ブラック・ロータス

black-lotus


Featured in: 屠
track: IV
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title:感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind
length: 05:33


◇概要

『屠』のトラックIV。タイトルを直訳すると”黒蓮華”という意味になる。

アルバム『屠』のテーマは「恐怖」であり、幻想少女と恐怖について表現された楽曲が収録されている。『感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind』を原曲としているこの楽曲は、命蓮寺の住職『聖白蓮』の「恐怖」を表現しているのだろう。

性格はおっとりとしていて何か頼りなく見える反面、争いを望まない妖怪に慕われている。怒っている姿を見せる事は無く、差詰め好々爺と行った印象を受ける。

ー『東方求聞口授』聖白蓮の項より引用

過去に人間達に封印された経歴を持ちながらも悠然とおおらかに振る舞う聖白蓮。そんな彼女の、恐怖の感情に苦しむ姿はあまり想像できないようにも思えるが・・・。

聖白蓮の過去・現在から、『ブラック・ロータス』における彼女の恐怖について考え、タイトルの意味「黒蓮華」について少し触れる。


◇聖白蓮は何を恐怖するのか?

この項では、原作の記述から聖白蓮の過去を振り返り、彼女の心の礎、罪、恐怖心について考える。

聖白蓮には命蓮という弟がおり、伝説と謳われるほどの僧侶であった。命蓮は自らの法力で鉢を飛ばし、病気を治すなどをして人々に貢献していたという。姉・聖白蓮は年老いてから法力を弟・命蓮に学び、彼女は晩年となった頃に僧侶となったのである。

しかし、キャラ設定.txtには以下のように記述されている。

しかし、命蓮は白蓮よりも早く亡くなってしまった。
嘆き悲しんだ白蓮は、死を極端に怖れるようになった。
まず、自分が死なない為に若返りの力を手に入れた。
それは法術と言うより妖術、魔術の類であった。

ー『東方星蓮船』キャラ設定.txtより引用

聖白蓮は弟・命蓮の死を受け、死を極端に恐れるようになったという。聖白蓮にとって命蓮は最愛の弟だったのだろう、結果論ではあるが彼女の人生を大きく変えた出来事になる。「自分が死なない為に」とあるように、彼女は何者の為でもなく己の為に外法に手を染めていることから、現在の聖白蓮には見られない「余裕のなさ」を感じさせられる。

しかし、原作の聖白蓮は姿をそのままに、ただ寿命を伸ばすのではなく、”若返り”を選んだ事にも理由があるようにも思える。もちろん、ゲームの描写上、臨終間近のおばあちゃんが超人のごとく弾幕ごっこするという世界観を壊しかねない絵面になるので、”若返り”としているという事情もあるのだろうが。

おそらく、死への恐怖だけでなく、己の老いた姿への恐怖もあった、だから死を克服するだけでなく、”若返り”を求めたと解釈できるのではないか。老いてゆく事自体、恐怖する死へ近づく事とも思えるが、弟を失い、今際の身となった彼女だからこそ、老いる事と己の老いた姿への恐怖も強くあったことだろう。

『ブラック・ロータス』も原作の記述と同様に、命蓮の死を受けて自らの恐れを自覚し、死して消えゆくことへの怯えから外法に手を染めていく様子が表現されている。迫り来る死期への恐怖心からどうしようもなく仏の教えに背き、外法に手を染めていく様にも「余裕のなさ」があるように思う。また、死への恐怖だけでなく、「見る影無く枯れ細った手に老い白んだ髪」と自分自身の老化を思い知らされたことによる恐怖心、焦燥感についても、その歌詞から感じさせられる。

しかし、聖白蓮の恐怖は若返りにより克服されたわけではないようだ。キャラ設定.txtには以下のように書かれている。

若返りを自分の物にし、寿命が亡くなった彼女が次にれたのはその力が失われる事だった。
妖術が失われる事、それは人間が完全に妖術を排除する事に他ならない。
つまり、妖怪が居なくなってしまったら、自分の力も維持できなくなるのだ。

