忘れえぬ物語

幻想蓄音機


Featured in: 謡
track: 11
arrangement: RD-Sounds
lyrics: RD-Sounds
vocals: めらみぽっぷ
original title1: 阿礼の子供
original title2: テーマ・オブ・イースタンストーリー
length: 06:58


◇概要

『忘れえぬ物語』はアルバム『謡』のラストページトラックを飾る楽曲。

『謡』は「物語」をテーマとしており、いろいろなストーリーを一冊の本として表現されている。そして、最後には稗田阿求によって『謡』に記された物語を纏め上げる、”構造的なアルバム”となっている。

この記事では、稗田阿求の能力と使命を今一度振り返り、『忘れえぬ物語』に込められた”おもい”について書き記していく。

また、同じくラストトラックを飾っており、似てはいるが真逆を意味するタイトルの、あの楽曲との関連性についても少し触れていきたいとおもう。


◇御阿礼の子

御阿礼の子とは名前の通り、一度見た聴いた事を全て憶える事が出来たという稗田阿礼の生まれ変わりであり、人間の里で最も幻想郷に関しての知識がある家系である。

―『東方求聞史紀』文々。新聞 第百九季 文月の一より引用

上記は九代目稗田阿求が誕生した日に発行された文々。新聞の一面記事からの引用である。この記事を参照すれば、稗田阿求の設定の多くを確認することができるだろう。

この記事によると、稗田阿礼の生まれ変わり”御阿礼の子”は一度見たものを忘れない程度の能力を持つという。この能力を活かし、人間が妖怪に対抗するための資料”幻想郷縁起”を編纂する使命が、御阿礼の子には与えられている。

『忘れえぬ物語』のタイトル通り、御阿礼の子の能力をもってすれば物語を忘れないでいる事は容易いだろう。

射命丸文が書いたであろうこの記事、あの文屋が書いている時点で情報ソースとしてどこまで信用していいのやらという気もする。実際、誤った情報が含まれていた。

この記事に間違いがあって、実際、先代からの記憶は幻想郷縁起に関わる一部しか残ってないです。

―『東方求聞史紀』P.159より引用

記事では歴代御阿礼の子全員の記憶を持って生まれるとされていたが、上記のような稗田阿求の指摘があった 。

御阿礼の子がこの世を去り、転生したとして、次代御阿礼の子に記憶として残るのは幻想郷縁起に関する事のみとなる。

つまり、幻想郷縁起に関係ない記憶、例えば御阿礼の子が戯れに読んだ本などについては記憶として残り続けることはないのだ。


幻想蓄音円盤レコード

『忘れえぬ物語』のイントロに耳を澄ませてほしい。

あなたにはこのが聴こえるだろうか。

カチャカチャと、レコード盤を取り出してターンテーブルへセットする音。

ジィー…と、ゼンマイがレコード盤を回転させ、針が音溝を擦る音。

蓄音機のホーンが鳴らす柔らかくあたたかい音。

この楽曲の始まりはレコードを再生する手順を踏み、終わりにはホーン特有の再生音で終わっている。蓄音機で音楽を聴いている人物はジャケットや歌詞カードに描かれている稗田阿求、どうやら彼女は音楽を聴きながら本を読んでいるようだ。いや、本を読みながら音楽を聴いているのかもしれない。

”ぜんぶ持っていきます”

彼女が愛した物語の数々は彼女の能力によって完全に記憶される。しかし、その記憶は次の世代の御阿礼の子に”持っていく”事はできるのであろうか。

前述の通り、御阿礼の子が転生した際に受け継がれる記憶は幻想郷縁起に関係する情報のみとなっている。それが確かならば、おそらくこの物語は御阿礼の子に受け継がれることはないのだ。

だが、本という記憶媒体ならば、幻想蓄音円盤レコードという記憶媒体ならば、稗田の転生システムを介さずとも次代へ”持っていく”事は叶うはず。

御阿礼の子が転生する周期は百数十年単位であり記憶媒体の劣化・破損が懸念されるが、稗田家には世代を超えて幻想郷縁起を運用できている実績があるため、その心配はないといえる。

阿求が手にした本と幻想蓄音円盤レコードに記憶された物語は、きっと『忘れえぬ物語』となって受け継がれていくのだろう。

ところで、この”幻想蓄音円盤レコード”、”古い”といわれる割にはプチプチやチリチリといったレコード特有のスクラッチノイズが少ないように聴こえる。

スクラッチノイズはレコード表面への埃の付着や細かいキズが原因であり、レコードを取り出さずとも埃が発生しやすい環境に保管しているだけでも定期的な手入れをしなければノイズが発生してしまう。レコードとは、かくもシビアな記憶媒体なのだ。レコードを嗜んでいた当時の音楽愛好家にとって、このスクラッチノイズは宿敵のような存在であった。

イントロ/アウトロ部分の音にスクラッチノイズが目立っていないのは、数千年に渡って編纂されてきた幻想郷縁起と同じように、この幻想蓄音円盤レコードは稗田家の者の手によって手入れされ、大切に扱われてきた証拠なのではないだろうか?


