Featured in: 遙
track: 8
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title1: 永遠の巫女
original title2: 空飛ぶ巫女の不思議な毎日
length: 06:25
◇概要
RDWL-0006『遙』収録の子守唄。
幼少時の朧気な記憶、うまく聴き取れない囁きは母の言葉か。
「博麗の巫女」の名を継ぐ意味。その宿命。
この楽曲に登場するのは二人の巫女。おそらくは「博麗の巫女」と「次代の博麗の巫女」なのだろうか。「博麗の巫女」の代替わりを思わせる歌詞、しかしイラストに描かれた次代の巫女はまだ幼子のようだ。
「博麗の巫女」は血縁による世襲制か否かは『name for the love』の記事でも書いた通りハッキリとしておらず、どちらとでも取れる。そのため、血の繋がりのある親子かどうかは不明であるが、そこは重要ではない。
この二人の、どちらが「博麗霊夢」なのか。
あるいは、どちらも「博麗霊夢」ではないのか。
結論から言うと、この謎はこの楽曲の歌詞から察することは難しい。なぜならば「博麗の巫女」を名を背負う者達すべてに共通するであろう要素が込められており、個を特定できるほどの具体性を持たない抽象的な子守唄となっているからだ。
本記事では、”永遠”をキーワードとして抑え、この楽曲について考えていきたい。
◇巫女の代
博麗神社は、現在の幻想郷に無くてはならない大結界を見張る神社であり、博麗の巫女は代々異変解決を生業としている。
彼女は歴代の巫女の中でも最も危機感に欠け、修業不足であるが、実力はかなりのものである。
―『東方求聞史紀』 博麗霊夢の項より引用
博麗の巫女が代々入れ替わる方式を採用していることは、上記の記述だけではなく、様々な書籍にて登場している。まずは代替わりを思わせる公式の記述を列挙してみようと思う。
これはそろそろ新しい巫女を捜さなきゃいけない時期ってことか
もう何度目になるのでしょう
新しい巫女が新聞のネタになりやすい人間ならいいのですが―『東方儚月抄 ~Silent Sinner Blue.』第二十話より引用
上記は射命丸文のセリフで、「もう何度目になるのでしょう」の部分から何度かの代替わりがあったことが示唆される。
P.S.
幻想郷に住む人間にとって、妖怪と一緒で何で楽園かって?
それは、皆妖怪に負けないくらいの力を身につけてるし、なんてったって、退屈しないじゃないの。(博麗神社 第13代巫女 記)
―『幻想郷風土記』より引用
東方妖々夢オンラインマニュアルには『幻想郷風土記』と銘打たれた記述があり、その追記に上記の文章が書かれている。”第13代巫女”との記述があるが、風土記という媒体の性質故にやや信憑性に欠ける眉唾物であるようだ。
-
”先代”の「博麗の巫女」に関する記述について。
そういえば、他の人間は先代を『博麗の巫女』と呼んでいたが、あまり霊夢の事を巫女とは呼ばない。まともに仕事をしていないからであろう。自業自得だ。
だが、先代は、巫女としか呼ばれていなかったのだ。名前も忘れてしまった。
―『上海アリス通信 ver2.7』より引用
おそらくwin版以降で初めて出たであろう先代博麗の巫女の記述だ。ちなみに霖之助主観の記述となる。
先代の巫女もあんまり変わらないのね。間抜けっぷりが
―『東方茨歌仙』 第十五話 より引用
「その昔、博麗の巫女が神社に天神様を勧請しようとしたが失敗に終わった」という話を霊夢から聞いた華扇のセリフ。
以上、「博麗の巫女」の代に関する公式の記述はこんなところだ。私自身すべてを網羅しているわけではないが、パッと思いつくのを挙げてみた。
これらの記述から「博麗の巫女」の名が代々受け継がれてきたものであるという蓋然性が汲み取れるだろう。
いつから受け継がれてきたかについては、『東方求聞史紀』の阿求の独白にある博麗大結界が幻想郷に張られた19世紀末をその頃とする説が有力ではあるのだが、確実な証拠とは言えないと私は思う。
◇『永遠の巫女』
『東方靈異伝』や『蓬莱人形』の収録曲、または霊夢の二つ名でもある『永遠の巫女』。
『悠久の子守唄』では原曲として採用されており、”悠久”という言葉の意味は”遙か”であり”永遠”でもある。
ZUN氏によると特別な曲との事だが、『永遠の巫女』のタイトルに込められた意味、特に”永遠”とは一体何を指すのだろうか。
以下にふたつ説を出す。
①「博麗霊夢」個人を”永遠”とする説。
博麗霊夢というキャラクターに焦点を当て、固定化された時間軸に生きるキャラクターを相対的に”永遠”とする考え。”サザエさん時空”を採用している東方Projectの作品では多くのキャラクターは劇中で成長することはなく、肉体・精神状態に一時的な違いはあれどほとんど変わることのない永遠性を持つ。故に博麗霊夢は”永遠”の巫女であり、”永遠”の少女である。