ー『東方星蓮船』キャラ設定.txtより引用

若返る事で死を克服した聖白蓮が、次に恐れたのはその力を失う事だった。彼女は妖怪に寄り添い妖術の力の維持をしなければ、いずれは若返りの術が解けてしまう。力の喪失を恐れる事、すなわち「死」と「老い」への恐怖心は薄らいでいるわけではない。

若い僧侶となった聖白蓮は妖怪を退けて人間を助ける一方で、裏では力の維持のために妖怪を救っていた。だが、次第に、力を維持するという己の欲の為に妖怪を救うのではなく、妖怪を不憫に思うようになり妖怪の力になりたいと行動するようになったという。もしかすると、寅丸星のように消えゆく運命にあった妖怪らを見て、老いて消えゆく運命にあった自分を重ねていたのかもしれない。

しかし、同情心もあるとはいえ、己が生きるため、己の力を保つために妖怪に寄り添い、妖怪を救う、その行為は妖怪を恐れていた当時の人間達の目には裏切りの行為に映ったことだろう。己の行いが人々に寄せられた信頼に背いている事を自覚していたのかどうかは不明だが、おそらく自覚は持っていたように思う。

私には力を持つと、欲望に身を滅ぼされるだけだと思えてなりません。それが自分自身、身に染みて判った事なんですが、貴方とは異なるのですね。

ー『東方求聞口授』[邪仙現る] より引用

上記はタオの思想について語った神子に対する聖白蓮のセリフとなる。聖白蓮も力を得て、その力を維持するために妖怪に寄り添い、その結果封印されてしまった過去がある。「身に染みて判った」というセリフは、己の欲と罪を自覚していたようにも解釈できるだろう。

聖白蓮には「弟に学んだ仏の教えを守る道徳感」と「己の欲が為に人の道を外れる背徳感」、その双方の間で感情のせめぎ合いがあったのではないだろうか。「貴方の妖怪を全て排除する考え、私にはそれを否定する事は出来ません」というセリフにも、自己矛盾のようなせめぎ合いを感じてしまう。

しかし、今の聖白蓮は既に人間を辞めた事を自覚し、妖怪と共に歩んでいる。それ故か、封印される以前の頃とは違い、生きる事への執着と余裕のなさを感じさせない。不死の存在となり妖怪たちを救い続ければ、弟・命蓮を失った時の辛い思いをすることもないはずだ。だから彼女は”余裕がある”状態なのかもしれない。

『ブラック・ロータス』における聖白蓮の恐怖は「死」への恐怖と「老い」への恐怖があり、そして「消えゆくこと」への恐怖があると考えている。弟を失った彼女だからこそ「消えゆくこと」へ恐怖心を持ち、それ故に消えゆく妖怪を救う事へ執着していたのではないか。


◇蓮の華

タイトル『ブラック・ロータス』の意味について少し考えてみる。

”Black Lotus”、すなわち黒い蓮を指す単語だ。それと対照的に、”白”と”蓮”の文字列を含む『聖白蓮』の名、この命名に何か由来があるように思う。

”白蓮華”は、仏教においてPuṇḍarīka (पुण्डरीक)と呼ばれ、漢字では”分陀利華”と書く。

ふんだりけ/分陀利華

蓮華のことで、特に白蓮華を指す。蓮華、白蓮華などと意訳され、分陀利、芬陀利華などとも音写される。インドにおいて蓮華は珍重された花であり、仏典にも種々の蓮華の名が見出せる。その中でも、分陀利華といわれる白蓮華は、ことのほか重要な蓮華である。また、優れた人物などを分陀利華と称する比喩は、多くの仏典に見出され、これも分陀利華が重要視された証の一つといえよう。

新纂浄土宗大辞典より引用

”白蓮華”、すなわち”分陀利華”とは、優れた人物を比喩する言葉として仏典に書かれているようだ。例えば、浄土真宗の『正信偈』に”分陀利華”の文字が含まれており、「阿弥陀如来の本願を信ずる者は誠に智恵のある者として白蓮華と讃えられる。」といった意味で使われている。聖白蓮の名前の由来はこの”白蓮華”にあると私は考えている。

