妖々「全て桜の下に」

youyoumu


Featured in: 奉
track: 3
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: Φ串Φ
original title1: アルティメットトゥルース
original title2:ボーダーオブライフ
length: 05:32


◇概要

アルバム『奉』には原作STGの各整数ナンバーに寄り添ったボーカルアレンジが収録されている。本楽曲は中でもWin版2作目『東方妖々夢 ~ Perfect Cherry Blossom.』をテーマに制作されている。

時は、原作STG『東方妖々夢』の劇中の6面道中後半。中ボス・魂魄妖夢との弾闘が決した後。

博麗霊夢に敗北した魂魄妖夢が『アルティメット・トゥルース』のメロディーをバックに、遠い昔の記憶を回想するシーンより始まる。

 遠い昔、問うたことがある。
  ”桜の下に何が“
 それに返る、答えはぞなく。
  ”おそろしいもの“とだけ。

師より伝え聞いた”おそろしいもの”についての話。

生と死の境界に立つ者は見るだろう。美しく優雅な桜色の弾幕を。

彼女は理解するだろう。”おそろしいもの”が何だったのかを。

最後、春に眠るように『春風の夢』にて物語は幕を閉じる。

妖々「全て桜の下に」は、博麗霊夢と異変の黒幕・西行寺幽々子が対峙する『東方妖々夢』のクライマックスにフォーカスした楽曲となる。頒布より15年経過した現在、『東方妖々夢』が未だに根強い人気を誇る理由はこのクライマックスにあるといっても過言ではない。

本記事では、楽曲も当然のことながら、原作ストーリーについても合わせて再考していきたいと思う。


◇『東方妖々夢』のストーリー

まずは『東方妖々夢』がどのようなストーリーだったかを今一度おさらいしたい。あくまでおさらいなので、ストーリーを知ってる・覚えている人は読み飛ばすのがいいだろう。(※若干私の所見が入ります。)

『東方妖々夢』では『春雪異変』と呼ばれる異変が起こっていた。5月になってもまだ春にならず冬のまま、という傍迷惑な異変である。公式オンラインマニュアルには、”元気な犬と妖怪達には冬など関係なかった” とある。春雪異変は妖怪達には大した事がない異変だったが、人間達にとって冬は厳しい季節、暖房の燃料にも限りがあり、里の人々にとっては農作物への影響も大きいだろう。人間と妖怪どちらに影響が大きいか、こういった点は『永夜異変』とは対照的な異変といえる。

この『春雪異変』、実は冥界の住人により引き起こされたものであった。

冥界・白玉楼に住む西行寺幽々子はある時、古い文献を見つけ出す。その文献を読んだ幽々子は「西行妖の桜が満開になるとき何者かが復活するのではないか」と考えた。桜を満開にするために”春”を集めるようにと、幽々子は二代目庭師兼警護役・魂魄妖夢へ命令を出す。妖夢は主人の命により幻想郷へ赴き、”春”を集めることにした。

ここは幻想郷。人間と妖怪が共存する辺境の地である。第百十九季の年は長い冬が続き、5月を超えてもなお白銀の世界が広がっていた。霊夢たちはこの異変に気づき各々が行動を起こす。咲夜は暖房の燃料が尽きるため仕方なしに異変解決へ。魔理沙は雪に桜の花びらが混ざっていることに気づき、花がやってくる風上を目指し異変解決へ。一方、霊夢は相変わらず勘を頼りに異変解決へ向かうのだった。

風上より舞い落ちる”桜の花びら”を集め、天空を目指し、幽明の結界を超えた先、桜の咲く春の冥界へ辿りつく主人公。そこで出会ったのは半人半霊の剣士・魂魄妖夢。彼女との二度の死闘を経て、ついに異変の主犯・西行寺幽々子の元へ辿りつく。

そして、物語はクライマックスへ。幽々子との弾闘が決したかと思われたその時、西行妖はその花を開かせた。西行妖の封印が解かれ、桜の下に眠る何かが蘇る。

一分咲・・・。三分咲・・・。五分咲・・・。そして、八分咲。

西行妖が満開になる寸前、西行寺幽々子の目論見は失敗に終わった。

幽々子の正体は桜の下で眠る亡骸その本人であった。しかし、幽々子は生前の事などすっかり忘れ、亡霊生活を満喫していたのだった。

そんな彼女の正体を知る者がいた。妖夢の祖父・魂魄妖忌である。妖忌が妖夢の元を去る前、幽々子の事を伝えたつもりでいた。そう、”伝えたつもり”。幽々子の事は妖夢へ伝わっていなかったのだった。

伝わっていなかったからこそ、妖夢は幽々子の命に従い協力したのだ。(まあ、妖夢がそれを知っていたとしても協力しそうではあるが・・・)

以上、原作『東方妖々夢』のストーリーとなる。

妖々「全て桜の下に」の冒頭の回想は、桜の下についての妖夢と妖忌のやりとりなのだろう。

”おそろしいもの”という言葉だけは覚えていたのか、本当に”おそろしいもの”とだけ伝えたのかは定かではないが、キャラ設定.txtの”伝えたつもり”と記述されている部分を解釈した歌詞と考えられる。


ボーダーオブライフ

生きるも死ぬも
その境目までもがここでは酷く曖昧で。

『東方妖々夢』には境界ボーダーの要素・記号が散りばめられており、本楽曲の歌詞中にもその要素が含まれるため、ここでいくつか紹介しておきたい。

まずはジャケット。境界の賢者・八雲紫のシルエットを大きく斜めに二分する境界線。これは生と死の境界線を現しているのだろうか?

