの盟友だから」というセリフを見ると、この優しさは河童としての側面が大きいのかもしれない。

近づくと川に引きずり込まれて尻子玉を抜かれる。尻子玉を抜かれると人間は死ぬ。凶暴で残忍な部分があるので注意しよう。

―『東方求聞口授』河城にとりの項より引用

風神録では霊夢達の身を案じていた河城にとりだが、阿求によると河城にとりには凶暴で残忍な部分があるという。求聞史紀での『河童』の危険度は中であったが、求聞口授での河城にとりの危険度は高となっている。この違いは河城にとり個人の持つ「凶暴で残忍な部分」からの影響なのだろう。

仲間内で明るく楽しく振舞っているが、一人で逃げられない時は高慢な態度を取る。心の底では人間や他の妖怪を下に見ているのだろうが、無理しているのが見え見えである。

ー『東方求聞口授』河城にとりの項より引用

これは阿求による主観だが、河童の特徴というよりかは河城にとりのパーソナリティに係る記述として、上記のものが気になる。「仲間内で明るく楽しく振舞っている」、それでいて「心の底では人間や他の妖怪を下に見ている」ともあることから、河城にとりは裏と表の顔を持っていることが伺える。

この部分は、『カ-210号の嘆き』における「皆に合わせて笑いながら 笑顔の下で 全てを見下して 」の歌詞に合致しているといえよう。

突然態度や口調を変えたり、ちょっと奇異な性格の持ち主だが、案外、人見知りする。

―『東方風神録』キャラ設定.txtより引用

加えて、「突然態度や口調を変える」という特徴もある。確かに、東方地霊殿では「~だね」とおだやかな口調から「おい、さっさとやっちまいなよ」と汚いセリフも吐いていることが確認できる。また、初登場時の東方風神録では特に角の立った口調ではなかったが、後の東方心綺楼では相手を煽るかのような口調をしており、宗教嫌い・守銭奴といった新たな一面も見せていた。

そんなぶっきらぼうな心綺楼のにとりに対して豊聡耳神子が以下のセリフを放った。

私には分かるぞ。素直に楽しめない不器用な心が。

―『東方心綺楼』豊聡耳神子のセリフより引用

相手の欲を聞く能力を持つ豊聡耳神子。彼女によると河城にとりは「不器用な心」を持っているという。明るく楽しく振舞いながら心の底では見下していたり、臆病でありながらも時には凶暴で残忍であったり、口調が大きく変わったりと、これらの特徴は河城にとりの持つ「不器用な心」による影響が大きいのではないだろうか。

つまり、まとめると、

河城にとりは、種族として河童の特徴を多く持つ ”河童のステレオタイプ” であることにプラスアルファして裏と表の二面性「不器用な心」も持っている。

『カ-210号の嘆き』では、そんな河城にとりが故郷を捨て去って人間の社会に生きようとした事になる。臆病で協調性がない河童という種族でありながら「不器用な心」を持つ河城にとりは現代の人間の社会で適合できるのか、『カ-210号の嘆き』はそういった部分にフォーカスした楽曲なのだと私は考えている。

次の項では、芥川龍之介の『河童』の話も交えて『カ-210号の嘆き』の物語について考えてみよう。


◇芥川龍之介の河童

「出て行け!この悪党めが!貴様も莫迦な、嫉妬深い、猥褻な、図々しい、うぬ惚れきつた、残酷な、虫の善い動物なんだらう。出て行け!この悪党めが!」

―芥川龍之介『河童』より冒頭の一節より引用

『カ-210号の嘆き』の歌詞には、かの有名な芥川龍之介による小説『河童』より引用されている文章・単語が複数ある。”カ-210号” という呼び名も『河童』の主人公である第二十三号を彷彿とさせるものになっている。まずは『河童』という物語のあらすじを以下に書き下してみる。

芥川龍之介の『河童』は、とある精神病院の患者である第二十三号が誰にでもしゃべる話として語られる。三年前の夏、主人公が穂高山に登っていると偶然一人の河童を見つけ、逃げようとする河童を追っているといつの間にか河童の国に辿り着いてしまう。しかし、この河童の国は「生まれる前の胎児に生まれることを拒否できる権利がある」、「解雇した数十万の労働者を殺して食用肉に加工する」、「演奏が禁止されており検問の対象となっている」等といった、現実の人間社会とは異なった価値観を持つ狂った世界であった。その中で主人公はさまざまな河童たち(漁夫、医者、詩人、資本家、弁護士等)と親交を深めていく。
ある時、元の世界に戻りたくなった主人公はある年をとった河童から戻る方法を教わって元の世界に帰ることができたが、人間の社会で過ごす内に「河童の国へ帰りたい」と次第に思うようになり、河童の国を故郷のようにも感じるようになっていった。しかし、その「帰りたい」という願いは叶わず、とうとう精神病院に入れられてしまう。

ここで注目したいのは、『カ-210号の嘆き』の歌詞に登場する ”故郷” とは河童が住む世界を指すと思われるのだが、芥川龍之介の『河童』で第二十三号が河童の国を”故郷”のように感じていた点を踏まえると、河城にとりの種族は人間である可能性も出てくるように思える。