―
②「博麗の巫女」を”永遠”とする説。
霊夢個人ではなく「博麗の巫女」を”永遠”とする考え。19世紀に幻想郷に博麗大結界が張られてから数百年間(←要出典)、「博麗の巫女」の名は受け継がれて代々幻想郷の秩序を守ってきた。それは、きっとこれからも・・・。「博麗の巫女」はこの楽園が”永遠”である事を謳いあげるひとつのシステムとして成り立っている。
―
”永遠”を「博麗霊夢」個人のものとするか、『博麗の巫女』のものとするか、そこが意見の分かれ目ではないかと考えたわけだ。
この場合、①の”永遠”とはキャラクターの須臾を切り取った一枚のスナップショットであり、世界はその須臾が無限に連続して成り立つ永遠の園である。
対して、②の”永遠”とは無限の軌道を描くウロボロスの環だ。例えばそれは大自然の営み。幾度と繰り返されるはじまりとおわり、生と死、再生と破壊が世界を永遠に循環させている。
『悠久の子守唄』は②に示す”永遠”。「博麗の巫女」が永遠の循環に従い代替わりすることで幻想郷の秩序は永遠の楽園となる。
『悠久の子守唄』には「博麗の巫女」の永遠性、即ち”永遠の巫女”が根底にあるのではないだろうか。
◇合わせて聴きたい曲
『悠久の子守唄』と関係が深いと思われる楽曲を紹介する。
▼『あの日自分が出て行ってやっつけた時のことをまだ覚えている人の為に』
『悠久の子守唄』のひとつ前のトラック。自機含め『東方永夜抄』に登場する全てのキャラクターのテーマ曲が詰め込まれている。タイトルからは、『東方永夜抄』の頃より時間が経過していることが推測できる。もし、『悠久の子守唄』の母側が博麗霊夢だったとしたら、眠る前の子への夜伽話として永夜異変を語ったのかもしれない。(歌詞の”仕舞に物語ひとつ聴かせて”の部分)
▼『そしていつかまた出逢って』
『悠久の子守唄』の次のトラックに当たるインスト楽曲。途中、『空飛ぶ巫女の不思議な毎日』が流れる箇所がある。その後、頒布された『改』にて歌詞が追加され、ボーカルアレンジとして生まれ変わった。
▼『そしていつかまた出逢って ~ Eternal Flower』
『改』収録。風見幽香の視点より「博麗の巫女」の永遠性を歌っている。花が咲き、花が散り、花が舞い、そしていつかまた花は咲く。そんな永遠に循環する自然の営みと代々受け継がれる『博麗の巫女』の宿命を重ねているのだろうか。風見幽香にとって「博麗の巫女」とは”永遠の花”といえる存在なのだろう。
◇ブックレット
場所は博麗神社の縁側か、霊夢と思わしき母の巫女に抱かれて眠る幼い巫女。
まるでこの幸せな時間が永遠に続くことを願うかのように、母の表情は幼子への愛おしさに溢れている。
画材は色鉛筆でやわらかくあたたかく描かれている。色鉛筆独特のタッチを眺めていると幼少期を思い出すようなノスタルジーな気持ちになってしまう。
ブックレットイラストは『綜纏Vol.1』に収録。はなだひょうさんのコメントでは夕方をイメージしているとのこと。
この母と子が『そしていつかまた出逢って ~ Eternal Flower』のブックレットに描かれた2人の巫女と同一人物なのか否かは不明だが、小さい霊夢の髪の分け目の感じが似ているようなそうでもないような・・・。
◇雑記
『遙』というアルバムは「遙か」な「幻想郷の風景」を合言葉に制作されている。
この『遙』の楽曲の多くには、”はるか”というキーワードだけではなく、永遠性を思わせる歌詞が登場している。
永久に続く螺旋・終わり無き問い・遥かずっと永遠に・忌むべき永遠・変わらない全ての根源・・・。
これらすべての永遠性はひとつひとつ違った永遠であるように思う。
いつまでも変わらぬうつろわざる永遠性、
ひたすら極限へと収束する永遠性、、
無限に繰り返される永遠性、、、
永遠とは”うつろわざるもの”だけにあるわけではない。”うつろいゆくもの”にも”うつろわざる永遠”があるのだ。
『東方花映塚』にて風見幽香はこう語っている。
地上に咲く花はその鮮やかさから生の象徴であり、同時に花の儚さより死の象徴でもある。不思議よね。
花が目出度いのに死の象徴でもある理由は判る?
それは人間と同じだから。霊が宿り、花が咲き、霊が去ると花が散る。―『東方花映塚』 風見幽香のセリフ より引用
記念日の贈り物、入院のお見舞い、開業祝い、卒業式、お葬式・・・。花とは冠婚葬祭、即ちハレとケ、その両方で重要な要素を担っている。
産まれ、生き、死に、そしてまた産まれる。
人間も花と同様に永遠なる循環の輪を編み続けている。
それは「博麗の巫女」もまた同じ。
風見幽香にとって「博麗の巫女」とは”永遠の花”だとするならば、
『彩』収録の楽曲『いとおしきものに、うつくしくものに』で唄われている”永遠”はおそらく『悠久の子守唄』と同じものではないだろうか。