◇『忘らるる物語』

『謡』頒布より数年の時を経て、とあるアルバムが頒布された。

その名は『音』おもい

稗田阿求を象った一葉の紙がシーラケースにピン止めされた宛ら標本のようなジャケットに、当時のファンの間に静かなインパクトが走った。

発表された当時、『音』の楽曲タイトルを見た途端、何か思い出したかのように私は『謡』へ手を伸ばしていた。

そう、『音』のラストトラック、『忘らるる物語』について少し触れたいと思う。

”忘らるる”とは動詞”忘る”の未然形に助動詞”るる”が加えられたもので”忘れ去られる”といったニュアンスになる。つまり、『忘れえぬ物語』というタイトルとは真逆の意味となるのだ。

完全記憶能力を持つ阿求にとって、”忘れ去られるもの”とは何なのだろうか。

私が思うに、それは”おもい”ではないだろうか。

たとえ稗田阿求がこの世を去り、百数十年後に記憶の大半を失った状態で転生をしたとしても、物語そのものは本やレコードといった媒体に記憶ができる。

だがしかし、物語を通して生まれ出でた稗田阿求の”おもい”は記憶されるのか・・・?

この”おもい”は、例えば、『忘れえぬ物語』に記された物語へ向けた彼女の”おもい”。

―人魚姫になれたのですか。

―もう一人の貴女はいましたか。

―いつか神秘の向こう側を覗き見ること、
こんな私だけど出来るでしょうか。

―夢を見る遠く遠く…
夢の先はどこなのでしょう。

―ああ、愛おしきひとと、
添い遂げられたならば。

思いを馳せる日々はこんなにも。

―『忘れえぬ物語』の歌詞より引用

彼女がその”おもい”を、次代の自分へ向けて書き記したとしても、

次代の御阿礼の子の目には”心のない”ただの資料に見えてしまうのではないのだろうか。


◇ブックレット

稗田阿求を大きく主軸に、『謡』の楽曲を意識した小物(泳ぐ魚、天を目指す鳥、紫陽花と傘等)が溢れ出るように配置されている。阿求が手に持つ本は『謡』のブックレットによく似ている。

ジャケット・バックインレイ・奥付の絵には、本を手にくつろぐ阿求が蓄音機とともに描かれている。これらの絵は『忘れえぬ物語』の第三者目線から見た実際の環境で、『忘れえぬ物語』の歌詞カードでは物語に没入する阿求が表現されているのだろうか。

ブックレットイラストは『綜纏Vol.1』に収録されており、その装丁自体が『謡』を意識したつくりになっている。はなだひょう氏によると『謡』では本の挿絵を意識して絵の端をぼやかしているのに対して、アルバムを俯瞰する楽曲である『忘れえぬ物語』では、はっきりとした輪郭の絵で描いているとのこと。

『謡』を意識しているのかは不明だが、『音』においてもラストトラックの絵は他曲とは別の描き方がされている。


◇雑記

凋叶棕は物語と音楽の融合「物語音楽」と呼ばれるジャンルを主としている。

ケースから取り出してブックレットの歌詞を読み、ディスクをプレイヤーにセットし音楽を聴く。そうすることでさまざまな物語を楽しむことができ、ときには歌詞も絵も付いていないインストであっても、それらの音の中から物語を見つけることもできるだろう。

最近、VR技術に関する話題の中に「没入感」という言葉を目にすることがある。

没入感とは、「ある物事に集中し、その物事の世界に入り込んでしまう」そういった感覚を指す言葉だ。

VR技術ではそういった没入感を生み出す為にバーチャルな五感をリアルに与える仕組みが日々試行錯誤されている。視覚を覆うディスプレイに、聴覚へ音を伝えるヘッドフォン、そういった外的な要因から多角かつ共通した感覚を与えることで没入感を与えることができるのだ。

ブックレットを手に持って、音楽を聴くその姿勢。

視覚より絵や歌詞を。聴覚より音楽と歌を。

そうして我々は物語音楽への没入感を得ることが叶うのだ。

『謡』の阿求も我々と同じように物語音楽に魅せられているのだろう。彼女もまた、我々と同じ姿勢で物語音楽に没入しているのだから。

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