要するに、以下の二通りで考えられるのではないか。

① 種族河童のにとりが故郷である河童の国を捨てて人間の世界に行った

② 種族人間のにとりが河童の国へ行ったのちに、河童の国を捨てて人間の世界に戻った

この場合、①は歌詞通りのストレートな解釈であり、②は芥川龍之介の『河童』のエッセンスから深読みした解釈となる。②は深読みとは言えど、『喩』特設サイトのクイズ「河城にとりは河童であり~」という文章を否定する場合、「河城にとりは河童ではない」という解釈もできる為、「河城にとりは人間である」という解釈もあり得ない話ではない。ただ、にとり自身が恋しく思っているわけでもない今から捨て去ろうという河童の国を、種族人間がわざわざ “故郷” と呼ぶ事は少々蓋然的とは言えない。

もうひとつ解釈の分かれ所として、河城にとりのいう ”故郷” とは幻想郷を指すのか、または芥川龍之介の河童の国のような場所を指すのかという点があるだろう。「なぜ生まれることを選んだか」という歌詞からは、河童の国特有の「胎児が生まれることを拒否できる権利を持つ」という世界観を感じさせるため、この楽曲の”故郷”とは芥川龍之介の『河童』に見られたあの狂った世界とも考えられないか。

また、”故郷” を幻想郷とするのであれば、求聞口授の記述のように「仲間内で無理をして明るく楽しく振舞っている事」が祟って、幻想郷で築いた交友関係ごと捨てたいと思ったとも考えられるか。前々項で列挙した事柄も踏まえると幻想郷に住む河童を「己というものに自惚れた虫の善い動物」とは思えないのだが、あの社会の渦中にいた河城にとりにとってはそう感じる部分もあったのかもしれない。

以上のように、芥川龍之介の『河童』を読んでおく事で『カ-210号の嘆き』の歌詞・物語の解釈が広くなる為、この楽曲が好きで『河童』を読んだことのない方は是非一読することをおすすめする。(青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/45761_39095.html

この項で解釈を複数列挙したが、河城にとりは己の醜さ故に社会に適合できず、己が属する「この場所」を捨てたいと思った事に関しては、いずれの解釈でも同じになるのだろう。


◇ブックレット

ショートサロペットを着用し”リユツク・サツク”を背負った河城にとり、全く噛み合わない歯車、水溜りに写った本当の自分自身。全く噛み合わない歯車は河城にとりが社会の歯車に噛み合わなかったことを暗示し、水溜りの反射は河城にとりの二面性を暗示しているとも捉えられるか。

「出て行け!この悪党徒共め! ~」の歌詞は本当の自分と同じように水溜りに写って上下反転している。水溜りに写った本当の自分が無理をして社会を生きようとする偽りの自分自身に放った言葉だと仮に解釈すると、上下反転している理由は「本当の彼女自身の言葉だから」とも考えられるか。

アルバム『喩』のブックレットは縦のデザインがされている。『カ-210号の嘆き』は『true outsiders』と同じページに歌詞が載っているが、両楽曲のブックレットの境界が大きく縦に走り分断されているため、細長いブックレットになっているのが印象的。

イラストは『綜纏 Vol.4 四百四描』に収録。


◇雑記

本記事では「河城にとりのパーソナリティ」に着眼点を置いてみたわけだが、原作の情報を調べ直して記事を書いていくうちに、この『河城にとり』はなかなか扱いが難しいキャラクターに感じた。

というのも、登場する作品ごとに口調がやや違っている上に、口授の記述も踏まえると彼女のセリフが本心から発せられたものなのか、または取り繕った発言なのか、判断に困ってしまうときがあったのだ。キャラ設定.txtの記述にある通り、本当に「奇異な性格」をしていると妙に納得をしてしまう。

今回、河城にとりを分析する上で原作からの情報抽出をやや広めに行ったが、これには河城にとりがややこしい性格をしていることを示したかったという理由もあった。広く抽出したが故に、凋叶棕における『芥川龍之介の河童』アレンジである『水底のメロディ』、『それいけ河童秘密作戦』、『Uncooperative Harmony』などの楽曲においても、おそらくこの記事で挙げた情報を用いて分析できてしまうのかもしれない。

実は『カ-210号の嘆き』という楽曲には、私個人的に怖い部分がある。それは、歌詞に綴られている事柄に共感してしまう自分が心の底に居るということだ。特に「この場所を捨てたい」という歌詞には、私にも思うところがある。

時折、凋叶棕の楽曲には現実世界の影に潜む闇の感情が含まれているように思う。なぜ、凋叶棕の一部の楽曲は「闇が深い」と言われるのか。その原因は「闇が深い」と感じる己の心の奥底にあるのではないか。

カ-210号の嘆き」への1件のフィードバック

  1. よく考察されていますね。
    ただ、「なぜ生まれることを選んだのか」という彼女のことばからわかるように、①の解釈しかありえんでしょうな。

    いいね

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