『ブラック・ロータス』は”白蓮華”の否定に当たるとすれば、仏の教えに背信する事を意味しているのだろう。「信じたもの。縋ったもの。全てに背を向けようとも。」という歌詞はその意味を強く感じさせる要因になっているように思える。

しかし、『ブラック・ロータス』、”黒蓮華”は現の世には存在しない架空の花であるが、伝説・逸話上では存在する代物であるようだ。

古代ギリシアの叙事詩ホメーロスの『オデュッセイア』に「ロータスイーター(蓮喰い人)」が登場する話があり、ロータスの実を食べるとこの世の全ての苦痛を忘れるとされている。この伝承が広まって、眠りや毒の効果を持つ”黒い蓮”としてファンタジー作品に登場するようになったらしい。

しかし、実際には黒い蓮は存在しないため、青紫の睡蓮(ヒツジグサ)が枯れたものや色が濃いものを黒い蓮と見做されたのではないかとも言われている。ちなみに”蓮”と”睡蓮”は全く別の種類の花であるが、仏教においてはどちらも”蓮華”として扱われている。

”黒蓮華”を”青い睡蓮”と同一のものとするならば、”青蓮華”を意味するutpala( उत्पल )、またはnīlotpala( नीलोत्पल )と呼ぶこともできるだろうか。また、utpalaは八寒地獄の1つ『嗢鉢羅』を指す言葉でもある。だが、決して悪い象徴ではないようで、”白蓮華”と同じように”青蓮華”も尊いものとして扱われているようだ。

『ブラック・ロータス』には”背信”としての意味もあるのかもしれないが、外法により若返った後も仏教徒として振舞っていることから、彼女の心に咲く”蓮の華”は枯れず美しいままに黒く染まったという事なのかもしれない。


◇ブックレット

白と黒。ローブを身に纏った聖白蓮。死への恐怖からか顔を歪ませ苦悶の表情をしている。

白とも黒とも見える、美しく流れる髪と蓮の華は彼女の変貌を表しているのだろうか。『ブラック・ロータス』のタイトル文字の”ロータス”の部分が蓮の華と重なっている。

『幽明境を分かつこと』との対比も必見。「白黒」と「紅白」、「苦悶の表情」と「安らかな笑顔」という視覚の対比もあるが、「死を恐れ外法に縋った者」と「恐れなく死を選び幽霊となった者」、「溢れる感情」と「押し殺された感情」というように両者その境遇と死への感情も対照的。

イラストは『綜纏Vol.3 三怪奇』に収録。


◇雑記

『東方星蓮船』で聖白蓮を見たときの、私の第一印象は「善意で動いて周りを巻き込む、やっかいそうな人だ」というものだった。

キャラ設定.txtを読むと人間らしい欲深さも感じられるが、それと『八苦を滅した尼公』というステージタイトルとがどこか矛盾しているようにも思え、妖怪が優位の世界と分かっていながらも妖怪のための寺を開き、それでいて人間と妖怪は平等であると言うし、そもそも本人がもう既に人間をやめた存在なのではないか。

「うーん・・・、なんなんだこの人。」というのが私の本音であった。求聞口授の阿求による記述にも概ね同感であった。

しかし、そんな彼女に人間らしい欲望が魔法使いとなった今でも強くあって、その笑顔の裏、その実、すべて己のために行動しているとするならば、彼女の人間性にどこか親近感のようなものが沸いてくる。

『東方憑依華』では夢キャラクターとしての聖白蓮が登場しており、夢キャラとしての「弟子達に修行だというていで掃除、炊事、洗濯をやらせてるんだからね。私が楽をするために。」というセリフに、人ならざる者となった今でも人間らしい部分があるものだな、と好感を覚えた。

『感情の摩天楼 ~ Cosmic Mind』の主旋律に乗せて、感情も欲もむき出しに「生きていたい」と人間らしく彼女は叫ぶ。たとえ恐怖に表情を歪めていようとも、『ブラック・ロータス』の聖白蓮はとても美しく素敵だ。

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