次にゲームシステム”森羅結界”。”結界”とは、ふたつのものを分かつものである。春を集めることにより曖昧になっていた冬と春の境界が明瞭になり、そこで生じたエネルギーが弾を消している、と解釈しても面白いだろうか。

キャラクターについて、人と妖の境界:アリス・マーガトロイド、人と幽霊の境界:魂魄妖夢、式神と式神使いの境界:八雲藍など、相反する2つの要素を合わせ持つ曖昧な存在が登場していた。そして極めつけは境界の賢者:八雲紫の登場である。

また、ステージの移動の最中、主人公たちは境界を超えている。”幽明結界”は正に生と死の境界であり、生きた人間が結界を越えて死者の国へ赴く。5面以降の主人公達は生と死が曖昧な状態になっているといえる。マヨイガや八雲紫の住処は幻想郷の境界に存在するなど、ステージのロケーションとしても境界が意識されているのだ。

東方Projectとしては『東方妖々夢』には境界の役割がある。三部作の狭間、紅魔郷と永夜抄の境界として妖々夢がある、と捉えることも可能だ。これは『東方外來韋編 弐』を読んでおくと理解しやすい。

以上、『東方妖々夢』は境界に溢れている作品であることが分かるだろう。

さて、ここで楽曲の話しに戻る。注目したいの本楽曲のサビを飾る「生きては見えず、死しても見れず」という句。これはスタッフロールにて表示される句の一部である。

優雅に散る桜の花びらとひらりと舞う幻想の蝶が織りなす美しき弾闘は、生きるも死ぬも曖昧な状態でしか見ることが叶わぬ光景であった。

この光景を目撃したものは主人公、西行寺幽々子、そして魂魄妖夢となる。

主人公らはそもそもは生きた人間。死者の住む冥界に居ること自体が生と死が曖昧な状態となっている。

西行寺幽々子は生のない亡霊。しかし、死者が反魂により蘇ろうとしていたという事は、これもまた生と死が曖昧な状態といえるだろう。

魂魄妖夢は半人半霊という種族。半分死んでいるし、半分生きている、まさに”ボーダーオブライフ”を体現したキャラクターではないか。

そう、妖々夢6面の光景を目撃したキャラクターはすべて生と死が曖昧な状態だったのだ。

メタな話、もしかしたらプレイヤー自身も生と死が曖昧な状態だったのかもしれない。


◇ブックレット

異変の黒幕・西行寺幽々子に立ち向かう博麗霊夢、二人の弾闘に魅入る魂魄妖夢。大きく描かれた西行寺幽々子はスペルカード宣言のカットインを表現しているのだろうか。

黒い幽々子と苛烈な蝶の弾幕から、ラストスペル『反魂蝶』が放たれたシーンと読み取れる。ちなみに原作では衣装も含め全身が黒いシルエットになっている。

black_yuyuko-e1535287644335.png
反魂蝶発動時の幽々子

歌詞は縦書きとなっており和のテイストが意識されている。ちなみに原作スタッフロールに現れる「生きては見えず 死しても見れず」の句も縦書きとなっている。

『綜纏Vol.3 三怪奇』収録。はなだひょうさんによると”扇子はあえて付けている”とのこと。あの巨大な扇子のビジュアルは全プレイヤーの印象に残ったことだろう。


◇雑記

『東方妖々夢』のストーリーは、2003年当時より数々の考察がなされてきた。

反魂の術、黒い幽々子の正体、魂魄妖忌、幽々子と八雲紫の過去…

語られることのなかったバックストーリーをファンが独自に解釈し、制作された創作物が数多く存在する。『東方妖々夢』のどこか曖昧なストーリーに、当時のファンは引き付けられたのだろうか。現在では、『蓬莱人形』や『秘封俱楽部』のようなアンソルヴドなストーリーの魅力に憑りつかれたファンが多いようだ。

ところで、あなたは”生と死の境界”を見た経験はあるだろうか。

ある者は三途の川を指差し、ある者は彩鮮やかな花畑を思い浮かべ、またある者は波打ち寄せる砂浜だと信じ、またある者は暗闇のトンネルだと豪語する。

人は臨死体験をすると、こういった生の世界と死の世界の境界を見ることがあるという。これは世界中で共通して語られる不思議な現象である。

宗教学・死生学の研究家、京都大学特任教授カール・ベッカー氏は ”生と死の境界” についてこう語る。

あの世とこの世の境が日本では三途の川ですが、砂漠地帯のアラビアなどでは臨死体験者の多くが『燃える砂漠』があったと証言しています。また、海に囲まれたポリネシアでは『荒れた海』が、切り立った崖が多いスコットランドでは『断崖絶壁』が、あの世との境界になっている。こうした現象を、バリア体験と呼んでいます。

砂漠の民であれば境界は燃える砂漠ですが、それが日本人の場合、川になる。つまり本人が持っている文化的フィルターを通じて、その境界線をイメージしていることになります。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/36824より引用

冥界に住む妖夢にとっての”生と死の境界”は、麗らかに咲き誇る桜の光景なのだろうか。

そして、”バリア”とは”Barrier”結界という意味を持つ英単語である。

…何か因果を感じる。

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